お知らせ

2023年の挨拶〜「言葉」で広がった1年

みなさん、年の瀬はいかがお過ごしですか。
2023年も残りわずかとなりました。
今年は、年賀状をお送りしていないので、こちらでご挨拶ができればと思います。(そういえば、ノボさんはどうしたんだろう?とブログに訪れてくださることを願って。)

今年は、一言で言うと「私の『言葉』を取り戻していった年」でした。

とにかく、文章を書いた、書いた、書いた、書いた、書いた……、って何回書くんだ!?という感じなくらい、書いた。自費出版『ウンチを出して「車いす」を脱ぐ』を出し、これまで吐き溜めてきた「言葉」を、誰かの心に届く形にできたことは、私にとって大きなことでした。正直な話を言いますと、最初は「誰かに役に立てられるように」という思いで書いていたつもりだったんですが、結局、「自分のことが一番優先」なのだと思わされるくらい、自分の心のままに無心に書くようになっていったんです。自費出版なので、原稿が全部書き上がって印刷会社に印刷をお願いしたとき、原稿をメールで送信する寸前で、送信ボタンをクリックする手が震えたものです。これでいいのか、と。

でも、それが本当に良かったのだなと、やってみてわかりました。

私の心の震えを、本を通して伝えたことで、それを受け取った方からも、たくさんの心の震えを返してくださいました。まだまだお知らせできていない方もたくさんいるのですが、本を書いたあとは、予想以上に倦怠感があり、お一人ずつにはお知らせできないのが申し訳ないです。(もし、ご連絡くだされば、増刷をしたらすぐにお送りします!)

 

実は、こう見えて、何か文章を書き始める前は「嫌だな、だるいな」と、いつも思っています。なんなんでしょうかね、きっと、「ちゃんと、書けるかな?」という不安がよぎるのかもしれません。何か言葉にするって、エネルギーがいるし、面倒くさくありませんか。話すときもそう。なんでも、とっかかりは、面倒臭いったら、ありゃしない。

でも、書き始めてしまったら、止まらないんですよ。この文章も、本当は三日くらい前から、書こう、書こうと思っていたのに、ここまで来てしまいました。その間は、なぜか、本を大量に読んだり、インターネットでインタビュー記事を読んだりと、人の言葉をどんどん拾っています。特に、SNSは目がチカチカして読めないのですが、時間をかけてじっくり書いたものは落ち着いて読めます。人のエネルギーを吸収してから、私は自分の文章を書くタイプなんでしょう。

 

今年は、本を通じて、高校の時の同級生や先生とも、卒業ぶりにコンタクトを取ったり、北海道の親しい友人ともメールなのに心が通じ合った会話をしたり、初めての方とつながったり、昔と今の私の経験や出会いが一直線につながった感覚を覚えました。

私は、「言葉」が出て来なくなったときが、人生で2回ありました。高校生のときと、北海道から移住する前でした。そこから、徐々に回復したのですが、それは何か大きなことをやったからというよりは、日々の日常を穏やかに過ごせるようになったからだと思います。

 

体に障害があり、いつも誰かの手を借りなくてはいけない人生。

とにかく、いろいろなことがあります。

でも、いろいろなことがありながらも、
自分も他人も過度に責めず、
「日々の生活に、体も心も帰すこと」が大事なのだと思います。

私の場合は、食べること。季節の食物を料理すること。
ヘルパーさんに「醤油、ひと回し入れて」とか言いながら。

 

そういった心穏やかな生活をサポートしてくださるヘルパーさんたち、一緒に活動してくださる仲間、私の雄叫びを聞いてくれる友人、いつまでも見守ってくれる家族など、すべての人に感謝して、今年最後の日を迎えたいと思います。

 

今年もありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いします。

 

追伸:
写真は、今日仕込んだ「煮しめ」。
北海道弁なら「うま煮」です。

 

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