生きる

みんなトイレを我慢する「暗黙の教え」

仕事中は水分を取らないという遠慮

新しい介助者が来てくださった時に、最初の時点で必ず伝えていることがあります。なんだと思いますか?

それは、

「仕事中でも、水分はしっかり取ってください。トイレにも必要な時に行ってください。」

正直、最初にこれを言っても、しない人がいます。「仕事中なんで…」「他人の自宅のトイレを借りたら失礼なんで…」と言う人や、心の中では「他人の使ったトイレを使いたくない」と思う人もいます。ですが、たいていは前者の「仕事中はトイレをしてはいけない」という理由が多い印象があります。

基本は自己管理でやってほしいので、最初に伝えたらあとはご本人にお任せしているのですが、時間が経ってくると、集中力がなくなっていたり、フラフラしていたり、返事に元気がなくなったりすることが利用者側から見るとわかるのです。

障害者は周りに「トイレしたいなら自分で言いなさい」と言われていたのに

私の話をすると、「トイレを我慢するクセ」を子どもの頃に、つけさせられてきました。私は、養護学校やそれに併設されている病院・寮で、10代のほとんどの時期を過ごしていました。

自分でトイレに座ったり、ズボンを脱いだり、拭いたりできない私は、そこに勤務している職員に介助を頼むしかありません。その時期、自分で職員に声をかけて頼むことができなかったため、「トイレしたいなら、自分で言いなさい。言われなかったらわからないよ。」と職員に言われていました。

確かにそうだなと思って、周りの目を気にする私が勇気を出して「トイレをお願いします。」と言ったら、今度は「またするの?ちょっと待ってくれる?」と言われたのです。はぁ??なぜだろう?トイレをしたいから言っているのに、「またするの?」って言われなければならないの?と、子どもながらに理不尽だと思ったのです。

職員にとっては、子どもへの「指導」の一つとして、「自分から頼む力」をつけることや「周りの状況を見られる」ようになることを望んでいたから、そういうことを言ったのでしょうか。

しかし、トイレという生理的な欲求なのに、「生理的欲求を我慢することを通して、社会性を身につけさせることは問題」だと私は思っています。これは、大人になってあとからわかってくることなのですが…。

健常者もトイレを我慢する教育をさせられている

「トイレすらも自由にできない…」のは、障害があって他人の介助がないとトイレに行けない人だけだと思っていました。

講師活動で専門学校などで授業をしていると、専門学校などのルールには、「授業の途中でトイレをしたい、水分を取りたいときは、先生に断ってからしてください」という決まりがあることを知りました。しかも、体調が悪かったり、下痢などの急なトイレだったりした場合に許されているような雰囲気もありました。

正直にいうと、勝手に言って、勝手に戻ってきたらいいし、飲み物を自由に飲んだらいいと思うのです。席を外している間に先生の話を聞くことができないのは仕方がなく、その間に何が話されたのか、気になるなら友人に聞いたらいいのです。

そういえば、小学校から高校生までの間も、授業中はトイレに行かないようにしてくださいという「暗黙の教え」みたいなのがあった気がします。確かに、授業は最初から最後まで聞いたほうがいいと思いますが、そこが問題というよりは、「トイレに行くことは恥ずかしい」という風潮があることが、大きな問題です。

「あいつ、授業中にトイレ行ったよ、うんこしてんじゃね?」みたいな。

中には、授業が面白くなくて、席を立つ人もいると思います。ずっと同じ場所にいることが苦しくて、手を洗いにだけ行きたい人だっているでしょう。そういった人々(子どもたち)をルールで規制してしまえば、先生方は滞りなく授業ができると思いますが、それぞれ色々な事情があることをわかってほしいですね。

そんなに気になるのであれば、先生の方から「授業中も、気分が悪かったり、トイレに行きたかったり、水を飲んで気分を落ち着けたいなら行ってもいいです。ただし、先生がこの勉強をしっかり教えられるのは、授業中だけです。聞けなかったところを、自分から友達に聞いたり、先生に聞いたりしながら、自分で知識をものにしてください。みんなもそういう時はお互い様だと思って協力してください。もし、授業を受けていたいけれど、先生の言い方がわからない、環境が落ち着かないのであれば、言ってください。改善するように努力してみます。」と伝えればいいのです。

そうすると、「暗黙の教え」から逸れてしまうように見えても、そのことをからかったりする人はいないはずです。なぜなら「暗黙の教え」がなくなるからです。

介護の仕事中は、トイレをしてはいけないのか?

これまで私の介助に入ってくださっていた方が、正社員の仕事に就くために、高齢者の施設に就職しました。たまに遊びに来てくれて、仕事の様子を聞くのですが、「仕事中は、ほとんどトイレに行く時間がない」というのです。

彼女は「みちこさんに、『トイレ行きなさい、水分取りなさい』って言われていたおかげで、新しい職場でも『トイレ行きます!』と強く言うことができました。長く働いている方は『膀胱炎に何回もなっている』と言っていて、これは言っていかないと!って思いました。」と話していました。

私は、その話を聞いて、膀胱炎になっていてさえも、本人も「仕方がない」と済まされていることに、驚きました。

彼女には、「自分が我慢していれば、いつか体調を崩すし、自分が我慢していることを、相手にも同じように我慢させてしまうのが人間なのだと思ってくださいね。」と伝えておきました。

障害者のみんな、トイレに行くことは、全然悪くないんだよ!

障害者に限ったことではありませんが、私が子どもの頃に「トイレは何回も行くものではない」と周りの大人の態度で教わって来たように、障害があって助けが必要である人ほど、そう言った影響を受けやすいと思います。

その「周りの大人」は、子どもの頃に「トイレは断ってから行くものだ」ということを教わってきた可能性が高いです。

その「暗黙の教え」が代々受け継がれて、日本の教育がその考えをさらに強くして、子どもたちの「からかい」の要因になっていく。障害者は肩身の狭い思いをしながら、生理的欲求であるトイレの時間を調整することになる。介護で働く人々も我慢して、高齢者や障害者の介助をしている。

そう言ったことが、循環されて起こっているのだということに気がつきました。

だから、声を大にして言いたい。

トイレは我慢しなくていい。

そうしたら、集中力もつき、相手をいたわる心の余裕が出てくるから。

POSTED COMMENT

  1. Nami より:

    内容にとても共感しました。
    仕事中に水分補給をしにくい、トイレに行きにくいというのは医療の現場では特に顕著かと思います。
    仕事中でも1〜2時間に1度くらいの間隔で、水分補給をする、トイレに行くというタイミングが設けられたら良いのにな〜と思いました。

    • 必ず必要なトイレの回数以上はできるように、働き方改革をしてほしいですね。
      やっぱり誰も我慢してはいけないことです。
      トイレに行く権利!
      大切だと思います!

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