講演

恋愛だって応援する理学療法士になってください

最近は、降る雪の量が多くなってきました…。先月までは「今年は雪の量が少ないなぁ、楽だなぁ」と思っていましたが、やっぱり一年に降る雪の量は変わらないようです。せめて雪が固まれば、車椅子でもなんとか動きやすくなるので、そうなることを祈るばかりです。

先日は、北海道恵庭市にある北海道文教大学に行ってきました。理学療法学科3年生(90名ほど)に、障害者の立場から理学療法士に臨むことや、障害者がどういう暮らしをしているのかを話してきました。

「その人それぞれの人生につながるリハビリを考えられる人になってほしい」

学生さんは、講義で体の隅々までの機能を頭に叩き込んでいくといくと思いますが、足やまたをどれくらいの角度で伸ばせるか、指先の機能はどこまで回復するかなど数字の記録だけを改善させることが目的ではありません。

病気や事故で、体のどこかの機能が損傷した場合に、どこまで回復できるか、回復できなければ、他の体の部分をどう使ってその動きを助けるのかを測ることは必要かもしれませんが、その前に本人にとって失ったものがあることを忘れないでください。

それは、「生活や社会との関わりを、これまでのやり方ではうまくできないこと」。

ビジネスマンで、パソコンを使ったり、お客さんとの接待で話をしたりしてきた人。

オシャレや化粧がものすごく好きで、毎日のように綺麗にして出かけていた人。

ラグビーを真剣にやってきた人。

友達と遊ぶのが楽しい時期の真っ只中にいる子ども。

などが足や手を思うように動かせなくなった場合、大きな事故で言葉を理解したり、話したりすることが難しくなったりした場合に、築いてきたことができなくなる恐怖感が襲います。

私がもし目が見えなくなってしまったら、絵を描いたり、海外に行って新鮮な景色を見たり、仕事での事務作業もしづらくなるでしょう。生き方を変えなくてはならなくなるかもしれません。私なら鬱にしなってしまうかもしれません。

もし、目の前の理学療法士さんが、色々な生き方をしている人を知っていたり、環境の工夫次第で諦めなくても済むことも多いことをわかっていたら、これからの希望が見えてくるかもしれません。

登壇者には、私の他に、同じく脳性麻痺の男性と、建築士で住環境をコーディネートをしている方がいました。文教大学の横井先生、登壇者3人のディスカッションの中で、「最初の早い段階から、脳性麻痺は大人になると老化が早いとか、電動車いすを使っている人がいるとか、情報は何でもあった方がいいですか」という質問がありました。私は、脳性麻痺とは一体何なのか、どうして装具を履いてギチギチに固めてリハビリをしなくてはいけないのか、股関節を切る手術が必要だったのか、幼い頃は知らされないまま、流れに任せるしかありませんでした。子どもの時、もし先生の言葉の意味がわからなかったとしても、「〇〇ちゃんの体のことだから説明するね。」と向き合ってくれるだけで、「自分の体は大切なものなんだ、自分抜きに何かされることはないんだ」という思いは残ると思います。たとえ、子どもの時にわからなかったとしても、大人になってからも説明を受けて、徐々にわかることも出てきます。

そして、もしアドバイスを受けたとしても「決めるのは自分である」ことが大事です。私は小学生の時は電動車いすを使わせてもらえず、手動の車椅子をこげるように練習してきましたが、実際の学校生活では、授業の移動や友達の歩きに追いつくほどはスピードは出せなかったので、私の人生と、先生から求められているリハビリは合っていませんでした。その時に「電動車いすを使う」という選択肢があれば、私はそれを選んで、友達に押してもらわずに、横に並んで喋りながら歩いていたかもしれません。デパートでの買い物も、「わぁ、これ欲しいな!!」と言って、欲しいものに向かって駆け込むこともできたかもしれません。

もう一つ大切なテーマは「障害者が直面する恋愛の壁」です。映画「こんな夜更けにバナナかよ」で、筋ジストロフィーで体の筋肉が衰えてきている鹿野さんが「動くことができれば、このまま抱き寄せることができるのにな…。」と、みさきちゃんに悔しさを隠しきれなかったシーンがありました。

もう一人の登壇者の脳性麻痺の男性は「付き合っているのに、すぐに会いに行ってあげられないことが悔しい。」と話していました。私は、「トイレ介助などにヘルパーさんが必要なため、付き合う前の段階や付き合ってからも、二人きりになれるチャンスはヘルパーさんと打ち合わせして作らなければならない。」と話しましたが、私を好きになりそうな人も、そんな面倒なことに巻き込まれる(笑)ので、相手にとっても壁になってしまいます。せっかく好きになりそうだったのに!と悔やむこともしばしばです。

日々の生活で他人の手が必要な場合、自分だけの秘密「プライバシー」が保てなくなるのも、大きな悩み。横井先生が「確かに、理学療法士の立場から、体の隅々まで観察することになるけれど、相手にとっては『隅々まで見られる』ことになりますよね。」とおっしゃっていたように、「常に見られる対象」となってしまい、見る側はそれが当然となってしまったり、見られる側もそれに慣れなくてはいけないと思い込んでしまいます。

自分は一人の人間であり、私は女性で、自分の体のことは人に勝手に見られていいのではなく、No!と言えるのだ。受け身である必要はないと思います。

もし、化粧が好きな人が手に障害を負ったら、自分で化粧ができる道具を開発すればいいし、パソコンだと、今は声で文章を打てるようになっています。どんなに重い障害を負ったとしても、ヘルパーさんを使って普通のマンションで暮らすことができます。

目の前の生活の困難さを優先しなくてはならないために、恋愛は置き去りにされがちですが、好きな人と映画を観に行く、夜景を見に誘う、体を抱き寄せるなどといったことも、リハビリで考えられることが理想ですね。映画館に行くことや、食事代を自分で払いたい時にクレジットカードをスッとスマートに財布から出すこと、体を優しく抱き寄せることを、どうやって行うか?を考えるのです。

もちろん、いきなり恋愛の話をズカズカと聞いては失礼に当たりますが、信頼関係を築き、たくさんの可能性を知っている理学療法士を目指してほしいと思います。

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