本・映画・作品の感動

映画「37セカンズ」を観て

23歳の脳性まひの女性を主人公にした「37セカンズ」を観に行った。その主人公の役を、脳性まひの女性・佳山明さんが初女優として演じている。この映画の内容についてはインターネットで確認していただくとして、ここでは私なりの感想を書いてみたいと思う。

1日一本のみの上映は、いろいろな意味で貴重だと思った。

私は、この映画が全国レベルで公開していること、そして札幌でも大きなシアターで上映されていることに驚いた。こういった障がい者のリアルな映画は、小さなシアターで終わってしまうことが多い。

たしかに、主人公は障がい者で女性、さらに女優も障がい者で、しかも性がテーマとなっている。それなのにも関わらず、全国上映までになったことがすごいと思った。有名な俳優さんやアイドルが主役を演じれば、「観客は多かった」かもしれない。でも、監督が目指していたのは「感動作」ではなく「リアル感」であった。そのために、実際の障がいのある女性をオーディションで選んだ。

札幌では、平日の朝9時に一本、土日の夜8時に一本と、最初か最後のプログラムだった。1日の上映が少ないことについて意見は分かれると思う。私は、それは妥当だと思う。シアターの規則で、生々しいセクシャルな描写の映画の上映について、そのほかの映画と同じ基準で回数を定めているのだとしたら、かなりエッチなところが多いからだ。

ただ、性浴を誘うための映画ではないため、その映画の背景をたくさんの人に観てもらいたい作品であった。観客が少なかったことが残念だった。その映画で描かれていることは、一体なにを表しているのか?ということを考えていくことで映画の良さが引き立つような気がした。

女性監督HIKARIさんが、観客に魅せたかった
「そのままの描写」によって本当にリアルな映画を作られた。

いろいろな視点からの感想が私の中にあるのだが、すぐに頭に思い浮かぶ感想は「感動作ではなく、人間そして女性としての美しさを表す映画」だということだ。映画を観た後に、この映画が女性監督によって作られたものだということを知った(まったく知らない状態で見る私(笑))。

最初のシーンで、23歳の主人公ユマは、外出から帰ってきたとたんに、過保護なお母さんにお風呂に入れられるところから始まる(しかも一緒に母も入る)。自分の意思とは関係なく、まだ陽のある明るい時間に入浴と食事が終わるシーンだ。その着替えのシーンをリアルに表現したところが、この映画(監督も佳山明さんも)の大きな冒険、いや、挑戦の「はじまり」ように見えた。

そのあとは、ユマが、社会的に仕事やセックスのいろいろな場面で、障がい者として邪険に扱われるシーンがある。その中で、殻を破ろうとしていくユマの姿が、最初の「受け身で脱がされるシーン」と比較して変わっていくことになる。

しかも、劇的に変わったのではなく、「変わっていく過程にいる」ということがさらにリアルである。

女性監督のもとで作られたことで、人生の中のセクシャル(性)とともに、「障がいのあるユマ」を取り巻く家族の過去と未来、人生を変える仲間の存在など、いろいろな要素がそろっているのに、余すことなく伝えてくれた映画になったと思った。

飛びだそうとする娘を引きずり戻そうとする母。
「障がいのある娘への過保護」のウラにあるものとは?

ユマの母親は、たんなる「障がいのある娘の心配をする過保護な母」ではなかった。ユマに障がいがあるというだけで(それだけではなさそうだが)、家族が複雑な思いを持ったまま、ある事情で離ればなれになった。そのために何かを背負っていた。

ユマと母親とのバトル。「ユマは何もできないでしょ!」と引きずり戻そうとする母親に、負けないユマの行動。

私は、「障がいがあると何もできない」と思わせる、社会の目に見えない抑圧が、この親子バトルを起こしたと思っている。ここで「障がいのある子を守りたい過保護な母」という感想だけを持つのは、もったいない。

少しマニアックな感想だと思うが、「あるシーンの誰か」が過保護な母親をハッとさせた言葉を話したところが、一番おもしろかった。ほんの一瞬の登場人物が、さらっとまともなことを言ったので、私はトリハダが立つくらい、このシーンの貴重さを感じた。しかも、その後も、母親の心配が止まらないところもリアルだ。

ユマの「新しい選択」の背中をおす、
どこまでもつきそう、仲間の存在。

ユマは、それまで、母親と医療の先生、ゴーストライターとして雇ってくれている友人という人間関係の中だけで生きていた。それでも、ずっと取り組んできた漫画家として絵を描くことを通して、もっと外へと向いていたのだと思う。

どんなに閉鎖的な空間や環境にいたとしても、夢中になって取り組むことをひたすらやっていくことが、かなり大切だと思う。そこから必ず、どこかへたどり着く入口をつくっていくのだと思う。

そして、障がいがあると、福祉や医療という考えの中だけで、人生を送ってしまいがちであることを知っておくべきだ。本当は、その外側にいる「誰か」が、友人として、恋人として、セックスワーカーとして、通りすがりのアドバイザーとして助けてくれる。

母親の「ユマは自分で逃げられないのよ、危ないじゃないの!」という心配は、外に出れば出るほど、起こりうる可能性は高くなる。しかし、そこを超えないと、予想もしなかった重要な仲間と出会うこともなくなる。

この映画を観て考えさせられることは、それを含めて、「どういうふうに生きていきたいのか」を追求していくことだ。

どういう展開になるのか、
これほどまで予想できなかったのは初めてだ。

映画を観ているときに、「これは、ここからどういう展開になるのだろう?」とわからなすぎて、まったく飽きなかった。よく、障がい者が主人公の映画はこう終わるよね、という感想を持つのだが、ピークな状況から終わりまで、どういう方向になっていくかが、進んでいくほど予想がつかなくなる。

正確に表現すると、予想しようすると「そうきたか」と期待を裏切る。

最後は前向きになる終わり方だったが、あくまでもリアルな終わり方。
その終わるまでの間のシーンが大切なのだと思う。

佳山明さん、ありがとうございました。

佳山明さん自身も、主人公と同じ障がいがあったため、いろいろな葛藤もあったと思う。障がいがあると、多数派となってしまっている健常側の世界で、一方的に観られてしまうことが多い。そこでの精神的なプレッシャーはかなり大きい。

それを逆にみせて(見せて・魅せて)映画の主役として表現してくださったことに感謝だ。

そして、SNS断ちをしてしまったために、この映画の情報を私のヘルパーさんに教えてもらうまではわからなかった。私は、情報をキャッチしたら、すぐ行動しなければ、あとはないと思って、すぐに映画を観に行く手はずと整えた。

札幌は、どっさり雪が降っているために、思い立ったときに自分で外に出るということはできない。それでも、3日後には観ることができ、すぐに感想をアップすることができた。

もっと知りたい方はこちら↓

映画「37セカンズ」公式サイト

映画「37セカンズ」HIKARI監督、佳山明さん、大東駿介さんへインタビュー

【HIKARI監督インタビュー】映画『37セカンズ』障がい者の主人公を通してすべての“人間”に届けたいメッセージ

POSTED COMMENT

  1. 四万十の晃ちゃん より:

    こんにちは、体調のほうはどうですか。
    風邪ひかないように頑張りましょう。

    • いつもご覧いただきありがとうございます!
      なんとかやっていますよ!
      一番、風邪の引きやすい季節ですので、
      お互いに気をつけましょう。

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