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CD断捨離で昔の自分との「ちょうど良い切り離し」

「大切な思い出だから取っておこう」と思っていたものを手放すことに決めた。20年以上前の中学生や高校生のときに買っていたCDたち。ずっと実家の私の部屋に放置していたが、きちんとCDケース(まとめて入れるBOX)に入っていたので、何も確認しないで「これは大事なものだ」と脳みそが認識していたのかもしれない。

手放したCDたち。並べてみるとアートみたいだ。

 

中学生時代は、CDラジカセ(この言い方古い…)を机や棚に置き、その目の前にずっと座ってCDを聞いていた。なぜかヘッドホンをつけずに、スピーカーの穴の並びを凝視するほどに顔を近づけて、そのときに聴きたい曲をひたすら流していた記憶がある。実家にいたときは、母親に頼み、ラジカセを自分の机の前に移動していた。そのときは、電動車いすを持っていなかったから、自分で動けなかったのだ。中学生からは実家から離れて病院や寄宿舎で生活しながら、廊下を渡って学校に通っていた。学校から帰ってきた後や、週末に帰省せずに寄宿舎に残っているときに、音楽に没頭していたことが多かった。

CDを片づけて思ったことは、音楽そのものよりも「CDと私の思い出」が大切であるということ、なので逆にCDそのものを取っておく必要がないということだ。昔聴いていた音楽は、今やインターネットでいつでも聴くことができる。しかし、CDをケースから取り出してスイッチを入れる自分の姿は、片づけをしていなかったら思い出さなかったかもしれない。そして、今はそれを思い出したので、CDたちとは「さようなら」できるようになった。

つい最近、養護学校の先生からLINEでメッセージをいただいた。「年賀状控えます宣言」をしたら、わざわざお返事をいただいた。私の都合で辞めたのに、新しい風のようなものをいただいてありがたかった。中学・高校当時の私を今でも思い出すが、それはすでに今の自分と切り離されている。

そんな変化は、おそらく急にやってのけたのではなく、10年以上かけて「今の私」を生きようとしてきたら自然と起こったことだと、今になって思う。昔の自分との「ちょうど良い切り離し」ではなく、もう思い出したくないという「全否定による排除」が最初はあった。そこから少しずつ「ちょうど良さ」を見つけるまでは、相当の時間がかかった。と思いきや、人生80年以上と考えると、大した年月でもないことが笑いネタである。

今を生きる、なぜ大切なのかを少しわかった気がする。

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