つぶやき

毎日、地味だけど

今、普段は、ほとんど家にいて、地味に作業をしている。

原稿書き、オンラインで日本語教師をしたり、オンラインで福祉の講演をしたり、
オンラインで友人と話したり、障害者運動の会議に参加したり、
合間に料理をして、筋肉ストレッチして、時々、本を読んで、お菓子も食べて。

 

20代の時はとにかく外へ、外へ、友人、人脈、たくさんできた。

と言いつつ、私の人生の大半は「ヘルパーさんとのお付き合い」。

 

30代は、前半までは仕事に、ヘルパーさんのマネジメントに
精魂(せいこん)尽き果て、外部との交流はほぼ途絶えた。

そんな中でも、「ヘルパーさんとのお付き合い」はずっと続く。

 

30代後半は、関西へ。
これまでの北海道で築いてきたことを投げ打って、
もう戻ることができないかも、という覚悟で、
生活を0からスタート。

私の中から出てくる言葉が、少しずつ自然になってきた。

何もかも手放したおかげ。

もちろん、「ヘルパー生活」は手放せない。
手放せないものがあるからこそ、手放せられるものは手放そう。
最近はそう思っている。

 

だからこそ、大切にしなきゃいけないことが見える、そう信じている。

 

10数年ぶりに、友人が「会いたい」と言って、関西に来てくれた。
一緒にバングラデシュに行った友人のうちの一人。
会った瞬間、久しぶりな感じがしなかった。
時間が一瞬で、あの時に戻った。

でも、実際には月日が経っている。
お互いに。

自費出版『ウンチを出して「車いす」を脱ぐ』の宣伝をきっかけに、
その友人と連絡を取りはじめた。

「みちこさんが、どんなことを感じてきたのか、全然知らなかった。

もっと知りたいと思った。」

本に書いたことは、当時会っていた時、
話したことは一度もなかった。

それを知ることができてよかった、と言ってくれた方が他にもいた。

 

「抑圧されていたこと」「もがいていたこと」「自分を取り戻そうとしたこと」

私は、どれもほとんど話してこなかった。

日々、いつもの生活の時間が流れている中で、
これらの話は時間をストップさせてしまう気がした。

日々、生きていかなければならない。

それに執着していたら、前に進めなさそうだった。

 

正直、無理に話さなくてもいいのだと思う。
その代わり、書き留めておく。
過去においていった大切なことに、いつか気がつく。
気づく人は、自分かもしれないし、友人や他のだれかかもしれない。

 

そして、こうして会いに来てくれる人がいる。

 

人生の8割以上は地味なことの繰り返しだと思っていても、
いつもの生活の時間の流れの他に、
「大切なものを探す時間」が流れていて、
「人生を彩る大切な人」に会えるのかもしれないと思った。

 

そう思うと、毎日の地味なことは、
自分の体や気持ちを作って、大切なものを探す原動力になるんだって気がついた。

 

だから、日々をできるだけ大切にしよう。

そう思えた、友人との再会だった。

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