先日、いちご会の小山内美智子さんに「どんどん書くのよ。あなたらしく、内側からこみ上げる自然な言葉を書くのよ。良いから書け!」と叱咤激励をいただきました。「私たちは書くのが仕事よ。」と、本を何冊も出してきた小山内さんは、全身を振り絞って言います。
相模原での殺人事件が起こって3年が経とうとしています。今でもあのニュースを見たときの衝撃は忘れません。そして、今月には札幌市東区で、ホームヘルパーに一人の障害者の命を奪われました。私の利用している事業所の責任者の方もショックを受けていました。「これは全く他人事ではない。人間だから色々な感情がある。長く入れば入るほど見失うことが出てくる。しっかりと振り返っていかないとならない。」私は、責任者の方に「ご自身の経験から、ヘルパーに何を求めるのか、どんなことを考えていくべきか話してほしい。」と頼まれました。
いつも時々思い出すのは、以前利用していた事業所から派遣されたヘルパーに(殺されるかも)と思った出来事です。その方は、表情が人形のように無表情になり、魂がないような目をしていました。その時初めて、在宅介助の恐ろしさを知りました。密室で二人っきりで、誰か第三者に駆けつけてもらわなければ、いくらでもやられてしまう恐怖。少し前から様子がおかしいと感じて、責任者に話しても「(代わりに勤務できる)人がいないから、変えられない。」と聞いてくれなかったので、もう一つ鍵を郵便ポストに忍ばせておき、何かあったら連絡するからと他のヘルパーと打ち合わせをしたこともあります。案の定、「これを冷蔵庫にしまってください。」と頼んだだけで、は?とキレてきたのです。これはやばいと、もう言葉は出てきませんでした。
そのヘルパーは、介助がうまくて、最初は表情も豊かでした。「やってあげたい」という気持ちが強く、弱い立場の人を守ってあげたいと思うとも話していました。色々な人との関係の中で、自分が生んだ赤ちゃんや小さい動物、愛する恋人に対して、自分のもののように、そして弱いものを暖かく包むように、守ってあげたいと思う感情が出てくることは誰にでもあるでしょう。しかし、それを何も抵抗ができない障害者に求めることは決してやってはなりません。その反動で「なんでこんなわがままを言うんだ。」と嫉妬されることもあります。
ヘルパーを利用する側は、ヘルパーが働いている時間内で、生活に必要な頼みたいことを頼んでいるに過ぎない。人間ですから、会話の中で仲良くもなれば、怒ったりすることもあります。しかし、トイレに行く、ベッドに寝るときに、その感情を表に出して、荒くなってはいけないのです。その瞬間、私はもうその人には来てほしくないと思います。
人の助けが必要であるほど「顔色をうかがって」しまいます。私の友人にも、十円ハゲができたり、胃潰瘍になったりした人がいます。ヘルパーがやりやすいように介助を頼むことは、自分の人生を他人に決められているのと一緒です。たとえ、そのようにしても、「とても仕事に入りやすい障害者」と間違った評価をされ、そういうことを求めているヘルパーが集まってくるのです。生活には困らないかもしれない、でも、その障害者本人の生活ではなくなってくるのです。
中には、「無理難題を押し付けてくる障害者はいるよ。」と思っている方もいると思います。私も以前はそうだったと思います。自由に外出や夜更かしや、友人と遊びに行くことや、秘密を持つこともできない状況の中で、「健常者はなんでもできるでしょ。これくらいやってよ。」と言いたくなっていました。ヘルパーは自宅に帰ったら、自分の生活に戻れるのに、私は一生、他人の顔色を伺って良い人でなければならないとひがむこともありました。
人手不足の中で、選り好みをしている状況ではないのが現実。しかし、以前の事業所を辞めて、全く新しいヘルパーチームになってから、自分のライフスタイルを応援してくださる方は必ずいることも学びました。そういった出会いがあったからこそ、ヘルパーを信じて、無理難題を押し付けなくても満たされることを知ったのです。
ヘルパーの事業所自体が、人手不足のために、ヘルパーの顔色を伺って「障害者の方の契約の条件を厳しくする」ことも出てきている気がします。本来は必要だから契約したいのに、「いきなり外出されても困る、一週間前に言ってください。色々なヘルパーさんがいるので、なかなか理解してもらえない。」とある事業所の責任者は言いました。事業所側が利用者を選ぶ時代になってきました。
どうしてヘルパーが必要なのか、利用者とヘルパーの希望の折り合いをどうやってつけていくかを真剣に考える時間が必要です。もちろん、無理のない働き方と無理のない利用の仕方について、個人の責任だけでなく、今の福祉サービス制度から変えていく必要もあると思います。
これは全く他人事ではない。
それしか言葉は出てきません。
追記:今回の事件の真相を安易に想像することはできないため、あくまでも私の経験から述べています。(2019年8月5日)