私は今、全く新しい環境にいる。3週間前、雪が降り始めた北海道から、ほとんど逃げてきたと言ってもいいくらいのタイミングで関西へと移動した。旅行には来たことがある。しかし、コロナで旅行は避けなければならない。だから、もちろん旅行ではない。生活を丸ごと変えて、移住してきたのだ。

2年前、いや、本当はもっと前から、北海道以外のところに住んでみたかった。相談員の仕事を辞める直前、2年前の12月2週目に、あまりの頭の痛さに救急車を呼んで運ばれた。寒さで、脳性麻痺の緊張も強くなり、さらに頭痛をしやすい体のために、悩んでいた矢先のことだった。仕事を続けて自分のお金を稼ぎたかったのに、体を壊し、悔しい思いをして仕事を辞める決断をした。仕事で疲れて帰ってきた後に、ヘルパーさんのシフトを作ったり、欠勤が出たら調整したりすることが多く、それを当たり前のようにやってきたが、限界が来ていたようだった。
今になって、本当はもっとSOSを出していけば良かったんじゃないかと思う。過去に、学校や介護の職員に「自分でできるようにならないとダメだ」「やってもらうのは甘えだ」「それでは自立できない」と、子どもの頃から言われて、刷り込まれてしまった。社会人になった後も、ヘルパーさんに「せっかくやっているのに感謝されない」「良いように使われている」と影で言われていたこともあった。精神的に病んでいる人(自身も怖い表情をしていることを理解していない)や、不思議なものを見るかのように人の物をのぞいてくる人などがヘルパーとして放り込まれて、私の自律神経がおかしくなったこともあった。
最後に調子が悪くなってきた時期も、その様子を見るのが辛いと思っていたヘルパーさんもいたり、私の体調の悪さを知らずに、自身の不満を私にぶつけてくる人もいた。それに反応することさえもできず、ただただ、今以上に悪くなることを避けるので精一杯だった。そうして、良い関係を築いていたヘルパーさんも辞めていった。人に甘えることさえもできない、余裕のない私だった。悪循環は、自分の力では直すことはできないものだ。
北海道を経つ前の半年間、ヘルパーさんの体制が安定し、何も悩まされることがない平穏な日々を送ることができた。その時には、コロナがしばらく続くことがわかっていた頃だった。北海道にいる友人とも、コロナの影響でろくに会えていないし、新しい土地で暮らすことを始めていこうと決めた。新しいことをやってみようと思えるのは、平穏な日々があるからこそである。
今、関西にいる。ヘルパー事業所の方々に歓迎されて、新しい生活のスタートを切った。もうすでに、ヘルパーさんの確保をしてくださっていた。北海道から飛行機に乗って、関西の空港へ着いた瞬間から、正職員の方々が中心になって、介助の研修をしてくださり、慣れない新しい部屋での介助の方法を一緒に夜中まで模索してくださった。私がヘルパーさんに気遣う姿を見て、苦労してきたことを察して、これからは自分の人生を送っていきましょうと言ってくださった。
北海道でたくさんの思い出を友人やヘルパーさんと作ってきた。これからもお付き合いしていきましょうと言える人がたくさんいる。
今は、これまで付き合ってきた方々とはまったく違っていて、オープンな方々ばかりだ。そして、話すスピードも反応も早いから、1時間の会話で、ドラマができそうなくらい内容の濃い話ばかりだ。
荷ほどきや介助の研修などで忙しいはずのこの3週間が、ゆったりとした時間の流れの中で、いつの間にか終わった。
これから、どんなことが待ち受けているだろうか。
楽しみで仕方がない。
あけましておめでとうございます。関西の移住されたんですね。
体調くずさぬようお気を付けください。
あけましておめでとうございます。
関西に移住されたんですね。
ブログ更新されていなかったので心配しておりました。
体調崩さぬようお気をつけください。
あけましておめでとうございます!
ご連絡もいただいていたのにお返事が遅くなってしまいました。
そうです!移住しました。準備やらなんやらで忙しく、更新もできていませんでしたね。
お気遣いいただいてありがとうございます。
これからも末長らくよろしくお願いします!!