障害のある方へ

ヘルパーを利用しながら、いかに自分の時間を作るか

ヘルパーを利用している人の悩みには、いろいろあると思いますが、今日はそのうちの一つ「どうやって自分の時間を作るか」という悩みについて書いていきたいと思います。(※ここでは、何度もヘルパーさんのことが出てきますが、特定のヘルパーさんを指すわけではないので、統一してすべて「ヘルパー」と表現します。)

私は、今日も、明日も、いつまでも、生きていくために、ヘルパーを利用しています。介助が必要な人にとって、ヘルパーが利用できることで、トイレをしたり、食事をしたりして、自分の生活を送ることができるようになります。ヘルパー制度が昔よりも改善され、入所施設などの決められた場所で住む必要がなくなりました。どんなに障害があっても、近所のスーパーに行ったり、交通機関に乗ったり、学校や職場に行って社会生活を送ったりできるようになりつつあります。

しかし、「やっと、障害のない人と同じようなことができるように変わってきた」だけなのです。しかも、本当に「初期の段階」にきたのであって、「これで幸せでしょ」ということは決してありません。私も含めて制度を利用している本人も、ヘルパーが利用できるようになって「良かった」と終わるのではなく、この先にあるもっと重要なことを言葉に出していくことが大切だと思います。

その一つに、「自分の時間がなかなか持てない!」という悩みを叫びたいと思います。常に介助が必要であればあるほど、ヘルパーさんと一緒にいる時間が長くなります。呼吸気をつけなければならない人や、トイレに必ず介助が必要な人などは、介助をしてくれる人がそばにいなければ命にも関わることをよく知っています。

それでも、そう、それでもです!

ひとりになりたい

そんな希望を持っています。

「ひとりになる」ってどういうことだと思いますか。

家族やパートナーと住んでいる方は、たとえ親しい関係であっても、「ずっと一緒にいることは勘弁してほしい」と思うことはありませんか。友達がいる方は、友達がいないと寂しいけれど「ずっと話をしていたいとは思わない」し、友達と遊んで楽しいけれど「遊びが終わって家に帰ったら、ほっとした」と思ったことはありませんか。通学や通勤中に、目をつぶって電車に揺られて時間を過ごしたり、喫茶店でコーヒーを飲んでボーッとしたり、本を読んだり。ずっと人と会って走りすぎたら、冷静になって考えられなかったことが、ふと静かにひとりになった時に、冷静になって振り返られることも多いのではないでしょうか。

介助が必要な人は「忙しい」と、私は本気で思っています。

ヘルパーは、家族でもパートナーでも友達でもありません。もちろん、家族のように、パートナーのように、友達のように関係を作ることはあります。でも、一緒にいる目的は「介助」なのです。だから、どうしても「何をするか」「何をしないか」を考え、ヘルパーに伝えなくてはいけない。「何もしないでほしい。ひとりでボーッとしたいから」と宣言しなくてはならないのです。

自分でできるのであれば、「自然に流れるように時間を過ごす」ことができるのだと思います。この感覚をどう説明したらいいのだろう???いつも悩んでしまいますね。例えば、外出から帰ってきて、「あ〜、もうすぐにでもビールが飲みたい。」と思ったら、靴を脱ぎ捨て、手をささっと洗って済ませ、冷蔵庫を思いっきり開けてビールを取り出し、プシュッと音を気持ちよく立てて、ぐいっと飲むといったことが自然にできるわけです。そこに、もし人の手が必要な場合、どうなるでしょうか。

靴を脱ぎ→ヘルパーに「靴どこに置きますか。」と聞かれる

ヘルパーが手を隅々まで洗ってくれる→「ちょっと急ぎたい…」と伝える

冷蔵庫からビールがほしいことをヘルパーに伝える
→ヘルパーに「どのコップにしますか。」と聞かれる

など、一つ一つの動作に、ワンクッションやりとりが増えますね。もしコミュニケーションがうまくいかないときは、さらにやりとりが続きます。そのほか、すべての動作に「ヘルパーとのやりとり」が必要になってくるのです。

もちろん、毎回新しいヘルパーが来るわけではなく、同じヘルパーがシフトで来て、本人の物の位置や介助の順番を覚えていくので、一つ一つを毎回伝えるわけではありません。その点で、ヘルパーはその障害者の生活をスムーズにするプロになっていくわけです。

でも、一生の中で、毎日ずっと同じやり方はしないし、気分によって違ってきます。

ヘルパーを利用することで、決まったことや必要不可欠なことは、毎日できると思いますが、「無性にビールが飲みた〜い!」という本当の人間味」の部分を出すには、その気持ちを出して、ヘルパーに動いてもらうエネルギーが必要なわけです。

その「本当の人間味」を出すには、「自分だけのひとりになる時間」が必要だと思っています。

介助をしてもらうという「目的」で、いつも関わっているヘルパーがいる空間では、利用する人はいつも「ヘルパーが帰る時間までに行う介助」のことで頭がいっぱい。24時間介助が必要な場合は、ヘルパーが交代すればまた、その方にあった伝え方をして、動いてもらいます。それか、それが毎日続いて空気のようになると、神経質になるのをやめて無神経になろうとすることもあります。ま、どちらにしても考えているということです。

その暮らしを毎日すると、日常のルーティンにハマらない「冒険したい自分」「だらだら何もしたくない自分」「泣き叫びたい自分」などなどなど…そういった自分をどんどん忘れてしまいそうになるんです。

それらのいろいろな自分を、どこでどうやって出していくか?

いろいろ悩みますね。

まずは、悩みの説明で終わってしまいました。

もし、読んでいただいて、何か感じる方がいましたら、コメントかメッセージをいただけると嬉しいです。

POSTED COMMENT

  1. のん より:

    ミチコさん、初めまして。
    静岡県在住、博子さんから数日前に、ミチコさんのホームページを紹介してもらい、何度か拝見してます。
    自分は脊髄歴約6年です。ミチコさんや博子さんと比べたらまだまだ経験値が浅いですが、同じ車椅子ユーザーとして、ミチコさんの存在が励みとなってます。

    • のんさん、初めまして。経験値なんて、まーったく関係ありません!メッセージには後日お返事いたしますので、お待ちくださいね。コメントいただきありがとうございました。今後もよろしくお願いいたします。

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