つぶやき

毎日ブログを書いて、変わったこと

毎日ブログを書いたのは、生まれてはじめてだ。この前、久しぶりに会った福祉業界の人に「最近何してるの?」と聞かれて「ブログを書いています。」と答えたら、「暇なんだね。」と言われた。ある友人には「仕事辞めたんだから、暇でしょ。」と言われた。確かに、仕事をしないようになって時間ができるようになったが、おかげさまで毎日が充実しているので暇な気がしない。今日は、毎日ブログを書いて変わったことを書いてみよう。

ブログと日記は違うことが明確に

ブログをひたすら毎日書くことで、頭がスッキリし、見ること聞くことの全てが新鮮なことのように思えてくる。ブログとまではいかなくても、日記を書くと良いかもしれない。でも、誰かに見てもらって、新たな出会いや相乗効果が出てくる方が、書いていて気持ちに張り合いが出てくる。今は、このままの流れで、書くことを仕事にできると嬉しいなと、夢みたいなことを思っている。

ブログは日記とは違うと思う。日記は、自分だけが見るものなので、どんな言葉で書いても良いし、多少わかりづらい表現でも、自分が読み返したときにわかれば良いのだと、書いたことに責任感は一切持たない。

でも、ブログは公にするものなので、ある程度は言葉を選んで使い、意味がわかるように文章を考えている。友人の情報など、公にできないこともたくさんあるので、感情任せに書くことはできない。イライラした状態で書くと、イライラするような言葉を使ってしまいがちだ。Facebookがあまり好きではないのは、感情をコントロールしづらくなってしまうからだ。とにかく、他の方の考えは一旦気にせず、自分の感性と経験でひたすら書いていく方が性に合っていた。

なんでもブログのネタになる

小さな話題だと思っていることでも、案外奥深いことの方が多い気がする。料理にしても、「レシピは、人の数と、生きている日数分以上に無限大ある」「ヘルパーさんに教えるときはクッキングスタジオになる」など、面白いキャッチコピーが思い浮かぶ。地下鉄のエレベーターで一緒になったおばあさんに、いきなり「障害者って大変だね〜」としかめっ面で言われたり、市電の職員のおじさんがとても声かけが上手だったので、ヘルパーに向いていると思ったり。

働いていて、気持ちが疲れていた頃は、全く気づかなかったことだ。本当は、働いていても、心の余裕を忘れないようにできれば良いのだが、どうしたらそうできるのか、考えてみたいと思った。みんな共通している悩みだと思う。

本を読むのが早くなった

書くことに慣れると同時に、本を読むことも毎日するようになった。自分の描く視点がわかってくると、他人の描く視点にも関心が湧いてきた。書くことがいかに難しいかを感じているので、他人の文章も丁寧に、かつ要点を追うようになっていった。英語を勉強するときも(最近やっていない(笑))、書く・読む・話すを並行してやった方が身につくと聞いたことがある。日本語の場合、私は、毎日当たり前のように話しているので「自分の日本語は大丈夫」と思いがちなので、やっぱり同じように自分の言葉を広げていきたいと思った。ちなみに、今は、たかのてるこさんの「淀川でバタフライ」を笑いながら読んでいる。これだけ笑わせてくれる本は初めてである。

ブログのせいで体が悪くなることはない

私は、障害の特徴として全身の筋肉に無意識に力が入るため、パソコン作業をやり過ぎてしまうと、体中がアスファルトのように固くなったり、さらには血行や呼吸状態が悪くなって頭痛と吐き気が伴う。私の性格上、そんなことは忘れて、「毎日ブログを書く」ことだけを考えていたのだが、体の変化は前と一緒だったので、パソコン作業自体が原因だったのではなく、作業の中身に問題があったのだと気がついた。ブログを書いているときは、足にそんなに力は入っていないようだった。なぜなら、今月は、足のむくみがほとんどなかったからである。今月はそこそこ調子が良かった。

このままウンチのように毎日出していこう

昨日、ブログでウンチの話をしたら、私の友人がそれに反応してくれて、ウンチの本を貸してくれることになった。相乗効果が早速出ている。毎日書いていったら、また良いことがあるかもしれない、そういった淡い期待を胸に、明日からも毎日ウンチのように言葉を出していこう。

初めて、スンドゥブを作った

POSTED COMMENT

  1. 四万十の晃ちゃん より:

    お久しぶりです。なかなか面白い表現ですね。これからも楽しみにしています。

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