尼崎市は、ほんまにおもろい、ほんで、人情が厚い人ばかりやんか〜。
ほんまやで、来てみぃいや!
尼崎市に移住して、丸4年が経ちました。
やっと夏の暑さや湿気の高さにも慣れてきて、大阪や京都、神戸などにも何回も行くようになるほど、関西を楽しんでいます。(意外に、気候に慣れるのも大変やったし、地理もようわからんから遠出も勇気がいったんよ)
今年は、グンっと変わったことがあります。
それは「尼崎への愛着が湧いてきたこと」です。
もちろん、引っ越してきた時から、「土地が変われば、全然、景色も人も違うな〜」と思うくらい、新しい経験、出会い、発見ばかりでした。
年月が経って、慣れてくるかと思いきや、おもしろい人、おもしろい出来事がどんどん舞い込んできて、同じところに住み続けることって、おもしろいんだなぁとますます思ったんです。
そう思わせてくれた場所の一つに、
「小林書店」さんがあります。通称、コバショ。
今年の5月31日に閉店をされましたが、小林由美子さん・昌弘さんご夫婦が、由美子さんのご両親の書店を継いで、合わせて丸72年も、町の本屋として、営まれていました。
「コバショ」は、みんなが気軽に集まれる小場所という意味もあり、実際に、子どもたちが絵本を求めに来たり、常連さんがジャンプを毎月買いに来たり、悩んだり考え事をしたりしてフラッと訪れて、由美子さんおすすめの本の話を聞きに来たりと、足が自然と「コバショ」に向かっていく、そんな雰囲気の書店さんでした。(私は昨年からのお付き合いですが、ドキュメンタリー映画で拝見しました→まちの本屋)
現在は、本屋さんを畳んだあとも、町の人が集うイベントをされています。
その一つが「ゆみこの部屋」。(黒柳徹子さんの「徹子の部屋」のようですね)
第3回目に、私を呼んでくださいました。

「どんな体も、私は私
〜ゆみことみちこが語り尽くす、心と体のこと〜
ままならない体をもつ3人が、人生のままならなさと、それでも笑って生きるために大切にしていることを語り合います。心はいつでもどこまでも自由になれる!」
というテーマで、
小林由美子(ゆみこ)さんと、社納葉子(ようこ)さんと私で、
女性3人のトークでした。
ようこさんの提案をきっかけに始まり、コバショの運営チームの方々のご協力で、
「ままならない体をもつ3人のおしゃべりをきっかけに、
だれもが抱える「ままならさ」を笑って語ろう」
という会を作ってくださいました。
ゆみこさんは体が傾いてきたのでカートを押して、
ようこさんは半身麻痺で杖をついて、
みちこ(私)は生まれつき脳性麻痺で車いすで、
それぞれのやり方で「歩いて」います。
『ウンチを出して「車いす」を脱ぐ』第1章に「どんな体も、私は私」があります。
(その一部を抜粋)
病院に何度も通ったり、手術をしたり、トイレや着替えなどの介助を受けたりしていると、「自分の体は他人のもの」という錯覚になる。最近まで、自分は障害のある体だから、仕方がないと思っていた。そう思ってしまうと、日々の生活も、人生そのものも投げ出したくなる。でも、そうじゃない。
どんな体であっても、私そのものなのだ。
これは私の経験から湧き出た言葉ですが、実は、「障害者」と言われる人だけじゃなく、どんな人も、自分の体そのものを受け入れたり、変化に柔軟になったりするのは簡単なことではないようです。
「ウンチ本」を読んでくださった、ようこ(社納葉子)さんは、打ち合わせの段階からも「体が変わることで見えてくる世界が違ってくる。自分も半身麻痺になって、景色や人とのつながりが変わって、それは悪いことばかりじゃなくて、いいことも見えてきたから、そういう視点で伝えたい」と話してくださっていました。
ゆみこ(小林由美子)さんは、「私が体が傾いてきて、お医者さんに診てもらった時に、『ずいぶん重いものを持って仕事をしてきたからですよ、最近はなかなかそういう人はいない』と言われた」というお話をされていました。
ちなみに、こちらのお話は、前のイベントでも何度かお聞きしていました。
そして、その続きの話が聞きたくなります。
ゆみこさんがお医者さんの言葉に、少し気が沈んでいると、「お父さん(夫)が『ゆみこさん、そうやって体をたくさん使って働いてきたから、小林書店がここまでやってこれたんだよ』と言ってくれて、過去は変えられないし、今も、がんばって働いている人がいるからこそ、いろいろなことが成り立っているんだ」ということに気がついたのだそう。
私は、そのお話を聞くたびに、私の介助をずっとしてくれた母や父のことを思い出します。私の介助で体を痛めさせていたら、申し訳ないと心のどこかで思っていて、ごめんねと謝ってしまいそうになります。でも、それよりも今、ここまでやってこれたことの感謝の方が大切なのではないかと気がつきましたし、同時に、心が救われたような気がします。
何事も無理し続けてはいけないと思います。
でも、大なり、小なり、自分の体やどこかを犠牲にして(一生懸命使って)、働いてくださっている。工事現場や清掃などのバックヤードで動いている人、世界中のお店の人々、医療関係や福祉関係の方々、役所の方々など、それぞれがだれかの役に立ってくださっているのだと。

最後の方では、私たちの話を聞いて、参加者の方々が「思い出したことがある!」と何度も手を挙げてくださいました。
ようこさんが「電車に乗った時に、優先席を使いたいので、最近は自分から『譲ってくれませんか?』と言うようにしている」とのこと。「なかなか自分から言う人がいないと思うので、私も前はそうだったし、自分から伝えてもいいんだよっということを示したかったし、気が付かない人もいるから気づいてもらったり会話できるきっかけになったりする」というお話は興味深かったです。
そこから、優先席について、「怪我をして松葉杖をついていても譲ってもらえないこともあった。でも、(ようこさんの話を聞いて)自分から『座りたい』と言えばいいんだって気づいた」「逆の立場で譲っても、断られることがあった」「見て見ぬふりをするより、自分から声をかけた方が気持ちええ」「もし譲ってくれた人がいたら、その人は勇気を出して言ってくれたんやから、ありがとうって言って座らなあかん」など、お話がどんどん広がりました。
あっという間に時間が経ち、参加された方全員の「ままならさ」をお聞きできなかったのですが、いろいろと紆余曲折はありながらも、やっぱり最終的には「楽観的になること、そやろ?」という雰囲気が部屋中にあふれていました。
「こういうふうに、話す機会がなかったら、思い出さずにスルーしてしまっていたかもしれないことを、話せてよかった!」というお声がありました。
私の話にも参加者の方々に興味を持って、時に笑って盛り上げてくださいました。
このコバショ自体が「ままならさ」を受け止めてくれる、そんな温かい場所なのだと改めて思いました。
笑ってほしいところで笑ってくれる、そんなアマ(尼崎)の雰囲気が大好きです!

コバショのみなさま、ゆみこさん、ようこさん、ありがとうございました!
あけますよ!!おめでとうございます。
来年は会って話したいね。
いいイベントだったんだね。
たくさんの人と話して、いろいろ教えてねー。
そのうち自然と「倫子の部屋」をオープンすることになるね。
ぜひ、ゲストで呼んでください。
ポッドキャストとか、いろいろ頑張っているけど
お体にはくれぐれも気を付けてくだされ。
ふぢさん、コメントありがとうございます。2025年が明けました。おめでとうございます。いつもブログやpodcastを気にしてくれてうれしいです。お互いにできることをやっていきましょう。