くらし

ヘルパーの補充に必要なアスリート並みの神経

先週から、新しいヘルパーさんの研修を行っている。これまで働いてくださっていたヘルパーの中で、他の仕事に就く人、大学を卒業する人、子どもの出産を迎える人などがいるため、新しいヘルパーを補充しなければならなかったのだ。

トイレや入浴、ベッドへの移動や寝返り介助などをやってくださっていたヘルパーさんが辞めることは一大事である。その事の大きさをどうやったらわかりやすく伝えられるかを、ポップコーンを食べながら考えた。

例えば、高い位置にあるものを取ったり、使ったりするときに、自分の背丈では届かないほど「踏み台」が必要になってくるとしよう。その「踏み台」がもし突然無くなったら、真っ逆さまに落ちたり、高い位置にあるものは使えなくなってしまう。その「踏み台」が無くなる前に、「代わりの踏み台」を隣に用意しておけば、そこに自分の身を移せばいい。「代わり」が見つかる前に、「踏み台」を突然抜かれたら、急な損傷を負うことになる。

もっと身近な例でいうと、みなさんが出かけるときに履く「靴(シューズ)」だ。人間の足は、コンクリートやいろいろなサイズの石、タイル、フローリング、何段もの階段などの上を長時間歩くようにはできていない。「頑張れば靴なしでも生活できる」と言う人もいるかもしれないが、足のあちこちに傷がつき、歩くことが億劫になり、仕事さえも行けなくなってしまう。しまいには、家の中で椅子やクッションにもたれて座っているだけで「もうこれでいい」と引きこもるかもしれない。

この例は、「そんなこと起こることないから心配いらないね。」と言えるほど、おかしい話に聞こえるかもしれない。しかし、「車いすは、みなさんにとっての靴と一緒です。」という話を聞いたことのある方は、全くその通りだと私は思う。

そして、「ヘルパー」も例に挙げた「踏み台」「靴」と一緒のレベルくらい必要不可欠なのである。人間の体には限界があるために、階段やエスカレーター、エレベーターなどのようなすぐに思いつくものなど、あらゆる場所で人間の体の不自由さを助けるものがある。その人間は歳をとったら体の細胞の衰えのために動きが悪くなったり、不慮の事故でどこかの機能に傷がついたりする。そのために、車いすやヘルパーによる介助の保障が必要なのだ。

「代わり」の踏み台や靴、車いす、ヘルパーを見つけるには、時間がかかる。例えば、新しい靴を選ぶには、自分の足と相性の合うものでなければ、歩くだけで疲れてしまう。相手の機能や時間が経つにつれて自分の足にフィットしてくれるのかを考えて、情報を得たり、短い時間履いてみたりして、100%良いかどうかはわからないけれど、買ってみようと思えるくらいまで考える。最初は硬くて痛かったけれど、履いていくにつれて、自分の足に馴染む場合もあれば、小指を擦りむいてもう履きたくないと思う場合もある。

ヘルパーと靴を一緒に考えると、ヘルパーの方が会話しながら修正できる可能性がある点で、一緒にすると失礼かなと思った。しかし、「生活や仕事を『続けていく』(一瞬のことではなく、続くということがポイントである)ために必要不可欠で、その必要なものがなくなったり、壊れたりする前に『代わり』が必要である。それを探すために、自分の特徴を知り、妥協することなく自分に合ったもの(人)を選ばないと、体や心のどこかが擦りむいてしまう」ということを伝えたかった。

その『代わり』を探すことは、自分の体で試したり、お互いの相性が合うかを時間を費やして探ったりすることなのである。

私にとって、今、そのことに費やしている。それは、私の発信活動を続ける上でも必要なことであるが、骨の折れる時間でもある。

だからこそ、人生を楽しむことに気持ちを集中させる。

いつか私を無条件に癒してくれるフィアンセと会いたい。あは。

題名を間違えた。日本語って難しい。

POSTED COMMENT

  1. Michiko より:

    追伸 アスリート並みに神経を使っているのは、新しいヘルパーさんも。

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