先週もいろいろと片付けが進んだ。書類や本を整理したのでカラーボックスが一つなくなり、一番大きいメタルラックも他の方のもとへ行った。粗大ゴミに出すとお金もかかるので、引き取り手をなるべく探している。最近、一番嬉しかったのは、着物の一式を引き取ってくれる方が現れたことだ。古い着物を安く売っていたイベントで購入したので、着物に挑戦することができた。
この1年間で急激に物を手放し続けている。それは「ミニマリスト」という言葉と出会ってからであるが、ミニマリストであるかどうかはそんなに重要ではなく、「なぜ、関心を持ち始めたか」を考えることが大事だと思う。
今日は、私なりに考えた「ミニマリストと電動車いすユーザーの私」の共通点や、その違いを書いてみたい。
「物や環境と自分の関係」を問うこと
まず、自分の気がつかないうちに、自宅に物が溢れてしまうことに気がつくことから始まる。周りの勧めや「こうあるべき」という価値観、満たされない気持ちを解消したいという欲望などにより、何を持っているのか把握できないくらいの物に溢れてしまっている人が多いのではないか。私も、表面に見えているもの、手元の近くに置いてあるものしか、結局使っていなかった。
大したことではないが、驚いたことが、「自分の動きに合わせて物を配置する」ということだ。実は、私には目新しいことではない。いつもそれを考えざるを得なかったので、普通のことだと思っていた。私は電動車いすを自宅の中でも使っているので、床に物を置くと「障害」になってしまう。必要なものは、常に机の上にあり、座った状態でも取りやすくしている。
さらに、ヘルパーさんが実際に調理やトイレの介助、入浴介助や掃除をするため、それらの道具はすべて、ヘルパーさんが効率の良い動きができるように、置いてある。逆に、私には届かない。また、洋服などは、私が「赤いセーター」「緑チェックのシャツ」というように、特徴を伝えて取ってもらうため、こんまりさんメソッドの立てて収納する方法を前から使っていた。
こうして、常に「環境と自分の位置」を確認しながら、物の置き場所を考えていたため、「こんなにも新しいことなのか」とミニマリストのYoutubeで初めて知った。そういえば、ヘルパーさんに「ヘルパーが動きやすいように、あらゆるものがオーガナイズ(考えた配置作り)をしているね。」と言われたことがある。
私にとっては、生活をスムーズに回していくために、中学生の頃から考えていたことだった。
「社会と自分の関係」を問うこと
ミニマリストの考え方を見ていくと、「当たり前だと思っていた社会のあり方を見直す」という共通のキーワードがあると思う。女性であれば、スカートやヒールを履くのが当たり前とか、毎日おしゃれな服を着ているのが女子らしいとか。働くということにしても、同じ会社に正社員で働いていた方が良いとか、お金を稼ぐための自分の時間を削るのが当たり前などと考えられている傾向はある。それらに従順であり続けたことにより、体や心を痛めて、「何のために生きているのか」と希望を失ってしまったことを、話しているミニマリストが目立つ。
私は、子どもの時から「障害者はかわいそう」「障害者は普通学校には行けない」「障害者は施設で暮らすしかない」と「思わされてきた」。学校への入学、大学への入学、就職、結婚につきまとうのは、「社会の障害者に対するイメージにより、不利な状態に置かれてしまう」ことだ。
ミニマリストの多くは、物を手放していく、嫌な人間関係を手放していくという行動の中で、「自分にとって、本当に幸せなことってなんだろう」ということを考えているようだ。この動きは、とても良いことだと思っている。
少し話がそれるかもしれないが、「授業中にトイレに行ってはいけない」という考えは、「仕事中にトイレに行く頻度が多いと、嫌な風に思われる」という考えにつながっていると思う。障害者の入所施設では、障害者のトイレの回数をチェックされていた。私も、トイレに何度も行こうとしたら、職員に「また行くの?」と冗談混じりで言われながら、介助を受けてきたことがある。それも、みんながそういう教育を受けてきたからだと思う。
無意識に教育されていたことを見直し、自分の心地よさに焦点を当てていく人が増えていけば、障害者や高齢者への介助も、みんな優しくなっていくと思う。「自分も同じ立場だったら、『自分の心地よさ』を尊重してほしい」と思う人が増えていくと思った。
コントロール不能なことを「保留にするか」「変革するか」
世の中には、個人ではコントロールできないことがある。自然現象(気候、災害)や国の制度などが挙げられる。今のところ、ミニマリストに多いのは、どちらかというと「コントロールできないことは、しない」という考え方だと思う。そこに苛立ったり、不安になったりするよりは、コントロール不能なことは「保留」にして、自分の気持ちの持ちようを変えていくことを優先しているのではないだろうか。(この点は、私の勘違いかもしれないので、どなたか教えてもらえると助かります。)
そのようなことも大事であるが、私の考え方は異なる。学校にエレベーターをつけたり、病気があっても働ける制度を作ったりしていかなければ、基本的な権利も得られない。「選択をすることすらできない社会」はやはり、私たちがコントロールし、変えていく必要がある。
その「変革する力」をつけていくために、「コントロールできる自分の周り」から片付けることが大切だと思う。
「変哲のない、何気ない生活」に光を当てる
世間に褒められる生活や、背伸びをした生活ではなく、「変哲のない、何気ない生活」こそ大切であることを思っている人が、多くなってきているのではないか。そういう人が増えていくことをずっと望んでいたので、嬉しい。
私は、「ミニマリスト」の考え方に触れて、共通の悩みや解決策を一緒に考えられそうな気がした。電動車いすの私が関心を持った理由である。