どこかの会社に勤めると、そこの方針や考え方、培ってきた風土や文化をある程度は受け入れなければ、働き続けることはできない。その途中で、自分の大切な方針と、会社の方針が違ったり、そこまで言語化(言葉に表すこと)ができなくても違和感を持ったりすると、そこを離れるかどうか悩むときがある。
世の中に自分と同じ人は絶対にいないので、必ず自分の気持ちを揺さぶるようなことが人間関係の中で起こり続ける。だからこそ、新しい発見をしたり、自分の考えが変わったり、変わらない自分の大切な考えに気づいたりする。だから、人と一緒にいることは面白いのである。
でもね、やっぱり、疲労を隠せないこともある。自分を否定された、自分がやっていることがこれでいいのかわからなくなった、自分の意思でやっているわけではないから相手のせいにしてしまった方がいい、などと「自分を見失う」「相手や環境のせいにしてしまう」のどちらかに傾いたときは、要注意だと私は思うようにしている。
私は、「自分を見失う」「相手や環境のせいにしてしまう」の両者は紙一重だと思っていて、そのちょうど真ん中をキープしようと心がけている。
その両方の真ん中にある、紙一枚の薄さそのものが、本当に必要なことなのではないかと、最近考えている。
それは、「今の自分は何をするか」ということ。
このブログのテーマに、「社会活動を一人でするか?団体でするか?は柔軟に考えよう」と書いたのは、「今の自分は何をするか」を考えられるところを探そうと思ったからだ。一人が良ければ一人でやればいいし、この団体がいい、あの団体がいいと思えば、そこに入るといい。ただ、それだけなのである。
誘われたから、面白そうだからなどのきっかけでもいい。
ただ、そこからは自分の意思で関わっていかないと、合わなくなった途端に、所属はずっとしているけれど違和感を感じたまま過ごすことになってしまう。直接意見を言わずに文句ばかり言ってしまうこともあれば、逆に、そこの雰囲気に合わない自分に自信をなくすこともあるかもしれない。
もし、そんな状態になったら、その瞬間に「今の自分がしたいこと」をするしかないと思うとシンプルだ。
ただ、「はい、辞める」「一人でやる」「ここの団体しか所属しない」という極端な選択ではない。自分はどんな思いを持っているかということを軸にして、やるべきことをやろうと思っている。
私が持っているのは、「どんな人も、障害になっても生きやすい社会にしたい」という思いだけ。
「どこどこ(どの団体)のMichiko」ではなく、「ただのMichiko」なのだ。