もう冬の季節がやってきた。マフラーがないと、寒くて我慢ができない。この季節は、頭の片隅に「年賀状を用意しなくては!」という言葉が出てくる。でも、実際は、まだまだ先のことだと後回しをして、12月の終わりころに焦って用意する結果になる。
ついに片付けは「年賀状」まで進んだ。手紙や年賀状は、相手に書いてもらったものなので、手放しづらいものの一つだ。おまけに、年賀状は写真までついているときがあるから、なおさら捨てることに躊躇(ちゅうちょ)してしまう。一方で、何年もの年賀状が溜まっていくと、ただ引き出しにしまわれたまま放置され、ほとんど見返すことがない(人によっては見返しているかもしれない)。それならば、手放した方が新しい風が入ってくるのではと期待を込めて、手放すことを決めた。

長年ハガキに巻きつけていた輪ゴムさえも劣化していて、少し切ない格好になっていた。積み上げてみると、存在感が大きい。年賀状があることによって、そのときにしか連絡取らないけれど、1年に一回、新年の挨拶をしてお互いに近況を知ることができる。
年賀状は、その人が元気であることがわかれば、手放しても良いと私は思う。
私が今考えているのは、今後も年賀状を出し続けるかどうかだ。日本の新年の挨拶のしきたりで、かつ遠くの方とのやりとりにも欠かせない方法ではある。今は、ラインで新年の挨拶を済ませてしまうという方法もある。
ただ、私は、インターネットで済ませたいという思いよりは、師走の忙しい時期に、慌てて年賀状を用意して、少し面倒だと思いながら、ハガキ1枚ずつに一言添えるという矢継ぎ早な作業を避けたいという思いがある。
それならば、一人ひとりに年間のどこかで、ゆったりとした気持ちで手紙を書いて、近況を知らせた方が良いのではないかと思うようになった。
年賀状を書くのは当たり前、と思っていたが、一度立ち止まって、大切な人への挨拶の仕方を考えたいと思った。まだどうしようか、考え中である。