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プライバシーをオープンにする背景をしっかり理解する

最近、SNSなどで芸能情報のタイトルが流れてくると、なんとなく見てみようと思い、開きそうになる今日この頃です。実際に見てしまうときがあるのですが、ほとんどの記事は見てもメリットがないというか、冷静に考えると、時間をもてあそんでいたなと、そのたびに思うのです。スマホ見てたら肩凝るのにね…。

ところで、テレビなどに出ている有名人で、自分のセクシャリティやその他のプライベートのことをYouTubeやインターネットで公開する人が増えたような気がします。そうすると決まって、不特定多数の多くの人が、その有名人に対してコメントを寄せているようですが、応援すると言うメッセージを送る人とともに、非難のメッセージを送る人もいます。その多くの非難のメッセージは、「世の中はあなたみたいな考えは受け入れないよ」と、上から審判をするかのような印象を受けます。そのようなコメントをする人々は、コメントをしたことで自分に害が及ぶわけではない、だからどんな言葉を使っても良いと思っているのでは?と思うくらい、一方的な乱暴な言葉だと思います。

インターネットという匿名でものを言える土台の上は、お互いにどんな人かを知った上で会話をしてやりとりするところではありません。だから、自分の顔は明かさないけど、批判をみんなに見てもらいたいということが簡単に許されてしまっているなと思います。私たちはインターネットでそのような状況に出くわしたとき、「発信者が自分のプライバシーをさらけ出してまで何を伝えたかったのか、そのプライバシーの内容を評価するのでなく、その裏にあるテーマについて議論すること」が本当のやりとりだと思うことが必要だと思います。

これについて書こうと思ったのは理由があります。私も含めてさまざまな障害のある人も、講演活動で多くの人の前で自分の生活について話しているからです。また、インターネットやYouTubeなどでも、自分の障害や生活、家族のこと、生き方なども、知らない人にもわかりやすく伝えるためにオープンな気持ちで、公開している人も多くなってきました。それはどうしてだと思いますか。詳しい理由は人それぞれ違うと思いますが、共通して言えるのは、多くの人が知らなかったり、理解していなかったりするからだと思います。

どんな障害のある人も、ごく普通の生活をしているし、ごく普通に交通機関や飲食店、スーパー、学校、会社など社会にあるあらゆるものを活用して人生を送っていきたいと思っています。しかし、それがまだまだ社会で十分に保障されていないし、多くの人に知られていないので、講演活動を続けています。そのときに、自分の私生活のことを話したり、自宅での介助の様子を動画で見せたり、過去の生い立ちなどを説明したりします。そのときに、聞いてくださった人が、私が伝えようとしているテーマについて真剣に、自分ごととして考えてくれると、伝えて良かったと思います。

しかし、ある講演会で「なんで、そこまでして1人暮らししたいんですか?」と福祉サービスの支援者から質問があったときは、正直、がっかりしました。どうしてかというと、私はずっと「障害があっても、年齢相応にふつうの暮らしができる。それを難しくしているのは社会だ」というテーマで伝えていたからです。「そこまでして、どうしてしたいの?」という「そこまでして」が、「障害者が1人暮らしするのは特別なこと」という立ち位置でしか聞いていなかったと思える発言でした。

どうしても、だれにでも「自分が生きてきた世界」があり、「そこから見たあたりまえ」が一人ひとりの中にあります。でも、社会の問題と「自分が生きてきた世界=自分の立ち位置」は、切り離して考えないといけません。なぜなら、社会の問題、ここでは「社会の生きづらさ」と言ったほうがいいと思いますが、それは「一人だけの問題じゃなく、みんなの問題」だからです。

だから、「障害がある人から見た『社会の生きづらさ』」について話を聞くと、障害を負ったり、年老いたりしたら直面する問題だと捉えて、それを学んだ人は「自分の立ち位置」を改めて見直すきっかけとなります。そのように考えると、先ほどの「そこまでして、どうして一人暮らしをしたいのか」という質問をするとき、「自分は今までそこまで悩まずに一人暮らしをしてきたけど、障害があるとで大変だと思った。どうして、そこまでして…」と自分の立ち位置を正直に言って、質問していただけたらよかったのです。そのように言葉にすることで、本当の意味の「わかる=分ける」ができると思います。

 

もうひとつ、大切なことを書きたいと思います。

たまたまSpotifyで「シノブとナルミの毒舌アメリカンライフ」を聞いていたとき、「disclose 公表する、暴露する」ことを一方的に相手に求めている風潮について問題視していました。私もそう思いました。たとえば、宇多田ヒカルさんは「自分はnon binary (男性でも女性でもない)だ」と公表していて、日本ではなかなか議論されていない状況で、この考えに出会って自分にぴったり合って楽になったから、多くの若者に知ってもらいたいと思っているそうです。私もそのYouTubeを見ていたので、ナルミさんの話がすぐわかりました。

ここで重要なことは、「当事者が全員さらけ出す必要はそもそもない」ということ。たとえカミングアウト(社会で誤解や偏見を受けているパーソナルな部分を自分の選択で相手に示すこと)をしている人がいても、同じような境遇にいるほかの人に対して、カミングアウトを強要してはならないのです。宇多田ヒカルさんには、宇多田ヒカルさんの思いや理由があって、自分のことをオープンにしているし、ほかの人もそれぞれ理由があります。

だから、自分のプライバシーをオープンにしている人の発言に対して、それを通して、社会に伝えようとしていることをしっかり聴いてほしいです。そして、それについて受け入れられないことがあるなら、自分のその感情や意見の背景も冷静に分析して、発言してほしいなと思います。

 

それがきっと、本当の対話なのだと思います。

POSTED COMMENT

  1. おっさん 中身はおばさんと気づく より:

    支援する側の発言であることが、恐ろしい。でも現実よね。
    入所施設に本人の意思がなくても入居できる状態が合法であたりまえで、それが合理的配慮といわれてしまう国ですからね。

    倫子ちゃんの言われてしまった「そこまでして」という時のショックと似ていて。あたいの場合は支援する立場で発言した時に、「あなたのやっていることは、障がい者の野放しですよね」と言われたことがあって。

    触法系の事例で自分の説明が足りなかったから、いわれてしまったんだけど。
    あたい若かったから・・・うまく返せず。
    カーッと感情的になってもうて。

    いままでずーっと、忘れられないトラウマであり 自分のテーマ「野放し」。
    いまなら表現できるよ。
    「成長の過程」なんだって、感情の表現がうまくできない人の過ちにどう寄り添うか。支援をしているって。
    一緒にがんばってきたから、その当事者と。
    20年付き合ってきた。触法だからって、あきらめなかったからね。

    でもその言葉があったから今自分を整理できているともいえるよ。

    自分にテーマをくれたし、ありがたい。いまとなれば。

    • いろいろ教えてくれてありがとう。
      当事者だけではなくて、そこに関わる人、特に一生懸命今の社会を変えようと思って支援に当たっている人にも、「他人事」のようなメッセージが降りかかってきますよね。「障害者はこうだよね」と一括りされてしまうことも違和感だし、個人の問題だけで考えられてしまうのも納得がいかない。本当は社会との関係性の中で生じる問題なんだから、そこで生きる一人の人間としてもっと考えてほしいなと「他人事」で見てしまう人に言いたいです。

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