10年分のスケジュール帳を整理していたら、自分に宛てた手紙が2つ入っていた。そのうちの一つは、中学3年生の時の自分に宛てた手紙だ。2012年に過去の自分へ手紙を書いていた。もし、1985年の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が現実の世界だったら、時間を超えて移動できるデロリアンに乗って届けてあげたい。今日は、その手紙について書いていきたい。
2012.9.23
中学3年生の時の自分へ
今の私の姿を少しでも想像できたでしょうか。
中学生の時から親元を離れ、
病院や寄宿舎の中で職員の介助を受けながら、
養護学校に通っていましたね。
学校は建物でつながっていて、外に出ることはまれでした。
その頃の私は、変わりばえのしない窓の景色を見ながら
このように悟っていました。
「将来、入所施設で一生暮らすのだろうか」
中学生らしくない大人のような悟りでした。
地下鉄に乗るたびにビクビクしていたし、
ファーストフードの買い方さえも知りませんでした。
普通の高校に通いたかったのに、
周りの大人の表情を見て悟り、自らあきらめました。
けれども、今の私は、簡単にあきらめたりはしません。
大学に行き、一人暮らしを始めました。
友人と一緒に全国各地、海外にも行きました。
今では、自分の経験を活かして、講師活動もしています。
残念なことに、中学生のあなたは、介助が必要であっても普通学校に行く方法を
一緒に考える大人と出会いませんでした。
今思うと、大人でもどうしたらいいのか、わからなかったのかもしれません。
そんな中、15歳のあなたが人生を選択したことは、本当にえらいです。
今の私から言えることは、
あなたの気持ちを曲げなければ、必ず、協力してくれる人がいるということ、
先が見えない中でも。必ず、いい答えはあるはずです。
(今は、大人の言うことが何もかも正しいことのように聞こえているでしょう。
けれども、大人になればなるほど、正しいかどうかではなく、
自分が歩んで行きたい人生を作っていくことが大事になるのです。)
あなたの人生は、あなたのものです。
あきらめない気持ちが芽生えることを楽しみにしています。
それでは、また。
当時は、ヘルパーさんを利用するための国の制度はなかったため、卒業した先の将来は、真っ暗闇であった。国が介助制度を認めることで、介助を必要とする人々の生活に多くの可能性が広がったと言っても過言ではない。ただ、学校や職場での介助、通学や通勤時の介助は公的な制度では認められていないため、今もなお、社会参加を妨げている。
しかし、一番の社会の障壁は、周りの人々の意識であると思う。養護学校(今は、特別支援学校と呼ぶ)の先生や普通学校の先生が、障害者も地域で生活できるというイメージを持っていたら、もっと学校の支援体制も変わっていったと思う。
確かに、中学校や高校のそれぞれ3年間はあっという間に過ぎ、学校の支援制度を作る余裕さえもない。その制度ができるのを待つ時間もない。全生徒の進路を考える先生は猫の手も借りたいくらいだと思う。その中で、色々と協力してくれた家族や先生には感謝だ。
ただ、この悪条件の中で、しかも何も情報も経験もない15歳の自分が、最終的な選択をしないといけない。その重みは残酷だと思う。「あなたの人生は、あなたのもの」であることを大人は子どもに教えないといけないと思う。その上で、社会が変わらない現実がその時点であったとしても、変革しようとしている障害者がいること、みんなが声を上げていくことで変わりうることを、周りの大人は信じて伝えるべきだと思う。
過去の手紙は、今の自分にも影響を与える。
おもしろい。