気持ちが落ち着かない日々が続いた。私は、だいたい、いつも同じような言葉や状況でストレスが溜まる。ストレスが溜まったときには、体調を崩していて、自分で対処する気力も無くなっている。原因はなんとなく察しがつくし、自分が望んでいることもなんとなくわかっているが、人に助けを求めることも、気晴らしをすることもエネルギーが必要だ。
そんなときは、あきらめて、時間が経ってエネルギーが少し戻るまで、ひたすら日常を過ごすようにしている。もちろん、日常さえも不安定である。前から外出の計画を立てていても、その日は雨になっていけなくなる。しばしば、ヘルパーさんのシフトの変更の連絡が、ヘルパー事業所さんからメールで送られてくる。ヘルパーの時間も人も変わったりする。
いろいろな事情で、お互いに(利用者もヘルパー事業所も)変更したいときや、変更せざるを得ないときもある。だから、事業所さんから変更の依頼が来ても、仕方がないと思っている。
でも、今までの経験上、感じることだが、多くのヘルパー事業所さんが「事前の計画」を利用者に求める。利用者として、ヘルパー事業所さんにお世話になっているからこそ、頭で計画を立てて、連絡をするように努力する。ある程度、それは必要なことなのだが、「自宅での過ごし方や、日常、非日常なことまで、毎日、そして一生、計画を立てていく」ことは、けっこう大変である。どこまで妥協して、自分の日常を調整していくかは意識していかないと、周りの求めに流されて疲れてしまう。
私は、ときどき、自分が気づかないうちに疲れてしまう。日常生活に介助が必要な人ほど、日々ヘルパーさんが代わる代わる来たり、ヘルパー事業所さんに求められる変更もあったりするだろう。正直、私でさえも、感情を鈍くさせないとやっていけないときがあった。日々、幸せに生きているけれど、「疲れた。大変だ。」という気持ちも素直に受け入れていいと思う。
さて、私はエネルギーが少し回復したら、目的もない散歩をするようにしている。今日は、行ったことがなかった施設に行って、会員証を新しく作って本を借りたり、雨が降ってきそうだったから、偶然見つけた喫茶店でアイスコーヒーを飲んで休んだり、帰りにコロッケを買ったりした。思いつくままに、進んだり、立ち止まったり。すると、少しずつ、笑みがこぼれるのを感じるのだ。
はーぁ、戻った私。
ちなみに、散歩をするときは、町のその辺の人に話しかけるのが定番になっている。家の庭で外を見ながら、ズボンの紐を結び直しているおじいさん、公園の花の手入れをしてくれているおばあさん、喫茶店のオーナーさんなど。99%の人が返事を返してくれるから、ここの地域の人たちはとてもいいなと再確認した。
ずっと家にいざるを得ない人や、毎日同じ景色を見ている人は、エネルギーが少し必要だけど、外に目を移して、いつもと違ったことをしてみてほしい、と心から思う。