最近、自宅の片付けがどんどん進み、物がなくなっていく。片付けるたびに、今の自分に何が必要かを考える感覚が研ぎ澄まされていく。私の今のお気に入りのYoutuberはかぜのたみさんだ。彼女はミニマリストとして、自分にとっての必要・不必要という感覚の育てかたや、自分の苦手さをいかに楽な方法に変えていくかという考え方について、情報を発信している。手放すことでゆるっと生活するそのままの姿を動画でアップしているのがツボにはまる。
今日は彼女の話の中で、「人間関係が近すぎると、しくることが多くなる」という話題が何気なく出てきた。「しくる(つまずく、失敗する)」という言葉を使うと、「コケっと転んだ」「ありゃま〜」とやってしまったが、仕方ないといった感じで、深刻さがゆるくなっていくなと思った。
以前のブログにも書いたが、札幌市の障害者の男性がホームヘルパーに傷つけられた事件を受けて、利用者とヘルパーとの「ちょうど良い関係」について、講演をした。日常生活の中で介助が必要であるほど、介助者と一緒にいる時間は長くなる。私の一日はヘルパー3、4人交代で成り立っている。朝から次の朝まで、6時間を除いた18時間ほどはヘルパーと一緒だ。食べたもの、おしっこやウンチの状態、誰と会ったか、何を話したか、鼻くそをほじったことなどを否が応でも知られてしまう。一人ひとりのヘルパーは時間で勤務を終えて、帰宅後のヘルパーがやっていることなどは、私は知る由もない。必要だからいてもらうのだが、基本がアンバランスな関係である。
わかりやすく考えるために、友人関係と比較したい。友人の場合は、お互いに好きな時間に好きな場所で会い、お互いに楽しいと思えば気が済むまで遊び倒し、ちょっと嫌だな、距離を置きたいと思えば、会わなくていい。あの友人なら旅行に行けるが、あの友人とは旅行はしたくないけれど、カラオケに行きたいなど、関わり方を調整できる。調整できるから、時に喧嘩もできるし、時に無言でも心地よさを感じる。その自由さをお互いに合意していたら、いつまでも友人でいられるのだ。
利用者とヘルパーの関係の場合、一歩間違えれば、すぐに依存的にもなるし、全く理解できないと諦めがちになる。ヘルパーにとっては、利用者のプライベートをその家族以上に知ることになり、「親しい関係」「利用者のことをわかっている」と錯覚しやすい。利用者にとっては、ヘルパーがいなくなっては困るから、自分をさらけ出しているように振る舞う時もあれば、頑なに自分のことを話さないこともある。ところが、そのままでいると、ヘルパーが「これってどういうことを大切にしてるの?」と聴いたり、利用者が「実はね、過去にこういう失敗があって、それからはこうしているんだ。」と説明したりする双方向のやり取りがないので、勘違いのままで関係は悪くなっていく。
ヘルパーは、私からこうしてほしいという指示が出た時に、うまく聴こえない、頭に入らないことがあるらしい。あるヘルパーは私のことを「完璧主義」だと思っていた。(まぁ、そういうところはある。)そう思っているヘルパーは「言われたことをそのままやろう」とカチコチになる。後から聴いた時に、「私はやらない調理方法を指示されて、フリーズした」という。フリーズした背景を私は知らなかったので、いつものように指示を続けたのだが、どうもうまくいかなかった。そのヘルパーは「自立生活を妨げないようにしようと頑張っていた」ようだった。
だいぶ前のヘルパーからは、私はお腹が弱いので、「鶏肉の茹で汁を捨ててほしい。」と頼んだら、「はぁ?」となにそれ?という態度をされたことがある。当時は、調理一つで、こんなにもストレスが溜まるなんて思っていなかった。
私を完璧主義だと思っていたヘルパーさんは、美味しいものを作って完璧に作ろうとしていたらしい。私は、「料理は過程が大事です。私の指示で失敗しても、それはそれで次に生かそうという楽しみになります。」と話した。ヘルパーさんのお母さんは、ほっき貝の炊き込みご飯を友人に提供しようとして、ほっき貝の下処理の仕方を間違えたことがある、と彼女が話していたので、「じゃあ、もしお母さんが介助が必要で、ほっき貝の調理経験のあるヘルパーがいたとしたら、『それ違いますよ』というのが正解なんですか?」と聞いてみた。人によってはそうしてほしいかもしれないし、もしかすると「失敗したけれど、後で醤油を足したら、なんとか美味しくできた。まあ、これもいいわね。」と友人と笑うことも、日常の生活じゃないかと思う。
ヘルパーは、それぞれのライフスタイルを持っている。他人に脅かされることが少ないので、意識したことがないかもしれないが、「このやり方でいこう」と経験値の中から決めて、疑いなく自分の生活の仕方ができている。「自分のライフスタイルが一番大事」だと思っていることを振り返ってほしい。優しい人ほど、相手に奉仕をしようとして「自分よりあなたが大事です」と答えが返ってくることがあるが、それは不自然。
人との距離感を大切にするためには、自分の生活、生き方、考え方を「自分で」大切にした方がいい。自分のことは大切なものなんだから、他人と考え方が違っても、感情的になる必要はなくて、「他人の生活はこうなんだ、へぇ」と楽しむことができると、お互いにホッとする。
それぞれのライフスタイルは、色々な歴史があって成り立っている。私は、今、片付けをしながら、忘れかけている自分の感覚を研ぎ澄ましている。「時に、しくじりながら」ヘルパーさんと関わる。
おばあちゃんになってから、ようやく「ちょうど良い」関係が、少し見えてくるかもしれない。おばあちゃんになるまでに、私の考え方は右往左往して変わっていくかもしれない。そう思うと、自分にも、相手にも、すぐに答えを求めなくても、不安じゃなくなる。
ヘルパーさんのジレンマを教えてくれたおかげで、色々と勉強させてもらった。
ゆっくり、今を感じる感覚を大切に。
