先週もいろいろと片付けが進んだ。書類や本を整理したのでカラーボックスが一つなくなり、一番大きいメタルラックももう少しで手放す。粗大ゴミに出すとお金もかかるので、引き取り手をなるべく探すようにしている。
「満足」と「次は使わないとわかった経験」が決断させる
最近、一番嬉しかったのは、着物の一式を引き取ってくれる方が現れたことだ。イベントで古い着物を安く売っていたので、着物を試してみようと何千円かで購入し、友人の結婚式にお披露目することができた。一方で、その後もしばらく持っていたものの、実際に着てみたとき、かなり体が疲れてしまって、「あ〜、二度目はないな〜」と思っていた。(息はできないし、真夏に来たので汗が止まらなかったし、足袋や靴を履くと痛かったし(笑))
着物を試すという「目的が達成して満足した」のと、二度目はないな〜という「経験してみて使わないだろうということがわかった」ということが「手放そうという決断」につながった。
とにかく、引き取り手がいないか尋ねる
しかし、着物を手放すとなると、いくら安値で買ったからといって、ゴミにするのはもったいなすぎる。そう思った私は、代わる代わる自宅に来るヘルパーさんに「誰か着物がほしい方がいないか」聞いてみた。なんと、ヘルパーさんのお母さんの知り合いの方が引き取ってくださることになった。着物小物一式は、知り合いの知り合いの知り合いというつながりに渡っていき、命を吹き返すことになる。良かった。
購入したときの自分を思い出せると、「気持ちの良い手放し方」ができる
今は使わないからと手放すことにしたが、着物を得たときの私は十分楽しんでいた。小物類もいかにお手頃価格で手に入れられるか、色々なお店を回った。ある人からは靴をいただいた。美容院で着物を着て、髪もセットして、長い時間をかけて用意した。その新鮮な姿で、10年ぶりに大学の友人に会った。前の記事にも書いたが、手放した途端に、自分の記憶が鮮明になって蘇ってくる。
「過去にときめいていたもの」ほど手放した方が
「自分のエネルギー」になる
こんまりさんから、「ときめくものだけを残す」と学んだが、その意味は一つではなく、「これからも一緒にときめく」か「過去にときめいていたもの」かの2種類がある気がする。過去にときめいてきたものを手放すことは、ときに怖いかもしれないが、この先にも表に出てこないのなら、いっそのこと手放して、自分の記録として吸収していくと良いのだと思う。過去に想いをたくさん費やしたきたものほど、物で残しておくよりは、手放した方が「自分のエネルギー」に変わっていくと思う。
他の人に渡っていって、
また別のエネルギーが生まれるって考えると素敵ね
タイトル通りなのだが、自分の使っていたものや、しかもときめいていたものが、他の人に渡っていって、また別の暮らしやエネルギーを作っていくと考えると、なんだか、素敵なことを考えたなと思う。もちろん、渡してしまったら、その後を追うことはしない。なぜなら、手放したことで私も新しい生活が始まるからである。