外は、だんだん本格的な雪景色になっていく。紅葉に雪の帽子が乗っている。毎年、こういった景色を見て、「今年もとうとう雪の季節が来たか」と四季のクライマックスを迎えるのだ。四季をしっかり感じられるのは北海道に住む醍醐味(だいごみ)である。
今日は、一緒にイタリアの旅に出かけたOさんとお茶をしてきた。3年ぶりの再会だが、お互いに変わらない様子なので、久しぶりな感じがしなかった。仕事をしていたときは、休みの日に体を休ませるために時間を費やしていたので、Oさんに会いに行くことなんて考える余裕がなかった。イタリアに行ったのは8年前であるが、昨日のことのように、いろいろなハプニングが思い出された。イタリアに着いて初めて乗った列車に黒猫がいたことや、タクシーの運転手にいきなりオペラを歌いながら手を握られたこと、列車に乗ろうとしたら急に線路の番号が変わって移動しなくてはならなかったことなど、バラエティに富んだ思い出話だった。
友人との食事やお茶会は、人生にとって欠かせないと思う。どうしてそういうことを言うかというと、自分の人生を豊かにするために必要な人は、医者でも看護師でもヘルパーでもなく、一番は友人だと考えているからである。
私は「今は高い理想や夢もないし、一番は日常を楽しみたい。そこに幸せを感じるの」と話した。Oさんは「そうね、それが一番難しいのよね」とさらっと、でも重みのある話し方をした。日常生活で幸せを感じることは、簡単なようで、難しい。
障害や病気があると、病院やリハビリテーションの通院や、体が凝りやすいためにマッサージを受ける、ヘルパーさんのシフトを考える、福祉用具の選定や申請など、あらゆることに時間を必要とする。それだけで1日や1週間が終わってしまい、気を使って覚えておくことが山ほどあるのだ。
さらに、体や健康のことばかり考えることになるので、あちこち痛いという感覚やたくさん薬を飲まなければならない状況に嫌気がさすこともある。本当は、友人と時間を忘れるくらい楽しくおしゃべりをしたり、好きな雑貨や服などの買い物をして気分転換をしたりと、日常とは少し違ったことをすると体の痛みを忘れることができる。心がリラックスしたことで、体の筋肉の緊張が和らぎ、痛みそのものもなくなることがある。医師の薬をきちんと飲む、リハビリをするといったことも大切ではあるが、そこを守ることが目標ではなく、あくまでも「幸せだ」という感覚を日常の中で感じられることが一番だ。
私は昨日、体がカチコチに固まってしまい、ベッドで横向きになることさえも辛かった。寝る体勢を作ろうと頑張ってくれているヘルパーさんに、私は「すみませ〜ん」と声を漏らしながら、必死に力を抜こうとしていた。ヘルパーさんも「うまくできなくて、すみません〜」とお互いに四苦八苦。朝には柔らかくなってきたが、また外出したら元に戻ってしまう。でも、Oさんとおしゃべりをしたら、そんな嫌な気分も吹っ飛んだ。もちろん、体が柔らかくなったわけではない。
インドのヨーガを習った赤根彰子さんという方の本(「心のヨーガ」アノニマスタジオ)で、ヨーガの考え方では感情と自分は別のものだと考えていて、悲しい、悔しい、辛いなどの感情は本来の自分ではないと言う。体もその人のスーツのようなものだとも考えているようだ。そう考えると、病気のことばかり考えるよりは、自分が何にワクワクするのかを素直に受け入れて、正直に行動してみた方がいいのかもしれない。
「日常を生きるだけで、いっぱい、いっぱいよね〜」とOさんとしみじみ考えるのである。
