自分が何気なく話したことで、自分が勉強になることがある。「飛んでけ!車いす」の会にインターンシップに来ている高校生からインタビューを受けて、自分の考え方がガラリと変わったことを話した。その話が意外と面白かったので、書いてみたい。
「キラキラ輝く障害者」の一人歩きは不自然だった
20代の頃、私は色々なことをやってきた。大学生ではボランティアを募り、遠方に止まって卒業論文を書いた。大学卒業後は、チェアスキーに、外国旅行に挑戦してきた。それら自体は、自分がやりたいと思ってやってきたが、周りには「すごい」と言われる。それは、「身体に障害があり、介助が必要な中」ですごいね、という意味が大抵含まれている。いつの間にか、世の中がテレビや新聞などで「障害のあるアスリート」「障害があってもモデルに」といった「キラキラ輝いている障害者が取り上げられる」ようになってきた。
何かの挑戦すること自体は、大切なことで、いつまでも続けていきたいことの一つではある。挑戦すると何かこれまで見えなかったものが見えるようになり、これからも希望を持って生きられる大きなきっかけになる。個人個人が楽しめば、それで十分なはずなのだが、「キラキラ輝く障害者」というイメージが一人歩きをしてしまい、ある障害者は「そこまでは自分にはできない。〇〇さんだからできるんだよ」と思うかもしれないし、ある障害のない人は「とても感動した。あなたもあ〜やって何かに挑戦しなさい」と、他の障害者に叱咤激励をするかもしれない。
そんなことを書く私も、障害者の存在を知ってほしいために、「障害があってもキラキラしている姿」を見せようと、ファッションショーにも出てみた。でも、いつも何かが違うと違和感を持っていた。世の中に受け入れられるように、「キラキラ輝く」ことが不自然なことに気がついたのである。
見えていないところで、困っている人がいる
私自身が困っていたとき、私の存在はほとんど表に出ていなかった。どういうことかというと、高校生までは人里離れた学校と寄宿舎で生活をしながら、外の世界を知らないことで自信をなくしていたり、ヘルパーさんから傷つけられるかもしれないと怖がっていたときも心身ともに疲れて、家族や友人さえとも会わなかった。生活や人間関係の状況が悪ければ悪いほど、問題は外に発信されないのである。
いつかブログで取り上げていこうと思うが、福祉の世界はどうしても閉鎖的になりやすい。多くの人が障害者の生活をあまり知らないことがその証拠である。同じように日常生活を送っているはずなのに、テレビ局が毎年やっている24時間テレビでは「障害があっても挑戦する感動の姿」を、私たちに意識づけている。(挑戦している方々自体は素敵。でも、それぞれの方は年齢相応にすでに生きる術を身につけ、経験を積んできているので、感動番組である必要は全くないと私は考えている。私は、「タカトシランド」に出たい(笑)札幌在住だからダメか。)
私たちは、「見えている」「見させられている」ものに左右されていないだろうか。
人生のうち
「キラキラする時間」は20%、「日常生活の時間」が80%
「キラキラ輝く時間」は自分を大胆に成長させてくれると思う。私は20代のときは「キラキラ」することに憧れていたし、実際に色々なことを経験して「キラキラ」していたと思う。Facebookは自分の「キラキラした姿」を記録し、それをFBの友人に公開をする道具になっていた。最近気がついたのだが、その「キラキラした時間」は一瞬の、短い時間だということ、FBに載せてしまったら、その時間があたかもずっと流れているように、自分も相手も錯覚してしまうことが言えると思う。一日24時間のうち2時間程度、1ヶ月のうち2日程度、1年のうち2ヶ月程度かもしれない(もっと少ないかも)。残りの時間は「日常生活」なのだな、だったら本当はその時間をどう過ごすかが大事なのではと34歳にして気がついたのである。
「幸せ」はささいなこと
高校生たちに「ご自身の『幸せ』って何ですか?」と聞かれて、「この前の料理で、関西のだしと、イワシの缶詰を使って温かいうどんを作ったら、時短になったし、しかもすごく美味しかったこと」と答えた。高校生たちの「幸せ」を尋ねたら、「友達と授業の合間やお昼におしゃべりしているとき」「好きな歴史を学んで、新しい知識が入ったとき」「好きな国の言語を学んでいるとき」「食べているとき」と答えてくれた。
きっと、そういうことなんだと思う。
キラキラ輝くことを手放して、わかったこと
とにかく、言葉やイメージで一人歩きをしている「キラキラ輝くこと」を手放した。そこでわかったことは、周りがどう思うかというよりは、自分がやりたいかどうか、心地よいかどうかが大切だということ。どう頑張っても、人生のうちの大半は「日常生活」なので、だったら「気ままに生きる方法」も考えてやってみようということ。
イワシの缶詰と関西だしのうどんは、本当に最高でした、という話です。
