ご家族・すべての方へ

これからの高齢者とタッグを組んで社会運動

前回のブログ(友人にまず話してみる〜10代、20代から始める社会変革)でこんなことを書いた。

地下鉄一つを挙げても、車いすで車両に乗るためには駅員さんにスロープをつけてもらい、降りる駅で駅員さんに待ってもらわないといけないのである。その依頼に時間がかかるので、一本や二本は車両を見送って、次のものに乗らないといけず、10分以上のロスが出てくる。

それがなぜ生きづらさにつながるのかを、想像できるか、または想像しようとすることが、「一緒に生きやすい社会を作る」ことにつながっていく。

ある人はきっと「乗せてもらえるだけいいじゃないか」「10分待つとわかっているなら早めに準備をすればいいじゃないか」と思うかもしれない。私も、何度もそれにイライラしてもいられないので、歩ける人はすぐ来た車両に乗ることができても、「私は車いすなんだから、待っているのが当たり前だ」と思っていた。

しかし、遅くなることを見越して早く家を出るには、身支度に2時間ほどかかる私にとって酷なことだった。化粧や髪を巻くのに時間をかけているわけではない(それも立派な身支度であるが)。ベッドから起き上がり、着替えをして、トイレをして…という動作が、たとえヘルパーさんがいても、人の3倍以上はかかってしまう。その時間を確保するために、朝の時間であれば、人より1時間は早く起きる。そのためには、その前にヘルパーさんにいてもらわないといけない。早い時間から起きなければいいと思うかもしれないが、遅い時間から行動すると、それだけ他の人より、「自分に投資する時間」が短くなる。外出することは、買い物で新しいものを得て、人と会って楽しい時間を過ごし、仕事をしてお金や経験を得ることにつながる。もちろん、帰りの時間も早くしないとならないなら、もっと活動時間は減っていく。

このように、「時間がかかる」「前もって何かをしなければならない」のは、地下鉄が車両とホームの間に段差があるから、発生している社会問題である。

昨年の春に、アメリカのカリフォルニアに滞在した。サンフランシスコやオークランド、バークレイで交通機関を利用したが、どれも「依頼をする」という手間がなく、ストレスが全くなかった。

中でも、バスは、札幌と雲泥の差で違っていた。札幌は全てのバスが「車いすが乗れる低床車両」ではないので、予約した方が良い。しかし、そこで問題なのは、低床車両のマークがあるバスに予約しないで乗ろうとしたら、「予約していないのですか?」と聞かれてしまう。この質問のやり取りに時間をかけられるなら、スロープを出してもらえたらいいのであるが、操作に慣れていない運転手が多く、いざ車いすの人がバス停にいると、びっくりしてしまうのかもしれない。

カリフォルニアで乗ったバスは、どの路線にいつ乗ろうと自由である。バス停で待っていたら、ボタン一つでスロープが出てくるのだ。

地下鉄は車両とホームの間に段差がないので、発車してしまいそうな車両にも、駆け込み乗車ができる。車いすで駆け込み乗車なんて、夢みたいだった。そして、出かけるまでの準備の時間に追われる必要がなくなったので、体がどんどん楽になっていった。バスや地下鉄に乗っている最中に、心変わりして、違う駅に降りることもできるし、路線を変えて違う方向から同じ目的地へ辿り着いたりする。予約を前提にされてしまえば、こんなことはできない。

「飛んでけ!車いす」の会の吉田三千代さんと、高校生にこの話をしたときに、60代後半の三千代さんが「私はいくら歳を取っても、外に出続けたい性格だから、地下鉄やバスが使いづらいのは不便。きっとこれからの高齢者はそういう時代の人たちだから、もしかすると一緒に社会運動ができるかもしれないよ。」と話してくださった。なるほど。

高齢者の方の力は、とても頼り甲斐がある。社会運動をする人口も多くなるし、何より、運動をしたら元気になっていくかもしれない。元気になったら、脱介護になって、行政も嬉しいのではないかと妄想を膨らませた。

高齢者とタッグを組んで、アクセシブル運動でもしよう。

アメリカのイリノイ州立大学のバス

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