先日、私の友人が、ある役所の職員に不当な扱いをされたために、話し合いを行うことになり、何人かで友人のサポートに行った。どれくらいサービスが必要かを判断する認定調査の際に、医師やヘルパーへの聴き取りを行うと言ったものの勝手に決済され、希望の量(サービスの時間数)にならなかった。友人は明らかに介助者がいない時間があると健康を害する状態にあったが、札幌市の独自の基準があるため、うまくハマらないのである。しかし、一番問題なのは、基準にハマらないからという思考で、病状の変化や障害の進行の実態を役所で把握しようとせず、「人工呼吸器を使っていたら時間数が上がりますが、使っているのでしょうか」とロボットがプログラムから検索したように質問していたことだ。しかも、調査した職員は詳細を聴こうとしていたのに、後日の話し合いに出てきた上司がそんな質問をしてきたのだ。
今月、札幌いちご会で「日本の公的介護保障はこうして出来上がった」というテーマの講演会があった。1974年に東京都庁に勤められた山下正知(やました まさとも)さんが、日本で最初の障害者による「介護保障の要求運動」の対応をされて以降の、障害者運動の動きやその意味を話してくださった。「障害者は施設で暮らすことが当たり前」と考えられていた時代は、自宅で介助を利用できるヘルパー制度はなかった。
施設では、少ない職員の手が空いているかどうかを確認しながら、毎回トイレのタイミングを見計らい、三度の食事、起床や就寝の時間、テレビの時間、外出の頻度などが管理された暮らしだ。今は、施設も個室で、綺麗で、プライバシーも尊重されているって?そういうことを口にする人は、あなた自身が最低半年は施設で暮らしてみることをお勧めする。きっとこの天井の模様を見続けて、飽きて気が狂ってしまうだろう。大げさだと思うかもしれないが、それが現実である。

これまで行政と戦ってきた障害のある先輩たちが、今のヘルパー制度につながる仕組みを作ってくださった。病院の独特な天井を見続けずに、好きなアパートに住み、外の空気を吸い、家族や友人に嬉しかったことやイライラしたことを、誰かが聞いているかもしれないという不安を持たずに話せるのである。
もちろん、制度の枠組みができていても、十分ではない。私も20代の時に一人暮らしをする時に、サービスの時間数が最初はもらえなかったため、5分単位の1日の予定表を作って、どれだけサービスが必要かを証明した。そして、今も札幌市の基準という壁がある。しかもその壁があるために、実際にそんなに必要ではない人には多く支給され、必要な人は足りない状況になっているということもある。施設をなくそうという動きがある一方で、職員の雇用を失わせたくないという施設運営側の意図もある。一箇所の大きな施設にたくさんの障害者が住んでいる状況は不自然である。施設に行政のお金も絡んでいることは頭の隅に置きたい。
もっとバラバラに暮らせば、もっと雇用が生まれて、不動産も借り手が増えて、スーパーなどで消費者も増える。何より、ケアができる人材が増えて、高齢者へのケアにもつながっていく。色々な状況にいる人があちこちに普通に暮らしていれば、色々な場所がバリアフリーに変わっていく。実際に、交通機関のエレベーターは、車いすを利用する障害者が社会運動を起こして作られたのである。怪我をした時、赤ちゃんがいる時、荷物がいっぱいある時、疲れた時に、誰もが堂々と利用できるのは、「無ければ困る人」が声をあげたからだ。
「どんどん声をあげてください、あげないとわかりません。」講演された山下さん、そして役所の上司もそう考えている。役所の上司は、立場上では基準を守るしかないという姿勢だったが、「個人的には声をあげてもらうしかない」と思っている。役所の職員をロボットにしたのは、今の社会のせいなのかもしれない。
同情はしてられない。必要な人に必要な分の介助の保障がなければ、どんどん病気になり、働き手にも回れずに終わってしまうのだから。