他に伝えたいことはたくさんあるが、まだ整理がつかないので、箸休めに私の片付けの話をしたいと思う。私は、たくさん旅行をするようになってから、自分の身の回りに置いているものを見直し始めた。最近、こんまりやミニマリストのYoutuberが、片付けの仕方や、自分のものや人間関係の整理の話を発信している。自分も変わっていきたいと思うたびに、その動画を見たくなってしまう。どうしてなのだろうか。
アメリカに行く前は、荷物を最小限に抑えようと、石鹸は髪の毛も顔も体にも使えるものに変えて、大手化粧品会社の化粧水や美容液をやめて、ニベアクリームで全身の体の保湿を補うことにした。化粧道具もクリームと眉毛ペン、アイカラーとチークのセットものがあれば十分。少しずつ身軽になってきて、さっとどこかに行ったり、毎日やることが短時間で済んだりする。20代までは「みんなが持っているものを、私も持っていなきゃ、大人になれない」と焦っていたような気がする。誰にも言われていないのに、テレビや雑誌が常に訴えかけている気がした。私の場合は、きれいにしていなければ、障害者だから舐められてしまうとさえも思っていた。
それからはずっと整理することを続けている。洋服、本、書類が特に多い。私の場合、実際にものを運んだり、片付けるのは誰かにやってもらわなくてはならないので、「いるか・いらないか」「再利用や寄付に回すか・処分するか」の判断を、相手に伝えなければならない。一人でやるわけにはいかないので、迷って時間がかかって申し訳ないな、これを処分すると言ったらなんて言われるだろう、と思わないわけではない。でも、私がこれまで関わってきた洋服や書類なのだから、私がよく知っている。仕分けする基準を、他人がどう思うかで判断するのではなく、自分の中に基準を作った方がスムーズだ。
こんまりさんは、「ときめき」を感じるものを残していくという考えだが、私にはそれは重すぎる作業だった。少しでもお付き合いしたものたちなのだから、「ときめき」は程度の差はあってもあるはず。私の基準は「迷ったら手放す」にした。「今、これを残したい」と瞬時に思えるものだけを残していく。しかも、ヘルパーさんの派遣時間は決まっているから、長々とするわけにはいかないので、時間を決めて行っている。それもまた、効率をよくさせてくれるので、いいことだと思う。


こんな感じで、本も書類もアクセサリーもやっていこうと思う。実は、一度やっているのだが、整理をするたびに、生活や仕事などの選択も素早くできるようになってきて、また整理をもう一度して判断の練習をしていきたいと思った。
そして、自分の要らなくなったものは、ただどこかに追いやるのではなく、なるべく必要としている人に寄付をするように心がけている。要らない服を切って布にして再利用したり、掃除の洗剤をセスキ炭酸ソーダなどを使って、きちんと自然界の物質に分解されるものに変えたり、自分が排出するものにも最後まで意識を向けるようにした。
もちろん、今の社会は、消費を勧めてくる社会だから、それに甘んじて楽する方に行ってしまうこともある。それはそれで、今の私を受け入れて、「自分が気持ちの良い生活」はなんだろうと、社会に流されないで、考えて、そして「ちょっと」行動することで、「何か見えてきたかも」と思えるくらいがちょうど良いのだと思う。
Youtubeを見過ぎると、ちゃんとしなきゃと返ってあせらされてしまう。誰も、ミニマリストになりなさいと言っているのではなく、自分で動画を再生しているからなのに(笑)。自分の関心ごとを気遣って映してくださるGoogleさんとの付き合いにも、ちょうどいい付き合いが必要そうだ。
そんな情報があふれていたり、私の場合は毎日色々なヘルパーさんにエンドレスで入ってもらっていたりするからこそ、自分の身の回りのことは自分で整理し、決めたくなってしまう気持ちが強いのかもしれない。自分の性格だけでなく、環境との付き合いによって、自分が大事にしたいことがわからなくなることもあるし、整理もされてくることもあるのである。