お久しぶりのブログの更新でした。最近は、目の前のことに集中しがちで、ゆっくりと記事を書く心の余裕がありませんでした。というよりも、書きたいことはあっても、きちんと伝えられる自信がなくて、手が遠のいていたようです。
言葉というのは、とても力のあるものだと思います。
私の生活では、ヘルパーさんにやってほしいこと、今から私がやりたいことを伝える作業を繰り返していきます。今日は、朝のヘルパーさんに、簡単な朝食を作ってもらった後に、昼食のためのチャーハンを作り置きしてもらい、昼に来たヘルパーさんには、そのチャーハンを温めてもらい、食べている間に部屋の掃除や玄関の掃除、トイレの掃除をしてもらいました。そのあとは、出かけるためにコートを着させてもらい、外出用の靴に取り替えてもらい、玄関で別れて、私は一人で買い物に出かけました。そのために、「今日は、昼食を作る時間がないので、朝のうちに作ってほしいんです。」「今日はこのあと、リフレッシュしたいので一人で出かけます。黒いライダースジャケットと茶色いスカーフを着させてください。」などと伝えていくのです。
私のいつもの日常ですが、たまに息切れをすることがあったので、やっぱり30歳を超えると体力がなくなるのかしら?と自分の衰えを感じていました。よくよく考えてみると、私の生活を動かすために、毎日毎日、ヘルパーさんに私の手になってもらっています。そのために、ひとつひとつ言葉で説明しているので、たまに息切れしてしまうのも、仕方がないな〜、むしろ自分のことも労わないとならないなと時々思うようにしています。
仕事では、相談員として障害のある方と、電話や直接の対面で話す機会が多いのですが、生活に困っている相談者と、その相談を受ける相談員との関係性について、考えさせられることがあります。
相談員が投げかける言葉は、ほとんどが相談者の生活を聞き出す質問が多く、例えば「あなたの障害はなんですか?」「受診されていますか?どちらの病院ですか?」「1日どんな過ごし方をしていますか?」など、その人の生活像の皮をむいていく作業に近いです。それは、本人にとってどんなサポートがあったらいいのかを考えるための質問なのですが、相談する側に、相談員へ信頼してもらっているからこそ成り立つ関係性。相談員は自分をさらけ出していないのに、相手にばかり答えてもらうので、特殊なことだと思います。
そのために、相談員の言葉の力は、困って相談に来た人の言葉の力より「強く」なってしまいがち。その表れとして、相談した人からは「すみません、ありがとうございます。」「お忙しいのに聞いてもらって…。」といった言葉や、逆に黙ってしまう、反論するという反応があります。「もうあなたには相談しない。」というのもあるかもしれません。専門家の言葉が「強い」からこそ、「弱い」状況にいる人は、大きい態度でいかないとバランスが取れないということを、意識的にも、意識しなくても感じるのかもしれません。
色々考えてしまいましたが、日常生活と仕事だけでも、言葉の持つ力や使い方は違うんだと気が付いたのです。
ところで、今日は、一人で買い物し、自宅へ帰る途中に、お巡りさんに二回も道で出くわしました。しかも同じお巡りさんで、二回目には「ちょっと、すみません。」と声をかけられて、内心ドキッとしました。(イィ、飲酒運転はしていません!!!)と心の中で叫ぶと、「歩道の段差など、やっぱり車椅子では大変ですか?」と優しい口調で尋ねられました。(子ども扱いの口調ではなく、普通に優しい口調で。)「そうですね。ここの地域は特に悪いと思います。」と答え、内心ホッとしました。取り締まりの質問ではなく、街のパトロールだったようです。「見回りですか?」と尋ねると、「はい、色々ありますので。」と頼もしい返答。このようなお巡りさんが多くいたらいいなと心から思いました。
このようなホッとするような言葉のキャッチボールをしたいものです。
今日は、久々のブログでした。
このように猫のような手で、パソコンを打っています。意外と早いです。
それではまた。
