今年も蝉の鳴き声が朝から聞こえるようになった。まだ繁忙期ではないが、蝉のみんなが順番に孵化して泣き始めている。あともう少しで、朝5時ぐらいから、うるさく感じる位の蝉の合唱が始まって、起こされる時期になりそうだ。
梅雨の時期はなんだか体がだるかった。 私は本格的な夏になってくると、徐々に食欲が戻ってくる。というか、食べていかないと、真夏の暑い時期を乗り越えることができない。
毎日、毎日、今日は何を食べようかと考えるのは、生きる上で必要であるが、たまにめんどくさいことがある。たまに、というか毎日、少し億劫だなぁと感じる。自分の手で好きなように料理できるのならまだ良いのだが、私は、自分が食べたいものや味を優先しようと思うと、ヘルパーさんに作り方を教えなければならない。自分の手でないために、ヘルパーさんに納得してもらって動いてもらうのは、思ったよりも頭を使う。
ヘルパーさんによって、料理が好きな人もいれば、ただの作業のようにやる人もいる。 私はできれば、野菜を切る音や、鍋で何かを煮る音、フライパンの上で炒める音なども楽しみたい方だ。 お菓子作りのように決まったやり方、決まった分量で料理することに慣れている人もいれば、目分量で適当に料理することに抵抗がない人もいる。私はと言うと、後者の方で、調味料や作り方などその時その時、私の感覚で進めていき、偶然おいしいものができると言うことに喜びを感じている。まるで実験のようだ。
ヘルパーさんが、私の指示を受けて料理してくださっている。だから、私は料理の楽しさを覚えた。最近、実家を出て一人暮らしを始めた20代の脳性麻痺の方は、一人暮らしをして初めて毎日いろいろなものをヘルパーさんと料理していると言う。ヘルパーさんに教えてもらいながら、混ぜたりこねたりするときは自分でやるなど、その方なりに「料理」 という営みに参加している。
そうそう、その生活の一つ一つに、家主としてきちんと参加するということが生きるということだと思う。 すべて自分でやる必要は無いし、できないところは手伝ってもらうのが良い。でも、どこまで手伝ってもらうのか、どこを自分でやるのか、自分はそこにどんな楽しみを求めているのかなど、人が決めるのではなく、自分であだこうだと考えながら、ヘルパーさんにどうやってるの?と聞いてみながら、自分の生活に取り入れていけば良いのだ。
私はよく、お酒を普段飲むヘルパーさんが来たときに、家でお酒を飲むことがある。もちろん、いつでも飲んでも良いのだが、どうせなら「プハーっ、おいしい!」と叫んだときに、そうだよね。わかるわかると言ってもらえるヘルパーさんの方が、飲みがいがある。それに、他のお酒の種類や、家での楽しみ方など話題はどんどん広がっていく。
以前に、手作りのコーラを作ったので、炭酸とウイスキーを割って、 コークハイを作った。手作りのジンジャーエールもあったので、すぐ思いついたのがジンジャーハイボール。それは前に作って飲んだのだが、その時にヘルパーさんから「コークハイもできるんじゃない?」 と教えてくれた。確かに。
それからは、おいしい料理ができたときに、コークハイを作って家での晩酌を楽しんでいる。ちなみに、ドラマで栗山千明が出ている「晩酌の流儀」を教えてくれたのもそのヘルパーさんだ。
それを見てからは、なんだか食欲が戻ってきた。
「食欲がないね。もっと食べたほうがいいんじゃないの?」 って言われるより、そういった何気ない会話から元気って回復するんだなぁと改めて思った。今まで、「〜しなさい」「〜のほうがいいんじゃない?」と上から目線に言う福祉サービスの職員さんは何度も見たことがある。私も、ヘルパーさんに対してもっと運動したほうがいいんじゃないのとか、もっと健康なことを考えたほうがいいんじゃない?とか思うことはあるが、それは、自分が気になるから言っているだけだ。 そう簡単に、完璧な方法で生きれる人なんていないのだから、自分のことを棚に上げて、人のことを簡単に言うものではない。
ヘルパーさんに合わせた伝え方をするので、やはり料理をすることは、私にとってはお仕事になってしまうのだが、逆に言えばそうすることで、自分の食べたいものや味を楽しむことができるのだから、ありがたいことだ。
それでも、めんどくさいけれども、実はドラマ1つで、「やっぱりお酒の喉越しを楽しみながら、おいしい料理を食べるのが1番よね」 という気持ちが勝ってしまう。
なにげないことで、苦労も忘れてしまうのだ。
どうせ生きるなら、やっぱりおいしいものを食べたい。