じっくり何度も読んだ本です。
『読み終わらない本』若松英輔
私は、今、本を書いている。といっても、作家とか、詩人じゃない。でも、何か書きたい。そう思い続けているけれど、いつものキャンバスノートに走り書きしたり、スマホのメモに気休めに書いている日が何年も続いた。
「本を書いてみたら?」と言われても、いやいや、こんな私が書けないよ、と言いたくなる。でも、なぜか友人には書くことを勧めたくなる。あなたの経験は貴重だし、今、この瞬間の気持ちを書いておいた方がいいよ、と強く勧めている。なぜなら、私は、過去の私が書いた日記に助けられているからだ。
当たり前だけど、ずっと時間は流れている。今、この瞬間の私は、すぐに消えていく。さっきまで考えていたことを忘れて、次のことを考えている。全部を覚えていたら、頭がパンクしてしまうから、普段はそれでいいと思う。でも、ときどき、何かしたいことのアイディアが思い浮かんだり、おいしいものを食べて幸せだなと感じたり、今までにないくらい悲しい気持ちに浸ったりと、いつもより1ミリ以上違う、特別な瞬間が出てくる。そんな時は、何でもいいから書いておきたい。私はそう思っている。思っていてもできないこともあるけど、たまにできるときもある。
『読み終わらない本』は、「ことば」が持っている力と、「ことば」では表現しきれないことを、ゆっくり考えさせてくれる。若松英輔さんは、人生で何かにぶつかったときに、「自分にとっての読み終わらない本」と出会ってほしいと言っている。読み終わらない理由は、明確には書いていない。きっと理由はたくさんあるのだろう。何度も読みたくなる、ここから先は今の私では読むことができない、いつまでも机の上に置いて少しずつ読みたいなどなど。
人生のうちに、そのような「読み終わらない本」と出会えるのだろうか。
若松さんは、詩も描いている。私は、詩を読んで、何か感じることはできるのだろうかと、ずっと詩を読むことを避けていた。だから、若松さんが「すべてを読まなくていい。一遍だけでも、一つのことばだけでもいい」といったことを言ってくれたとき、心の底からホッとした。体調を崩した人が、いきなりたくさんのものを食べられないように、お粥などのやわらかいものや、少しずつの量の食べ物を食べるように、本を読むことも同じだという。
私は、本を書いているとき、たくさんのことをたくさんのことばで書きたがる。きっと読んでいる人をお腹いっぱいにさせてしまうかもしれない。それに、たくさん書きたがるのは、伝わるかどうか不安だからかもしれない。きっと不安になる必要はないのだろう。
若松さんは、最後にこうも言っている。
誰かにとっての「読み終わらない本」を書いてほしい。
何か書きたいと思っても、何かに躊躇してかけなかったとき、自分のことばに自信がなくて楽しく文章を書けなかったとき、この本を読み返す。
そして、また何かを書き始めるのだ。