くらし

あまり語られないヘルパー生活の割り切り

春の訪れとともに、気持ちが少しずつ落ち着いてきた。これまでは、寒い日ややけに暑い日が交互にやってきて、落ち着かない気持ちでいた。それに、新しい年が始まって、少し経ってからの方が、今年はどんなことをしようか、自分はやりたいことができるのだろうか、と気持ちが高ぶったり、ネガティブなことを考えたりと、気持ちばっかりが焦ってしまっていた。

気持ちばっかりが焦っていても、体は追いつかない。むしろ、逆効果である。 体力がなくて、できないことにより、自信をなくしてしまう。でも本当は、少しずつでも前に進んでいるだのが、気持ちに余裕がないと進んでいることに気がつかない。

どんな人でも、生活をしていればいろいろなことがあるように、ヘルパーを利用しながら生活している人もいろいろなことがある。だから、焦らずにいこうじゃないか。そんな風に開き直ると、きちんと自分の幸せを見つけることができそうだ。 私の場合、関西に住むようになって、ヘルパー事業所さんのおかげで、ヘルパーさんが来るのか来ないのかと言うことに不安にならず、安定した日々を送っている。自分の生活を落ち着いて振り返ると、不安を持たずに生活できていることに気がつくのだ。

日本全国で、ヘルパーさんを利用しながら生活している人はたくさんいて、私が知っている友人の中には、 ヘルパーさんとの関係に悩んでいたり、ヘルパー事業所の責任者の方に話を聞いてもらえなかったりと、悩まなくていいことに時間をとられている人がいる。私自身も、前の生活では、そんなことがあった。 だからこそ、今は、友人からのちょっとした愚痴も聞ける相手になりたいと思っている。でも、悩んでいるときにかぎってSOSを出しづらいし、私自身も自分の生活でいっぱいいっぱいなところもある。そんなときは、なかなか私から連絡できなくてごめんよ、と心の中で言っているが、連絡できる余裕は持っておきたいなぁと思っている。

私は、16年ぐらいヘルパー生活をしている。100人以上のヘルパーさんと出会っているので、ヘルパーさんとの付き合いに慣れているかと思いきや、やっぱり一人一人違うので、ヘルパーさんとうまく噛み合わなかった場合、かなりのエネルギーを使う。

というか、ヘルパーさんとの関係ばかり考えているわけにはいかない。もう一つ考えなければいけないのは、自分の体の状態や体調についてである。私は頭痛に悩まされているし、 その頭痛は体の緊張が高くなることで起こりやすくなっている。体の緊張が高くなるのは、気温の変化であったり、ヘルパーさんの身体介助とうまく噛み合わなかったり、 気持ち自体がストレス状態になったりすることが要因だと思う。

つい最近、ようやく自分の気持ちが落ち着いた。とあるヘルパーさんとうまくいかなくて、かなりの間、悩んでいた。気持ちにも体にも影響が出て、頭痛もたくさん起こっていた。 私は、きちんと歩み寄って、いろいろと考えてコミュニケーションをとっていたつもりであるが、何が足りないのか、自分が悪いのかと思い悩んでいた。

だいたい9割のヘルパーさんとは、時間がスムーズに流れるように一緒に過ごすことができる。ちなみに、相性が合うヘルパーさんの割合が高ければ高いほど、とてもいいヘルパー事業所さんだと思う。でも、みんな人間であるから、ヘルパー事業所さんがいいかどうかにかかわらず、どうしても相性が合わない人が出てくる。 そんなときは、たとえ相性が合わない人が1人しかいなくても、自分の体調に影響して、他のヘルパーさんとの関係づくりも悪くなり、全体的に生活が崩れていってしまうこともある。

私は、ヘルパーさんがいなければ生きることさえもできないから、 最初は誰でも受け入れる。そして、ヘルパーさんに私の生活の介助をしてもらえるよう、自分のプライベートまでオープンにして伝えるのだ。 だからこそ、もしお互いの関係性の状態が悪くなったとき、どこで見切りをつけていいのかわからなくなってしまう。せっかくここまで教えたのに…と悔しさがこみ上げてくることもある。

私は、それについて少し勘違いしていた。これまで、私はいい人にならなければと思っていたし、言葉が話せるのだからいい関係を作れるのは当たり前だと自分にプレッシャーをかけていた。もちろん、それはあながち間違っていないのだが、そんなことが前提になってしまうと、長続きは絶対にしない。ある程度のところまではうまくいく。でも、日々の生活の中で、いい人にならなきゃとか、きちんとコミニュケーションを取らなきゃと24時間、一生思っている人はどれだけいるだろうか。そして、世の中にはいろいろな人がいて、そこからある人たちが、ヘルパーさんとして自分のプライベートの中に入っていくのである。だから、自分が何をしてほしいのか、何をされたくないのか、についてわかってもらわなければ、いろいろな人の生活スタイルや考え方に振り回されてしまう。だから、「誰でも受け入れるというのは、自分のことを守れなくなる場合もある」ということを覚えておかなければならない。

もちろん、いろいろな人がいても、振り回されていると感じないこともたくさんある。 雑談がとてもおもしろい人、てきぱきと仕事をしてくれる人、料理がとても上手な人、洗濯物をたたむのがとてもきれいな人、身体介助が経験もないのにとても繊細にやってくれる人、編み物が上手な人、あまり話さなくても一緒にいるのが全然苦じゃない人、 などいろいろな人がいる。 いろいろな人から、いろいろなアイディアをもらうことで、ヘルパーさんがやりやすいような方法を生み出したり、私の体がとても楽になるような介助の方法を生み出したりと予想もしていなかったような、いい循環の効果が現れることがある。

今は、ヘルパーさんの悩みが解消されて、より過ごしやすいようにしていくために、ヘルパーさんの身体介助についてお互いに見直す時間を作ったり、ヘルパーさん同士が情報を確認するための連絡ノートの書き方について、新しいアイディアを出したりと、違うことに頭を使うことができるようになった。

あまり濁さずに言うと、相性の合わなかったヘルパーさんにはやめてもらったわけであるが、個人の人のことをあれこれ言うことは間違っている。そのときの、その人の、私の状況がうまく噛み合わなかっただけで、それ以上のことを考える必要はない。 誰に対しても言えることであるが、ヘルパーさんにとっては私のところだけしか仕事がないわけじゃないし、私にとっても、その人がいなくなったら生きていけなくなるなんて思う必要はない。もちろん、私のところで頑張っている方々が長く続けてくれるとありがたいし、来れなくなってしまうと気持ちの中ではがっかりしてしまうのだが。

そんなふうに、あれこれと考えていた。日々感謝しようと思いながらも、実際の日常では、ヘルパーさんが仕事を終えて帰るたびに、じゃーねーと軽い挨拶程度でお礼を言って、また次のヘルパーさんを迎えるのである。ときどき、そんなんでいいのかしらと思うのであるが、きっとあまり考えない、この状況が1番幸せなのだと思うようになった。

 

明日になることに不安にならずに、生活できること。

今、前に進んでいける環境はできている。

これでよし。

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