支援者の方へ

訓練の先生(セラピスト)との付き合い方

リハビリは、たいてい、よくない気持ちからはじまるものだ。

体に何か不自由がある人は、私もそうですが、リハビリを受けています。ずっと車いすに座っていたり、自分で全身を動かすことが難しかったりすると、訓練の先生に動かしてもらったり、運動の仕方を教えてもらって、リハビリの時間に運動をしたりすることが必要になります。

私は幼いころから訓練を受けていました。そのころ、私はふたつの大きな記憶があります。ひとつは、訓練をしているとき、自分の体を他人が勝手に動かしているような気持ち悪い感覚があったこと、ふたつめは、何を目指してリハビリをしているのかわからなかったことです。

同じ障害者の先輩からは、よくこんなことを言われています。「リハビリは、障害のある体を健常に戻すために行っているのではないか。自分たちは、医療の世界では『治される存在』だ。」といった内容です。

わからなくもないな〜、たしかに。

私も、「自分の体は『治さないといけない体』なんだ。」と思っていました。言い過ぎじゃないの?なんて思うかもしれませんね。私も言い過ぎなところもあると思っています。でも、私も、先ほどのふたつの記憶があったので、先生からきちんと説明されなかったので「他人に動かされている」という感覚しかありませんでした。「治療の対象」にしか見られていないと思うのは当然のことだと思います。

 

リハビリが「自分にとって必要なこと」と思えるまで

私は、いろいろな先生(セラピスト)のリハビリを受けてきて、リハビリの印象がやっと「自分にとって必要なこと」になりました。30年以上かかってですよ?!もちろん、いろいろなセラピストに出会ってきて、少しずつ変わっていったので、今までの数々のセラピストとの出会いは貴重な出会いだったと思っています。ただ、それは今だから言えることであって、本当はもっと早く知りたかったというのが本音です。

もし、事故や病気にあって、はじめて訓練が必要になったとき、「よしがんばるぞ!」とすぐに気持ちを切り替えられる人はいません。たくさんの人は「今までできたことができなくなって悔しい」とか、私のように「できないことがある私はダメな子なんだ」とか、よくない気持ちだけが頭の中にあると思います。そんな気持ちを持ったままで、リハビリをはじめるのは苦痛でしかありません。

私の場合は、子どものときからでしたから、大人の言うことを聞くことしかできませんでした。先ほどお伝えしたように「なんで勝手に動かされないといけないの?」「なんのためにやるの?」という疑問しかなかったです。そのために、セラピストとはまったく口をききませんでした。黙っておくことで訴えていたのでしょう。

その裏には「もっとやるべきことがある」と思っていたと今では思っています。たとえば、「自分の体の障害ってダメなことなの?教えてよ」とか、「車いすを自分で動かそうとしたら、1時間に100cmしか動かないよ。学校の友達と遊べないよ。どうしたらいいの?」とか、自分の生き方や生活に関わることが知りたかったです。もし、それがわかったら、「なるほどな。」と納得して、生活は生活で「人に頼めばいい」けど、自分で動かすことでできることも増えていくんだなと全体を見ながらやってこれたと思います。

そのように「医療」と「生活」のつながりがわからないと、患者である私たち(クライアント)はやる気をなくしてしまうと思っています。とても積極的に自分からやる気を出す人もいるかもしれませんが、医療職の皆さんは「この患者はポジティブだな〜」という感想だけで終わらせてはいけませんよ。そこまでたどり着くまでに、「自分の気持ちと向き合うこと」や「同じような境遇の人の生き方を調べること」などをしながら、なんでもいいから動いていったのです。そのとき、ある程度、周りの話も聞くけれど、「自分で向き合う」ことで見えてくることも多いかと思います。私ももっと自分の気持ちを言葉に出していけばよかったなと思いますが、子どもにとっては大人は怖い存在ですからね、よくやったなと自分を褒めることで、この話はおさめたいと思いますよ。

もともと社会で「障害者は何もできない人」「障害者になったら今までの生活ができない。もう終わりだ。」と思っている風潮が広がっていればいるほど、本人が思い詰めてしまうのは自然なことだと思います。

そんな、目に見えない悪いイメージをどう変えていくか?それを変えていくためには、時間と労力と、理解のある周りの人が必要になってきます。

 

30代になってはじめて、セラピストに担当から外れてもらった

これまで年代によって、住んでいる場所も違ったので、その度に病院も変わり、セラピストも必然的に変わっていました。でも、その都度、担当になったセラピストはずっと担当してもらっていて、この先生は嫌だなと思っても「やめてもらいたい。違う人に変えてほしい。」と言ったことがありませんでした。(めったにないですけど。)言っちゃいけないとさえ思っていたんです。

逆に「何回でも断っていいですよ。」と言われても、できれば変わってほしくないですし、また一から関係を作るのって面倒ですから、好きで断るわけではありません。しかも、「自分の体のためのリハビリ」ですから、それができていれば、OKです。でも、その目的が邪魔されるのであれば、そのセラピストは難しいなと判断してもいいと思うのです。

今回、はじめて、「信頼できるセラピスト」ってなんだろうと考えさせられたことがありました。若いセラピストが副担当でついてくださるようになり、1週間のリハビリの回数が増えました。でも、何度か、そのセラピストさんと話していて違和感を持ち、1時間のリハビリの時間だけでも、その人とどうか変わっていいかわからなくなりました。そのとき、そのセラピストさんに手紙を渡しました。(リハビリは1時間だけなので、その時間はリハビリしてほしいから、話に時間を割きたくなかった。)

信頼できるセラピストとは、セラピストの「船」に安心して乗れるかどうかにかかってきます。

  • 本人の感覚を受け入れる
    (本人がそこが痛いとか、いつもより変だと言っているのに、知識とは違うからなのか耳に入れてくれない態度だった)
  • 「今」の体のメッセージを聴く
    (前と同じ状態であるとは限らないのに、それにこだわってしまう)
  • 試したあとのフォローをしっかりやる態度と姿勢が大事。
    (リハビリで体の動きが変わってしまったあとの対処は、本人がしなくちゃいけない。なのに、「あとはあなた次第」という態度は無責任)
  • プライドよりも、一つひとつの現象に向き合う「丁寧さ」
    (すぐに知識だけで答えようとしたり、すぐに解決をしようとしたりすることを求めていないのに、勝手に分析してしまうから、生活している本人との感覚とまったく合わない)

 

これは、特定のセラピストだけに関わらず、「専門家にとっては大事なこと」だと思い、公開してみました。セラピストが計画したリハビリ(=「船」)に一緒に乗って、目的地まで一緒に協力しあってたどり着けるかが、大事だと思っています。そこが難しいと、「不安」「不審」「信頼できない」という気持ちが出てきて、その1時間が苦痛になります。それを我慢しているのはお互いにとってよくないし、私はやっとリハビリにやる気が出てきたころ(主な担当は別の先生です)だったから、副担当からは外れてもらいました。

私としては、リハビリがうまく行き始めて、せっかくここまできたから、「自分中心」でいこうと決めたのです。(決め手は、私は先生に教えるためにいるんじゃない。ということでした。)気持ちが動かないと体も動きませんから、一緒にリハビリするセラピストも選んでもいいと思えた経験でした。

 

混乱しちゃう!セラピストによって、やり方が全然違う?!

関西に来てから、いろいろな先生(セラピスト)のリハビリを同じ時期に受けるようになりました。そこで改めて知ったんですが、セラピストによって、リハビリの仕方が全然違うんです!!!私はもう大人ですから、なんとなく気づいてしまった新事実です。正確にいうと、目指すべき方向は一緒なんですが、リハビリの方法や考え方など、ゴールは一緒でも道のりの歩き方は違うんですね。

私の今、とても相性がいいセラピストさんは、もともとは音楽療法を勉強していた方で、あとから理学療法の道に進んだ方だったんですが、「呼吸」をリハビリにしっかり活用していました。私にはそれがピッタリ合ったし、セラピストさんの性格との相性が良かったようです。私が自主リハビリを取り入れるのを億劫に感じる性格を知り、小さいことを自然にできるように提案してくれます。(普段の生活でヘルパーさんと関わること自体が一仕事だと理解してくれているから、新しいことを取り入れることがいかに大変か理解してくれています。)

他のセラピストさんも、めっちゃ口が悪い(同じ歳くらいだったから)し、言うこときついけど、めっちゃ考えてリハビリしてくれた方や、技術がめちゃありすぎて私が意識しなくても体が柔らかくなるリハビリをしてくれた方など、私の体は同じなのにセラピストによって、体の反応やリハビリの印象が違うな〜ほぇ〜と感心しました。

 

で、そこで出た究極の結論は、己の感覚を信じよ

(おのれのかんかくをしんじよ。)

何も悩む必要がなく、楽しくリハビリを続けているならいいです。

でも、違和感を感じたら、ちょっと待てよ。と自分の心に手を当てて

嫌な感じがあったら、そのセラピストとは合わないかもしれません。

で、その感じを伝えようとしているときに受け止めてくれたり、直そうとしてくれたり、やり方を軌道修正しようとするセラピストだったら、そのままのセラピストさんでOKだと思います。人間ですから、セラピストであっても、その日はうまくいかない場合もあります。長いお付き合いができそうだったら、感じたことを言いやすいセラピストさんだということが言えるでしょう。

リハビリを受ける側にとっても、人によってセラピストに求めることって違いますから、私から「こんなセラピストはおすすめ」と言うことはできません。私の場合は、複数のセラピストのリハビリを受けると、手法が違ってしまって体が混乱するので、複数のセラピストのリハビリを同じ時期に受けることはやめようと思いました。もし、セラピストさん同士がしっかり連携してくれたら、どのやり方の結果、今の体の反応があるのかを分析できるでしょう。どうしても、リハビリをしたあとに、スッキリすることもあれば、あれ?首が痛いなとか違和感があることも出てきてしまいます。だから、その経過もきちんと追ってくれるリハビリのチームが必要だと思います。

 

リハビリ、つまり運動は、一生の旅である。

今回は、私が幼いころからリハビリが必要だった話や、自分自身が納得してリハビリをするまでの話、セラピストの付き合い方について書きました。いかがでしたか。

私は障害があるので「リハビリ」という言い方をしましたが、

実は、みんな運動が必要だったんですね

最近まで、体が不自由じゃない人は、
うまく体動かせているのだと思っていました。

実際は、携帯電話やパソコンの使いすぎ、仕事の時間が長すぎ、体を動かなさすぎ、年齢とともに体が変化するなど、環境との関わりや、人間の内側の変化によって、私たちはメンテナンスをしなくてはいけないようです。

そう思うと、「リハビリ」と言われただけで、5歳くらいから「自分は何もできない」と自己否定していた私がバカバカしく思えました。今のセラピストさんに、「リハビリは、一生かけてするものだから、あまり頑張りすぎず、ほどほどのちょうどいい感じで。」と言われて、そやなと納得したのは30半ば、もはやアラフォーになったころでした。

一生の旅、ですな。

だからこそ、自分の気持ちに素直になりつつ、
体が衰えずに好きなことをしていける体づくりをしていこうと思ったのでした。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です