プラスな日常

心がざわついたら、考えること

なんだか心がざわつく。そんなとき、前は、心の変化に気がつかなかったり、ただただ環境の変化に自分が持っていかれそうな感覚になったり、周りの人のせいにしたりと、とにかく私は自分をコントロールできなかった。それに、だれかに「ちょっと、私が元気ないことわかるでしょ!」と態度で、オーラで発していた。もちろん、それでは、うまくいかないけれどね。

今、この2022年の春、世界では戦って犠牲者が出てしまっていて、落ち着かない。もちろん、世界のどこかで他人が他人を傷つけていることは、目に見えないところでたくさん起きていたと思う。だから、これをきっかけに気持ちが落ち着かないのは、軽率なんじゃないかと思うけれど、これをきっかけに自分ができることをやっていくしかない。「しかない」と言うとネガティブに聞こえるけれど、選択肢はこれしかないと思えると自分の内側が少し強くなっていく気がする。

さて、自分により近いことに集中してみよう。昨日は、久しぶりに、心の芯から「オフ」の日を作った。自分がやっていることも少し落ち着いたということもあるが、一つ一つのことに迷いがなくなってきて短い時間で、もしくは長い時間でも楽しみながら、目の前の作業にあたることができたからだと思う。

実を言うと、落ち着かない時間はときどきやってきたし、涙も流したし、眠れない日々も少し続いた。周りの人のことにイライラしている日もあった。

それらの時間が過ぎたあと、不思議と気持ちがフラット(平ら)になったのだ。2月は、やっぱり私は、自分の思っていることをアウトプットしていく必要があると、自分のお尻を叩いて前に進もうとしていた。それでちょっと無理をして、その反動が出てきたのかもしれない。そこから考えると、これからが冷静に、かつ気持ちはこのままで進んでいくことができそうだ。

昨日の「オフ」の日、私は急に、アメリカンなクッキーを口いっぱいに入れて食べながら、ミルクティーを飲みたいと思った。もっちり柔らかいクッキーを一口一口、味わうように食べながら、ミルクティを口に流す。パーフェクトな組み合わせだと思った。

人を傷つけなくても、日常の小さいことに幸せを感じることができる。

自分の感覚を取り戻していく。

 

ここで伝えたいことは、きっと、こういう大切なこと。

「今」起こっていることは、いきなり起こったのではなく、それまでのプロセスがあるから、どうして「それ」が起こっているのか、これからどうなっていきたいかを自分の胸に手を当てて考えてみることだ。

いつだって、未来はあるのだから、未来に向かって、人が幸せとか心地良いとか思えることをしたらいいのではないか、と。

 

まずは、疲れたら…もちろん、疲れる前にも、ブレイクタイム。

 

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