ミミズはできれば見たくない。もし、自分の机の上にいたら、ぎゃーっと叫んでしまうだろう。昔、バングラデシュに行ったとき、宿泊したホテルの天井に無数の蚊が張り付いていた。もし、日本の私の自宅がそんな感じだったら、生きていられる気がしない。でも、不思議なことに、バングラデシュにいたときは、怖いと思わず、ふつうに寝ていた。朝のイスラム教のお祈りの音楽を聞きながら、もう朝か〜と、蚊のことなど気にもせず、朝の時間に浸っていたくらいだった。
どうも、その場所の景色や空気になじんで存在するものには抵抗がないらしい。ついでに、もう一つ、バングラデシュのことを話すと、大きなネズミが道路で天に召されていたが、それも気持ち悪いな〜とはあまり思わなかった。もちろん、その光景自体は嫌だけれど、全体の景色と同化していて、その一つ一つの〜ちょっとふつうじゃない景色の一つ一つの〜ことを受け入れる覚悟を持てた。
私たちは、農家ではなかったり、畑を耕していなかったりする限り、ミミズを日常的に見ることはない。ミミズは、人間が残したものや野菜のくずを食べて、うんちをし、そのうんちと土、空気や日光によって、野菜をすくすく育てる栄養満点の土を作る。そして、人間はそのおいしく育った野菜を食べるのだ。ミミズが大量に育てば育つほど、毎年、私たちに食べ物を与えてくれる。そんなに良いことをしているミミズなのに、その働きぶりを見る人間は少ないのが現実だ。
私たちは、ごく狭い世界しか見ていない。目の前に見えていることで完結しているかのように錯覚してしまう。そこでなぜか、一番言葉が通じるであろう人間同士のことで悩み、疲れてしまう。そして、ミミズが出たら気持ち悪い!と叫ぶのだ。ミミズとのつながりを感じられないのは、人生の半分以上をわかっていないのと同じような気がする。
私たちは、この地球になじんでいないのかもしれない。この地球で、頭でっかちになって、すべてをわかっていますという顔をしてしまう。逆に人間が地球になじんでいないんですけど…と、だれかが突っ込まないとわからないままかもしれない。今も、ミミズはせっせと働いているのだ。
