疲れている人が多い
最近、友人や知り合いが「気持ちが疲れてきた」とため息をついたり、忙しすぎて燃え尽きしてしまいそうになったりする様子を見ることが多くなった。これを書き始めた時期が、12月で1年の終わりだからかもしれない。でも、カレンダーの時期とは関係なく、ストレスを感じる日が続いたり、目の前のことに追われてしまい、気がついたら体や気持ちが悲鳴をあげてしまう。
よくYoutubeなどでは、自分の体と気持ちに静かに向き合える「瞑想(めいそう)」や「呼吸」、食材を切る音や香り・栄養補給でエネルギーを回復できる「料理」、自然に触れて忙しい気持ちを和らげられる「野菜作り」や「植物」、まずは頭を休ませる「睡眠」など、いろいろな方法を知ることはできる。すぐに行動に移せるときは大丈夫だが、そうはいかないことも多い。「あーあ、いつも同じことの繰り返しだ。」「どうして、私はいつもこうなんだろう?」と思うこともあって、ネガティブな気持ちがさらに増えてくる。
そこで、今日は、「疲れてしまったら、自分のためにやること」というテーマ。本当は、疲れる前に予防したほうがいいのだが、そんなに器用にできないことだってある。だから、「疲れてしまったら」でもいい。
障害者の視点だけど、いろいろな人が当てはまる
障害者である私の視点で書いたものなので、以下ような対象者が経験するようなことを書くが、障害のない人にも当てはまることは多いと思っている。(ページを変える前に、下記だけでも読んでくださると嬉しいです。)
- いろいろな介助者の方とひっきりなしに関わる人
- 社会を変えるための運動や啓発活動をしている人
- マイノリティ(社会の人々の中では、同じ境遇にいる人が周りで少ない人)のため、簡単に弱音やグチを吐くことができない人(わかる人がいないため)
以上の内容は、もっと広い視点で書くと、以下のような方々も対象になると思う。
- 自分のプライバシーを自分の力では守れないことがある人
- とにかく他人と関わることにストレスを感じる人
- 家族であっても、考え方や生き方は違うので、相性が合わないと思っている人
- いろいろな情報がありすぎて疲れている人
- 自分は何をしたいのかわからなくなったことがある人
- 「仕方がない」と仕事で我慢している人
- 心ない一言を言われて、怒っている人・傷ついている人
- 自分の気持ちは誰にもわからないと思っている人
「寝る」は、簡単で究極なシャットアウト
疲れているときは、外からの刺激を何もかもシャットアウトしたくなる。もう何も言うな!!だれとも会いたくない!!など、叫びたい気分だ。しかし、疲れているときは、声すら出ない。だから、そんなときは「寝る」が一番。
体が不自由で、日常生活に介助が必要であるほど、生きるために他人と関わらなくてはいけない。おしっこやうんち、水を飲みたい、何か食べたい、本を読みたい、テレビを見たい、もう眠たい…など、ありとあらゆることをするたびに、他人の手が必要だ。
その世界は究極の「一人になれない人生」である。しかし、よくよく考えると、どんな人だって、最低でもスーパーやコンビニでご飯を買わないといけないし、SNSを開いたら嫌な情報でも見なきゃいけない。それに、仕事をしている人は上司や同僚との付き合いがあるし、家族がいれば、顔を見たくないときでも会わないといけない。「いけない」わけではないが、離れたくても離れられないという意味で、強制的に、「一人になれない人生」なのである。
もっともストレスが溜まったときは、周りにいる人が動いただけでも、刺激が大きすぎて、イライラしてしまう。だれかに気持ちをぶつけてしまったとき、相手も傷つけるが、それと同時に自分にもダメージをくらう。そして、堂々巡りにイライラしてしまう。
そんなときは、「目を閉じて、布団でおとなしく寝る」が手っ取り早いし、お金もかからず、そして、すべての刺激をシャットアウトできるのだ。私は、ストレスがいきなりガンッとたまることがあるので、そのときはいきなり寝てしまう。しかも短時間で深い眠りに入る。私の気持ちが不安定だとか、私が悪いとかではなくて、「脳」が疲れているんだと思って、脳に休ませてあげるのだ。「脳よ、パンクしそうだから、しばらくリセットしようよ。」と心の中で会話して、寝てしまうのだ。
いつも50%できたら、良い。
私は、この考え方を身につけてから、かなり楽になった。ときどき、ものすごく反省したり、他人に完璧を求めてしまいそうになったりするが、それによってイライラするようになったら、この言葉をつぶやくようにしている。
「いつも50%できたら、良い」でしょ。いつも同じことを50%できていたら「成功を維持している」ことになるし、いつも違うことを50%できていたら、けっきょく昨日の内容よりできていることになる。それの積み上げだと思えば、まぁ、30%でも気にならない。
どこまでいけば良いのか、どこまで何をしたら幸せなのか、ゴールの見えない旅をしている気分になる。生きているかぎり、人との関わりは永遠にある。その中で「結婚しなさい」だの、「今はYouTubeで稼げる」だの、「仕事はこうあるべきだ」だの言われるたびに、心が不安定になってしまうのは気のせいか。
心の健康にとって良くないことは、自分が納得していない考えに自分の人生を合わせようとしているときである。しかし、「世の中についていけないのでは」という不安で、合わせようとしてしまう。他人が決めたゴールや目標に合わせることは苦痛だ。それが影響して、もっとゴールに近づかないといけない!と焦ってしまうのだ。
私は、体が不自由なことにより、体の反応が正直なので、「お休みしようよ」センサーが働き、倒れる前に休むことができる。健常な体ほど、その「お休みしようよ」センサーの反応が鈍くなってしまう人が多いと思う。どんなにセンサーが鈍くても、じつは、他人に当たり散らしたり、他人のことを批判したり、ネガティブなことを言葉に出したりして発散している。そういう人は、体がすごく硬くなっていたり、顔がこわばっていたりする人が多いと思う。
社会の中で生きているかぎり、社会の課題からは逃げられない。それに、仕事で求められたことには応えないといけないことがほとんどだ。しかし、よくよく課題や仕事を机に並べて見てみると、すべてのことを同時に100%やることは厳しい。本当に必要なことには、人員をたくさん当てることが必要だ。(周りに助けやアドバイスを求めるなど)
仕事でも、生活のことでも、「いつも50%できたら、良い」という状態になるように、本当に保留にできることは保留にし、難しいことはもっと得意な人に回すと良いだろう。
そんな世の中が当たり前になると楽だろうな。
まずは、自分の気持ちの中でやってみると、ちょっと楽になって、状況が変わらなくても、楽なまま、その場にいられるかもしれない。
もっと書きたいことがあったけど、また今度。
私も疲れてしまう前に、あまりたくさん書きすぎず、また今度書こうと思う。
みなさんは、疲れてしまったとき、何をしていますか。
コメントに書いてくれると嬉しいけどな、どうでしょうか。
では、また。
