ご家族・すべての方へ

いろいろな顔を出せることはいいことだ

私の大好きなラジオチャンネル「チャポンと行こう!」で、とても興味深いことを話されていた。「家を出たら外向きモードで別人になる私が、もし誰かと一緒に住むことになったら、素の自分を出せるのだろうか。」というリスナーの質問から、お二人のパーソナリティの「いろいろな人に見せる、いろいろな顔はどれも自分なんだよね。」というお話が印象的だった。

家族に見せる顔、友人に見せる顔、恋人に見せる顔、職場で見せる顔、一人で自宅にいるときの顔…など、どれも同じ顔はないんだろうなと思う。ラジオの中で、「八方美人とか、良い人ぶるとか、ネガティブなイメージでこの言葉が使われるけど、八方あれば八方違うよね。いい人にも思ってもらいたいし。」といったことを話していたとき、なんだかホッとした。

というのも、これまでの経験で、「相手によって違った顔になることが、ダメなことや珍しいことだ」と思わせられるようなことがあったからだ。

私は、これまで100名くらいのヘルパーさんに自宅に来て介助をしてもらった経験と、障害のある方への相談員として働いていた経験があり、福祉サービスを利用する側と提供する側の世界を見ている。

どちらの経験からも感じていることは、「利用者がそれぞれの支援者によって態度が変わることは、『支援者にとって』気になる」ということ。

もちろん、利用者にとって心地よくない支援者がいたら派遣をしないようにするとか、言葉を話せない利用者の希望を汲み取るために、それぞれの支援者への反応を見るとか、「利用者にとって大事なこと」を知るためなら必要なことだと思う。

一方、支援者が集まって、「利用者がそれぞれの支援者に見せる顔」を会議で共有するときに、利用者が支援者を受け入れているか・いないかによって、「私はできている」「あの支援者はできていない」という評価をすることに集中していたとしたら、「支援者にとって、ただ知りたいだけ」になってしまう。福祉で働く側の世界では、利用者の態度について、あの人には怒っている、あの人には甘えている、あの人には優しい、あの人には無視をする……といったことは、観察する側にとっては珍しいこととして認識されることが少なくない(と私は思う)。

少し立ち止まって考えてみたいことがあって、それは「だれもがいろいろな顔を持っていて、うまく使い分けられている人は、自分のそれぞれの顔を出せるくらいの人が、自分の周りにいる」ということだ。

福祉の支援が必要であればあるほど、私の場合は「ヘルパーさんばかりの世界」にいるし、グループホームに暮らしていたら、スタッフか入居者との関わりが多い世界だ。そのため、その限られた世界で、自分の中にあるいろいろな顔と付き合うしかなくなる。自分でどこかに出かけ、友人やサークル仲間、恋人やパートナーと出会うことができたら、それだけ自分の中のいろいろな顔を出すチャンスが増えてくる。

本当は、だれもが、いいところも見せたくないところも持っていて、タイミングや相手を考えて試行錯誤をしながら、いろいろな顔を出している。

福祉の世界で、それが「監視」につながってしまったら、窮屈で仕方がない。福祉で働いている方々も、利用者の「八方美人」にとらわれる必要がない。なぜなら、八方あれば八方違うし、時間が経って、年齢も重ねれば、見せる顔も違ってくるのだから。

 

いろいろな顔があることは自然なことなんだと気づくと、ホッとする。

自分も、そして相手もそうなのだと思うと、
もっと肩の力が抜けて、楽になるのではと思う。

いろいろな顔を出せる環境があることって、
当たり前のようで難しいことなんだ。

いろいろな顔を出せる環境を、少しずつでもいいから作っていこう。

 

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