夢のことを思い出そうと、しばらく頭の中でタイムスリップをしていました。思い出すまでにちょっと時間がかかってしまった!まずいな〜!と思いつつ、思い出せたことにホッとしました。ざっくりいうと、小学生のときは漫画家、中学生・高校生のときはカウンセラー、大学生のときは社会福祉士、今は日本語教師。並べてみると、おかげさまで、どれも何かの形で生かされてきました。
でも、一度あきらめた夢もあるし、この先は現実的に働ける道を選んでしまいます。一生の中で、輝いているときは「ほんの一瞬だ」と何かの本や誰かが言っていたような気がして、その一瞬ではない「他のたくさんの時間」がとっても辛いときがありました。私が輝いていたときは、「コミュニティカフェをやりたい」と言っていたときでした。いろいろな友人に企画書を渡して、楽しく話していたような気がします。
障害があるというだけで、仕事ができないと思われたり、トイレ介助などのサポートがなくて仕事ができなかった時期を過ごしてきたりしたので、その悔しさやもったいなさを感じてきました。その悔しさをバネに、「いろいろな人の能力を活かせるコミュニティ」を作ろうとしていました。でも、いろいろな事情で、そこにエネルギーを使うことができませんでした。
状況が苦しくなればなるほど、「現実的なこと」を考えてしまい、「夢」という言葉さえも忘れてしまう。そんなときに出会ったのが、『1歳から100歳の夢』という本でした。気持ちが落ち込んでいるときは、このような「夢を語る本」を遠ざけたくなることが多いです。ふとその気持ちが落ち着いたときに、開いてみると、昔の自分を思い出してきました。
そして最近、友人に「Michikoは、オンラインよりも、いろいろな人と会って、表に出て、仕事をしていたほうがMichikoらしいと思う」と言われて、ハッと我に帰りました。いつの間にか、自分の気持ちを置き去りにしていたようです。そのことを教えてくれる友人がいることにかなり感動しました。
100人の夢を一つずつ見ていくと、その人の大切にしていたことや悔しかったこと、周りの人々の存在などが見えてくるようです。夢を語るということは、自分ひとりのことだけではなくて、いろいろな人やものがくっついていることを思い出すことなんだな、と思います。だからこそ、エネルギーが必要なんだな、と思います。
それでも、いつでもいいから、どんな夢でもいいから、語ろうとする気持ちや、語り始める勇気や時間が必要なんだな、と思います。
一つ一つ歳を重ねていきながら。