タイ・イタリア

(17)帰国後も、旅の余韻にひたる

日本に戻ったのにイタリア語に聞こえる!?

 成田空港に到着した。いつものように最後に出ることになる。ブロンド髪のチーフさんともお別れの時。グラッツェ、ミッレ!(とってもありがとう)とお礼を言った。最後に写真を撮っておけばよかったと後悔した。本当に愉快で楽しいアテンダントさんたちだった。

 降りると、日本人のスタッフさんがお迎えに来てくれていた。空港用の車いすでまずは手荷物を受け取るところまでいかなければならない。男性スタッフが2名付き添っていた。吸い慣れている日本の空気。ただ、耳がなんだかおかしい。音の一つひとつがガヤガヤ話し声に聞こえてしまう。後ろから男性の声が聞こえる。Michikoの後ろで車いすを押している男性スタッフが何かを話している。何を話しているのかわからない。色々な音がイタリア語に聞こえて仕方がない中で、男性の声もイタリア語なのかと耳を疑った。

 「段差を上がります」「後ろ向きに降ります」などの声かけを、車いすを押しながらしていたようだった。よくよく聞いてみると、ごにょごにょと歯切れが悪いのがわかった。一瞬、イタリアに染まりすぎて日本語がわからなくなったか!と自分の頭を疑ってしまったが、若くて経験が浅いからだなと心の中で思いながら、自分がおかしくなくて良かったと安心するのだった。

 何日もその国、その土地に行くと全然慣れていないところなのになじんでしまう。住んでいる場所に戻った時、とても慣れているはずの場所を見ると新鮮に感じる。イタリア語なのに、表情や身振り、場面があることにより、日本語で理解しているようにスムーズに頭に入ってくる。日本語なのに、言葉として捉えられず、意味も頭に入ってこない。そんなことが不思議でたまらなく面白いと思った。

 日本に着いた瞬間に、日本語をイタリア語と認識してしまったのは、イタリアの空港でのおもしろいエピソードが忘れられないからだと思う。

もういちど余韻にひたる〜イタリアの空港のスタッフさんとのやりとり

 イタリアの空港でYUKAさんとChikakoさんと別れた時の話に戻ろう。

 最初は触診による体チェックだ。女性で黒縁メガネをかけたお姉さん。「ピアチェーレ、ディコノセラ!(はじめまして)」とMichikoはさっそく挨拶をした。メガネお姉さんはびっくりし「どこで習ったの?学校?」と聞いてきた。実は、本当にイタリア語は聞き取れないのだが、単語を拾ったり、表情や状況を含めて聴いたりすると、なんとなく言っていることがわかるのだ。そのあとは、最後のゲートまで少し歩いた。途中には、飲食やお土産のお店、ブランド物のお店などがあり、リュックやスーツケースを持った人々でにぎわっている。帰国する観光客が多いのか、ベンチに座って休んでいる団体も多かった。

 車いすを押してくれたのはダンディおじさまだ。行きのミーティングポイントまで送ってくれたおじさまは、紳士的で優しそうな男性だったが、今回はお酒が好きそうでやんちゃなおじさまといった感じだ。Michikoお決まりのピアチェーレ!から始まり、「ミキャーモ、Michiko!コメシィキアーマレイ?(私の名前はMichikoです。あなたのお名前は?)など数少ないレパートリーのイタリア語を炸裂した。やんちゃおじさまは、車いすを両手で押さずに片手で動かし、ちょうどMichikoの斜め横にいる位置にいた。横に並びながら、お話ができるデートスタイルの車いすの押し方だ。結局、彼の名前は覚えていないため、やんちゃおじさまとしておこう。

 気分が良くなったのか、やんちゃおじさまは歌を歌いだした。ブラーバァー!と合いの手を入れて盛り上げる。いつしかタクシーで出会ったスマイルおじさまの、狭い空間でのオペラドゥエットを思い出す。やんちゃおじさまの車いすを押すスピードが速くなっている。歌いながらノリノリになってしまった。違うところに連れて行かれやしないかとヒヤヒヤ(笑)。

 ゲートにたどり着くかと思いきや、ある部屋に到着した。本当に連れてかれたのか?!なんていうのは冗談で、入口に入ると、車いすの高さにちょうど良い机の受付のようなところがあり、パソコンで何かをチェックしている女性が座っていた。部屋全体を見渡すと、車いすに乗った海外の人々がすでに10人弱いた。ここは車いすのお客さんや高齢のお客さんなどが休む部屋のようだ。タイ航空にも広くてソファもたくさんあり、落ち着いて休める部屋がある。高齢者や病気がある人など少し疲れやすい人や、小さいお子様がいる人も休める部屋だ。イタリアの部屋は車いすユーザーと高齢者しかいないようだ。

 やんちゃおじさまが、Michikoが乗っている車いすのブレーキをかけてどこかに消えていってしまった。別なスタッフさんも見かけて、行きの時にお世話になった紳士的なおじさまもいた。おじさまも気がついてウィンクとスマイルをくれた。もし、タイ航空に予定通り乗っていたら、再会できなかった!よし、心細いけれど、楽しもう!と思った瞬間だった。

 近くに車いすに乗ったおばさまがいた。目が合いボンジョルノ!と挨拶をする。白髪のおばさまにお連れ様はいないようだ。杖を持っていたため、長い距離じゃない時は歩いているのだろう。おばさまは本を読みながらのんびりと待っていた。Michikoも常にかばんを膝の上に抱えて、物を自分で取れるようにしていた。イタリア語の指さし本を取り出し、使えるイタリア語がないか調べることにした。10分くらい経っただろうか。急にスタッフのおじさまたちが戻ってきて、順番に私たちは部屋を後にすることになった。白髪おばさまは、スタッフさんに車いすを押されながら「ボーン、ビアッジョ!(良い旅を)」とMichikoに手を振り、Michikoもボーンビアッジョと返した。

 良い旅を!

日本のアテンダントさんは丁寧で優しい

 新千歳空港に父親とヘルパーさんが迎えに来てくれていた。到着の時刻は伝えてあるが、最後に降りたり、車いすに乗り換えたりしていると予定よりも30分以上はかかってしまう。そんなことは許容範囲で、首を長くして待っていただいた。

 成田空港からのアテンダントさんも親切に対応していただいた。「何かありましたらお手伝いしますので声をかけてください。」と女性アテンダントさんの笑顔が輝いていた。日本では、介助が必要な人は「介添人」を付けるよう言われることが多いが、問題なく手伝っていただいた。もちろん、ここで対応していただいたからと言って、全国いつでも問題ないかと言ったら実際にはそうではないだろう。ただ、現場で働いているスタッフさんは、必ずしも障害がある人に理解がないわけではなく、むしろ他のお客さんと同様に何かできることはしたいという気持ちを持っている方は多くいらっしゃるように思える。

日常の中でも、終えた旅の余韻にひたる

 帰国後は父親と一緒にスープカレーを食べに行った。母親は自宅で待機をしていたが、何日も経たないうちに「次はどこに行くの?」と聞いてきた。実家に帰った時は、兄が「おかえり。楽しかった?」と良く帰ってきたねという表情で迎え入れてくれた。帰国したその日に一人暮らしの家に戻った時は、疲れているはずなのに、荷物の整理からし始めた。ヘルパーさんに、「それとそれは洗濯で、これはあそこに置いて。」と指示を出して、やってもらっていた。片づけて寝ないと気が済まない。全部終わると死んだように寝て、12時間以上寝て時差ボケを直していった。

 Eikoさんには、2,3日後に電話をして無事に帰国したことを喜び合った。Eikoさんが「ひとり旅も最初は不安だったけれど、楽しかったよ~。」と話していた。帰りの空港で飛行機の時間を待っていて、途中でトイレに行ったら、スタッフさんとはぐれて案内する人がいなくなったらしい。それでも、チケットを他のスタッフさんに見せると、無事に飛行機まで案内してくれたようだ。Eikoさんの「なんとかなる」精神には負ける(笑)と思った。

 落ち着いた頃、旅の思い出をノートに書き記していこうと思ったが、全部を書くことができなかった。最後にはこのように記して、無理やり終わらせている(笑)。

 「話はたくさんありすぎてかききれない。

  ローマで出会った人たちには、ローマに滞在中はいつでもすぐそこにいるという感覚だったが、

  飛行機が離陸し上昇してきたら、さみしさでいっぱいになった。

  またローマに帰りたい。

 タイで出会った方々にも本当にお世話になった。帰りに戻れなかったのが残念だったが、Eikoさんに戻っていただいただけでも満足だった。アクシデントによりお互いがひとり旅になったが、帰りはEikoさんと「手分けして」タイとイタリアを楽しんできた気分だ。

 ありがとう。コープンクァー。グラッツェ。

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