タイ・イタリア

(8)生きること自体「ひとり旅」!~リスクの先に得られるもの

店員さんと試着室で格闘?!

 ひとり旅には、ひとり旅でしか味わえない良さがある。自分が行きたいと思った方向に行き、見たい風景を気が済むまで見る、思いのままにふらっと行ったことのないところへ寄ってみたり、そこで偶然親切な人に出会い、お互いの時間が許すまで話に花を咲かせる…。ひとりゆえに、困ったときは、周りに自分から声をかけたり、自分で判断して行動しなければならないが、そのスリルさえもひとり旅の醍醐味だ。

 旅というと大げさだが、ひとりで出かけることも、Michikoにとっては「ひとり旅」だ。

 よくひとりで、洋服を買いにショッピングに行く。札幌駅でヘルパーさんと別れて自由になると、車いすのスピードを上げたり、人ごみの中をぬって走らせる(ヘルパーさんがいると、ヘルパーさんの歩くスピードや立ち位置に気を付けなければならないが、一人だと自由!)。

 駅中のショッピングモールを歩き、興味の引くお店に入ると、店員さんのある言葉があるかないかで、そのお店の素晴らしさがわかる。「何か気になる物がございましたら、お取りしますので、お声かけください。」と声をかけてきたら、9割の確率で買い物をしてしまう。

 店員さんに気になる洋服を伝えて持ってきてもらうと、「この服は意外と肩幅が広いんですね、私はなで肩なので、格好が悪いんです。」とか、「花柄は小さいものより大きいものがいいかしら」とか、店員さんと直接やり取りができる。

 そして、気に入ったものが見つかれば、試着をしてみたい。ある店員さんは「試着してみますか。」と言ってくれて、試着室まで案内してくれたが、自分で着替えができると思っていたようだった。

 でも、「私はお手伝いが必要なんです、脱いだり着たりできないので、手伝ってもらえますか。」と伝えると、状況をわかって手伝ってくれる。店員さんはMichikoの体のことがわからないため、「どちらの腕から袖を通しますか。」「引っ張っても痛くないですか。」などきちんと聞いて手伝ってくれた。私も店員さんに不安を与えないために、「全然痛くないのでそのまま腕を引っ張ってくださいね。」「こっちから介助すると楽ですよ。」と行動に合わせて話をする。お互いに狭い試着室の中で、汗だくになりながらも、服の趣味や普段やっている仕事についてなど、他愛もない会話をしながら着替えていった。

 ずうずうしくお手伝いをお願いしておきながら、きっと初めての経験で焦っただろうと心配になり、一着だけ試着して決めようと思っていた。ところがどっこい、店員さんが他の色のものを着比べてみた方が良いと、アドバイスしてくださり、合計3着を脱ぎ着することになった。予算よりもかなり高い洋服であったが、店員さんが汗を流した分や楽しい時間の分を考えると、払うのが全然苦じゃなかった。

 もし誰かと一緒にショッピングをしていたら、このようなやり取りはできなかっただろう。実際に、友人やヘルパーさんなど、車いすに乗っていない人と一緒にいると、Michikoとは目を合わせずに付添の人に質問することが多い。例えば、買い物の会計で、クレジットカードで払っているのは本人なのに、カードを財布から出す介助をしたヘルパーさんに「何回払いしますか」と聞いたり、病院で次回の予約を取る時に、付添の人に真っ先に確認したりすることがあった。

 「ひとり旅」によって得られる出逢いがある。病院の職員であるとか、学校の職員であるとか、ヘルパーさんであるとかと違い、立場には関係のない付き合いだ。きっと、一緒に汗水たらした店員さんは、買ってもらいたいという思いだけではなく、試着の楽しさを一緒に分かり合える素敵な女性だったに違いない。

障害者は宇宙人?

 障害者と接したことがあまりない人にとっては、話しかけることすらハードルが高い。

 講演活動をしていると、「障害者とどうやって関わったらいいのか」わからない人が多いことがわかった。特に、「道端で車いすの人が段差を乗り越えられずにいた場合、どうすればいいのですか。」といった質問が、小・中・高校生だけでなく、大学生や大人から必ず出てくる疑問だ。よくよく聞いてみると、過去に勇気を振り絞って「手伝いますか」と声をかけたら怒鳴られてしまった人や、自分で段差を乗り越えたいのかな?と思い声をかけなかった人、飲食店でバイトしていた時に車いすの人を見かけて、どんなお手伝いをしたらいいのか迷っていた人など、思い思いのエピソードがあることを知った。

 そういった質問に対し、「道端で地図を広げながら困っていそうな人を見かけた時に、声をかけてみようかなと思ってかけてみるのと同じです。」とMichikoは答える。困っていたら「この場所に行くのはどうしたら良いですか」と聞かれるだろうし、大丈夫であればノープロブレムと答えるだろう。用が済めば、じゃあ!とその場から立ち去ればよい。

 たしかに、障害者側からしてみると、以前のMichikoのように、自分が障害者であることや、ひとりでできないことに悔しさと情けなさを持っていれば、「お手伝いしますか」の一言で傷ついたり、怒り奮闘したりするかもしれない。

 一方で障害がない人から見れば、普段から接したことのない人にとっては、障害者に声をかけること自体勇気がいることであり、そこで出会った障害者の印象は強く残るだろう。悪いイメージを最初に持てば、声をかけることさえ躊躇してしまうだろうし、良い出会いをしていれば、次の機会に他の障害者に出会っても話しかけやすい。

 一人ひとり違う性格なのはみんな理解できるのだが、障害者というと、出会ったひとりの障害者で「みんなそうなのかな」と印象付けてしまう。宇宙人にもし会ったことがあるとすれば、「宇宙人って、こんな形しているんだ」と思うのと似ているかも!?あまり会ったことがないと、驚きや新鮮さを味わう人もいれば、不安や恐怖を抱く人もいるのだろう。

 実は、私の経験上、ヘルパーさんと一緒にいるよりも、一人でいた方が周りの人から話しかけられることが多い。

 最寄りの地下鉄の駅員さんには、毎日のようにスロープを出して列車の乗降の介助をしてもらっている。そのため、顔を覚えられている。一度だけ自分の名刺ケースを校内に落としたことがあり、自分の名刺を見て駅員さんのほとんどが、Michikoのことだとすぐに気がついてくれたという。本当は都市部の忘れ物センターに運ばれるはずだったのだが、わざわざ行くのは大変だと気遣ってくださり、朝早くに電話をいただいた。

 それ以前には、タイとイタリアに行く時に始発の地下鉄に乗った時は、珍しい時間もあって「どちらに行かれるのですか。」と聞かれて答えたら、帰国後しばらく経って、一人で地下鉄に乗る時に「イタリアはどうでしたか。」と話しかけてこられた。

 他の日には、駅員さんにスロープをお願いしようと、いつものように窓口に行くと、「最近、雑誌に載っていませんでしたか。」と聞かれた。市電に載せている「まちのモト」で原稿を見てくださっていた。駅員さんにとっては、私のことは宇宙人じゃなくなったかな?

 一人でいる時は、逆にMichikoから声をかけることも多くなる。ある日、横断歩道を渡る時に、段差が少しあったため、同じタイミングで渡る男性二人組に声をかけて、後ろから手伝ってもらいたいと声をかけた。一緒に渡りきった時に、男性から「このバッテリーってどうやって充電するんですか。」と質問された。Michikoは「自宅にあるコンセントにつないで充電できるんです。」と答えた。男性は、あ~そうなんだとすっきりした顔で嬉しそうにしていた。短い会話しかしていないが、このような会話が自然とできないのが現状だ。

 「UFOで突然現れたのではない。同じ地上にいるのだから、Michikoも普通の生活をしています」と、声を上げて言うほどではないので、心の中でひっそりと想うMichikoだった。

知らない人のお尻を拭く?誰にも経験できない出逢い方

 Michikoが「ひとり旅」をすることで、私も、そして出会った相手も新鮮な経験をする。さきほどの店員さんも他人の着脱介助をするなんて思ってもみなかったにちがいない。

 実は、他のところでは、トイレ介助を頼んだことがある。特に、男性とデートで食事に行った時、急にトイレがしたくなって、デパートの店員さんで引き受けてくれそうな女性を探して、手伝ってもらった時があった。男性は「俺なら介助しても良いけど、Michikoは嫌でしょ?」と察してくれる。お腹がMAXに痛いのをこらえつつ、お腹が痛くなるのは人類一緒なんだからこの際どうでもいい!!という強引な男勝りの気持ちと、やっぱり女性は捨ててはならぬ!という女性心が戦って、身障者トイレがある近くのデパートに駆け込むのであった。

 Michikoのトイレ介助は、車いすと便座の間の移動やパンツの着脱、お尻を拭くところまで必要である。「下のお世話」と言われるように、きれいな言葉で言えばプライベートゾーン、悪く言えば汚いところのお世話である。そのようなお世話をできる人もいれば、生理的にできない人もいて、誰でも良いというわけにはいかない。様々な人にお願いごとをすることが多いMichikoは、初めて会う人でもインスピレーションで、快く引き受けてくれる人なのか、嫌な顔をする人なのかがわかる。これ!っていう根拠はないし、引き受けてくれる人も内心は不安でたまらない人もいるから、説得力がないのだけれど、経験上備わってきた能力なんじゃないかな。

 きっと、Michikoが直感で選ぶ人は、相手ときちんと向き合ってくれる人だと思う。男性とのデートでお腹を壊した時に、デパートで声をかけた女性は、小柄でショートカットでさわやかな印象の洋服の店員さんだった。デパートの中に入って、5階の身障者トイレに行きつくまで、廊下を走りながら店員さんの顔を一人ずつ見て回った。化粧品の美容部員さんは、ヒールでスカートを履いているから危ない…、50代以上を対象にした洋服を扱うところの店員さんは年齢層が高くて、Michikoを支えながら立たせてもらえるか不安だ…、あの人は少し表情がきつくて余裕がなさそう…、相手の体や精神状態を一瞬でみて自分なりに判断していく。

 もちろん、その時のMichikoは、お腹がキュルキュル!グルグルピーの状態で、最適な人を見つけるために第6感をフル活用しながら、車いすを走らせていた。十数人の店員さんを見て回り、やっと出会った人が、ショートカットでズボンを履いたかわいらしい女性。お店に入るなり、「すみません、お願いがあるんです。お腹を壊してしまってトイレに行きたいのですが、自分でできないのです。お手伝いの仕方は私がしっかりお伝えしますので、お願いできないでしょうか。」と真剣にお願いをした。そう、お腹がMAXグーグーなのだから、かなり真剣なのである(笑)

 そんな中、一つずつやり方を丁寧に伝えていくと、その女性も真剣にその通りに手伝ってくれた。途中で、Michikoが立つためにお腹周りを支えておく必要があるため、「○○さんの右腕全体を私のお腹周りに密着させて、あまり力まず声掛けと同時に上へ持ち上げてください。」と説明を続けていく。途中で店員さんからも「痛くないですか?」と声をかけていただき、用を済ませてパンツを履いた後に「お腹周りは気持ち悪くないですか?」と聞きながら直してくださった。Michikoもその女性を気遣いながら、痛いところがないか聞いてみたり、「そうです、そんな感じで大丈夫です。」と動いてもらった後にはすぐに声をかけるようにしている。不安な中でやっているからこそ、必要な言葉なのだ。

 見ず知らずの人に介助をお願いすることはリスクも高いため、その人ばかりに頼らずに、Michikoを車いすから便座、便座から車いすに移動させるところだけ、デート中の男性にお願いしたりと工夫をすることが大事。私がケガをしても、相手には絶対にケガをさせてはならない。いつもそう思っているのだ。だからこそ、躊躇せずに、面倒と思わずにしっかり伝えることが何より大事であることを身に染みて感じている。

【2020年記】いつまでも続けたい、予想できない経験

 外で出会った人に、いきなりお手伝いをお願いする経験は、本当に面白かった。もちろん、相手の方が引き受けてくださるかどうかはわからない。そんなリスクを頭に入れておきつつ、1%の可能性があるなら、頼んでみるといいと思う。どんないい出会いがあるか、わからないからだ。

 人に何かをお願いすることは、迷惑なことだと思っている人が多い。でも、そもそも、だれも一人で生きることはできない。自分でできない人、どこか劣っていると言われる人は、声を小さくして、存在も小さくしていたほうがいいのだろうか。

 何が正解かというよりは、どのように考えたほうが生きやすいか、どうして迷惑だと思ってしまうのかを考えることが大切だと思う。

 これまで、毎回と言っていいほど、「ケガをしたらどうするのだ」と周りから言われ続けてきた。学校へ入学、大学で介助をお願いする、旅をする、施設でカップラーメンを自分で作ろうとする…時に、「大きな責任を背負っているんだぞ、それでもやるなら、私は責任を負わない」と言われてしまう。

 

 誰でも一歩、外に出たらリスクがあるし、自宅にいても災害などのリスクがある。生きている限り、リスクはあるのだから、そのリスクをどう減らしながら、自分の望む人生を歩いていくかが大事だと思う。

追記

この記事は、2012年11月2日から12泊13日でタイとイタリアへ旅をした時のノンフィクションの物語です。以前に本を出す予定で書き溜めていたものですが、色々とあって出版には至っていませんでした。

それを知った友人が「それはもったいない」と言い続けてくださり、最近ようやくこちらに載せようと思い始めました。

連載ものになっていますので、ぜひゆっくりと読み進めてみてください。

今では、新型コロナウィルスの影響で、タイやイタリアに住んでいる友人や出会った人々が元気に過ごしていらっしゃるか、心配しています。

友人に気づいてもらえたら嬉しいなという思いで、連載で載せることにしました。

どうかお元気でいらっしゃることを願って。

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