新千歳空港からタイへ「オムツ」大作戦、決行!
2012年11月2日(金)、Michikoの旅は、「オムツ」を付けることから始まった。
サポートはその場所その場所で出会った人にお願いする!と意気込んではいたものの、安心がどうしてもほしかった。それは、機内のキャビンアテンダントが介助をしてくれるとは限らないからだ。航空会社のホームページには、「特別な介助が必要な場合は介添人が必要です」といった内容を書いているところがほとんどである。日本の航空会社はもちろん、今回経由することになるタイ航空も、車いすのお客様への注意書きに、そのような文言が書かれている。
機内で手伝ってもらえなかったら仕方がない…「オムツにする」しかないのだ。そのために、新千歳空港までヘルパーさんに送ってもらい、搭乗手続きの直前にトイレに行って「オムツ装備」をしてもらった。「オムツ」は、股のところがヨレていると、横のヨレている隙間をぬって漏れてしまうことがある。そこも念入りにチェックをしてもらい、緊張した面持ちで「オムツ装備」をしていった。水分も出発前から摂っていては大変だ。大変だ、大変だ、大変だ…そう思えば思うほど、のどが渇いてくるじゃないか。
この方法は、自分が自由になるための一つの方法だ。赤ちゃんか寝たきりの高齢者が履くようなものを、若い女性が履いているとなると、恥ずかしくてあまり考えられない。Michikoにとっては、ヘルパーさんがいればいつでもトイレに行くことができるが、一人でいる時間や友人、恋人といる時間がほしい。安心か自由か、どちらを取るかで「オムツ」が、究極の手段になってしまうのだ。
「オムツにする」という行為は、何とも言えない違和感がある。あ、ここからは、食べながら読まないでくださいね。おしっこは、「オムツ」の中でしようと思ってもなかなか出るものではない。膀胱が爆発するかっていう状態でもぎりぎりまで我慢をしてしまう。そこまでいってしまうと、普通にトイレでしようとしてもなかなか出てこない。「オムツ」の中で何度かしたことがあるけれど、おしっこはかなり温かい。おしりが、ほわっと温かくなる。漏れなければ外からは臭いはそんなにしないけれど、自分だけ「おしっこをしている」ことがわかると、かなり恥ずかしい気持ちになる。堂々とできず下を向いてしまう。いつかは取り替えなければならないが、その時の臭いで、自己嫌悪に落ちることもある。
一人暮らしをしていると、ヘルパーさんが夜から翌朝までいることもあるが、福祉の制度上24時間ヘルパーを付けることが難しいのと、ヘルパーさんがいるとひとりでいたり、友人を呼んだりしづらいため、ひとりで寝ている時も多い。ある日、明け方3時ころに急にお腹を壊し、「う○ち」がしたくなったことがある。当然、自分でベッドから起き上がって移動することはできないため、布団の中で縮こまりながらひとりで耐えることになる。そんな時はもう大変。もうこの世が滅びても良いから、まずはトイレに行かせてくれと叫びたいほどである。
いつもは緊急でヘルパー事業所に電話をすることが多いが、その日は、明け方という本当に電話がしづらい時間帯のため躊躇してしまった。どうしよう…お腹がぎゅーーーーっとねじれるように痛く、肛門がかなりゆるんでいる…もう1回、この波が来たらもう終わりだ。冷や汗をかきながら、枕元に置いてある携帯電話に手をなんとか伸ばして、携帯電話を開いて(当時はガラケー、パカパカ携帯)いつでも電話ができるものの、通話のボタンを押す気持ちが揺らいでいた。そう、いわゆる下痢と格闘をしていた。けれど、格闘しているのは下痢ではないのかもしれない。「人に迷惑をかけてしまう」「こんな自分を見られるのが嫌だ、恥ずかしい」という気持ちを投げて、助けを求められるか!?という自分との格闘であった。
結局、ヘルパー事業所を退職されて、その後も近所づきあいをしていた女性に急きょ連絡をして来てもらった。が、しかし、最終的には間に合わず、「オムツにする」ことになってしまった。おしりの周りで、「火山の噴火」が起こる感じ…。ヘルパーさんがずっといた方が良いのではないかと、自由を求めるのがバカだったのかと後悔する瞬間だった。その女性に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。「いいよ、いいよ。」と言いながら、下着を洗ってくれていたが、Michikoにとって、屈辱でしかなかった。何もできず、ベッドに横たわっている自分が、大人の大きさの赤ちゃんに思えて仕方がなかった。
どうか、中断されたお食事を続けてください(笑)。もっと重度の障害がある人や高齢者で「寝たきり」の人がいる。十分にケアできる体制であれば「寝たきり」である必要がないため、その状態を「寝かせきり」と表現する場合もある。
本人が問題だという視点で考えると「寝たきり」という表現になる。一方で、周囲の支援の体制が整っていないことが原因だと考えると「寝かせきり」と言うのだ。他人の支援が必要である人ほど、「オムツ」を履かざるを得なくなってしまうが、「オムツ」の中でどんな状態になり、どんな感情になるのかはあまり知られていない。なぜなら、自分で意思表示できなかったり、本当の気持ちを言いたくても言えなかったりするからだ。
トイレに関しては、Michikoにとっては、子どもの頃からぶち当たっているモンスターだ。倒しても、倒しても、次々と出てくる。仕事に就こうとすれば職場のトイレ介助が誰がやるのか、旅行に行きたい!と思えば介助ができる人と一緒に行かなきゃ、まだ付き合う前の男性といい感じになったらデートはどうやってすればいいのか…。そんなことに悩みたくないと言っても逃れることはできない。ならば、立ち向かっていくしかない。けれども、今まで積み重ねてきた屈辱感が消えぬまま、出発の日が来てしまった。あ~、ドキドキ。
車いす&ステッキコンビ、いざ、出発。

出発前の写真を撮り終え、「オムツ装備」も完ぺき。出発が10時45分のため、車いすで乗車する時は早めに手続きをしなくてはならない。朝9時頃。そろそろ、搭乗手続きに行こう。Eikoさんと一緒に「よし、行こう。」と合図して、一緒に受付に並びに行った。Eikoさんは、杖=ステッキで歩き、もう片方の手でスーツケースを引っ張っていく。すたすたと歩くことはできない。ゆっくり確実に進んでいった。Michikoは、車いすの背もたれに、リュック一つと、機内用の座布団を入れた袋をかけて、膝の上にも中くらいのバックを置き、電動車いすで動いていった。パスポートや搭乗券などをバックから出す・しまう作業は、Michikoがやろうとすると時間がかかってしまう。Eikoさんに、ふたりの分を渡しておいて、受付で渡してもらうようにした。
車いす&ステッキコンビの旅が始まった。
タイにたどり着く前から、いっきにタイへ!?
ゲート前までたどり着き、車いすを押していた空港のスタッフさんが一度、私たちから離れていった。Michikoは自分で車いすを押すことができないため、また待つしかない。とうとう乗り込んでいくんだ。後戻りができない怖さ、でも本当に実現するんだというわくわく感でいっぱいだった。ゲートのあたりにいる複数のアテンダントがそわそわと準備をし始めているのがわかった。男性はピシッとしたスーツに、女性はやわらかい色合いのスーツスカートと首にはきれいなスカーフ。さきほどのスタッフさんが来て、「それでは、行きますね。」と言いながら、車いすのブレーキを解除してゲートに向かい始めた。車いすの場合は、出発する時は他のお客様よりも先に乗り、到着すると最後に降りるというのが普通。だれも乗っていない飛行機に、車いす&ステッキコンビが乗り始める。
機内の入り口にたどり着いた。新千歳空港だから肌寒い。たどり着くとタイ人のアテンダントが出迎えてくれた。手のひらをあごの前に合わせて「サワディークァ」。ゆったりとしたかわいい挨拶が特徴だ。わぁ、ここからタイの雰囲気だ!!
ということは、アテンダントさんはほとんどタイ人!日本人は1名程度しかいないのである。車いすから座席までの移動をアテンダントさんにお願いしなくてはならない。まずは、車いすの大きいタイヤを外し、座席の間の狭い廊下でも通れるようになった。その時、座位を自分で保てないMichikoにとって命綱のひじ掛けも外され、左右の支えが何もなくなった。
ちょっと待ってよ、倒れそうになったらなんて言おう…ス、ストップ!!って言っちゃいそうだけど、それじゃわからないよな。
Michikoの体を抑えてくださいって何て言うんだったっけ?Could you hold my body…書けるのだが伝えられない。日本人の典型だな、わたしは。英検2級を持っているのにこんなんで恥ずかしい。
結局、I can’t sit myself.(自分では座れません)と言って精いっぱいだったように思う。Hold me.ともいっただろうか。実は、こんな簡単な言葉でも、OK.とにこやかに対応してくれ、横を手で押さえてくれていたアテンダントさんの記憶がある。次は、座席の横に車いすを付けて、その後、Michikoの脇を持って上半身を抱える人と、足を持つ人に分かれて横に移動する。移動の介助は男性アテンダントさんが行うことが多い。
「ヌン、ソン、サン!(1、2、3!)」。こんな時、掛け声の「いち、にぃ、さん!」が同じなんだ!と面白い発見をした。と言いつつも、この時のMichikoにはそんな余裕は米粒くらいしかなかった。移った後は、奥に座らせてもらわないと居心地がとても悪い。ましては約8時間の飛行機移動だ。足も床につかないでぶらぶらしていた。まずは、奥に座らせてもらわなくちゃ、アテンダントさんがOKかい?と言う雰囲気で、Michikoの様子をうかがっていた。記憶を頼りにすると、Back!(後ろ!)と表現したような気がする。そんな簡単な言葉でも、もう一回Michikoを持ち上げて奥に座らせてもらった。 この様子を先に奥に座っていたEikoさんが、応援のまなざしで見てくれていた。やっと座ることができ、Eikoさんがひざ掛けやベルトを直してくれた。
「とうとうふたりで乗ったんだ!やっとこの日が来たんだね!!」とEikoさんと、手を取り合って喜んだ。その後すぐに、乗客が次々と乗り込んできた。タイ航空の紹介のビデオが繰り返しテレビに映っている。女性アテンダントは藤色のスーツスカート。ゆったりとした機内の雰囲気の中に、乗り込む乗客の流れがせわしなく動いていた。
飛んだ! 手を取り合って喜んだ瞬間!
Michikoの足は、まだ床につかないままぶらぶらしていて、具合が悪い状態だ。離陸が終わるまでは足の下に台を置くことはできない。しばらく我慢だ。Eikoさんが、Michikoの荷物を足元に置いてくれた。
30分程経っていよいよ出発の時間が来た。アテンダントさんも指定の席に付き、離陸の準備をする。飛行機が動き出し滑走路へ。タイヤが高速回転してくると、一気に動き始めた。体が後ろに持って行かれる感覚。ものすごいスピードで走りだし、ついにはフワッと浮いてきた。
その瞬間、「うわぁぁぁあ!本当にタイに行くんだね!私たち。出発したんだね!」と手を取り合って喜びあった。Eikoさんは海外という未知の世界への挑戦に対して、Michikoはサポートを現地で会った人にお願いをする旅への挑戦に対して、スタートを切った喜びに満ちていた。そして、共通しているのは、「障害や病気があってもあきらめず、この旅を思いっきり楽しむ」という挑戦心がついに震えだした!!

同じ人間だもの。言葉が下手でも通じる!
離陸が終わり安定した飛行になると、ワゴンで飲み物や食事の時間に機内食が配られる。まずは飲み物が運ばれてきた。Would you something to drink? (飲み物はいかがですか)と、飲み物の種類を教えてくれる。Apple juice, please.まあ、これは言えるでしょう。Eikoさんも全然問題なし。
そこにさらに、Can I have a straw? (ストローはありますか)アテンダントさんが少し困った顔をして、ストゥロォ?この単語は確かなかなか通じない場合があると聞いていた。I cannot have a cup by my hand. (自分の手でコップを持てないんです)そっか!と言う晴れた表情でStraw! と言ってJust a moment, please. とその場から立ち去って行った。待っている間、しばらくEikoさんとおしゃべり。だけど、なかなか戻ってこない。やっと戻ってきたと思っていたら、Sorry…と申し訳なさそうな表情。もしかしてなかったのだろうか。すると、よくよく聞くと、機内にはストローなかったということで、アテンダントさんが買ったパックのアップルジュースについているストローを外して持ってきました、という予想もしなかった対応だった。まだ使っていなかったので、どうぞ使ってくださいと言っているのがなんとなく伝わってくる。文章に起こせるほど正確には英語を聞けていないのだが、ニュアンスはなぜかわかる。最初から、心温まる出逢い!
その後、テーブルにジュースやタイ語の指さし本などを置いておき、Eikoさんも持ってきた漫画などを置いておき、ふたりで話をしたり、思い思いに本を読んだり、目をつぶってみたりと自由に過ごしていった。その途中、アテンダントさんがドリンクサービスを終えた頃、Excuse me! と通りすがりを狙って声をかけてみた。声をかけるまでにもドキドキが止まらない。いつ声をかけていいのやら、周りの状況を見るのに疲れてきた。けれども、問題の足ぶらぶら状態をなんとかしたい。女性アテンダントさんが来て、用件を聞いてくれた。足が辛いので、下に何か置いてほしい。その表現もなんとか片言で行い、枕を用意してくれた。

お手伝いしてもらう時のエチケット
お手伝いをしてもらう時に気を付けたいことは、お手伝いをしてくれる相手のペースに合わせるということだ。でも、それは場面や相手によって、どうやってお互いの関係を築くか、そして「心地よく合わせられるか」が違ってくると思う。
日常生活でヘルパーさんを利用する場合は、ヘルパーさんに何をしてもらいたいのか、どのタイミングかは、頼む本人が言わなければ意味がない。本人の生活スタイルが崩れないようにサポートすることを仕事として来てくれているからだ。
しかし、病院や寮で暮らしていた思春期の頃、自分の必要なタイミングで頼むことを「わがまま」と思われていた。職員が来るまでベッドから起こしてもらえなかったり、着替えができなかったり、トイレができなかったりしていた。他にも介助しなければならない人がいるからだ。大人しく待っていなければ、「わがまま」と思われることはわかっていた。こんな基本的なことで、「わがまま」扱いはされたくない。そのため、周りの大人たちには、「人に合せること」がいいことだと当たり前のように言われていたため、義務感で待つしかないと思っていた。
場面は、タイ行きの飛行機の話に戻ろう。
アテンダントは、機内にいるすべての乗客に心地よいサービスをしなければならない。だから、ストローがほしい、枕がほしい、足を高くしてほしいなどとお願いをする時は、色々なお客様の安全を守り、気を配らなくてはならないアテンダントの使命を邪魔してはならないということを頭の隅に置き、気を長くして待つことがマナーだと思う。
ストローがほしいと頼んだ時も、機内食を配っている最中であったため、それが終わってからだと思った。アテンダントさんも「申し訳ありません、待っていてください。」と遠慮せず、かといって「当たり前だ」と思わずに丁寧に状況を説明してくださった。
タイへ到着する1,2時間前に、入国審査のためのカードに記載をしておかなければならないが、書くのが苦手な人は戸惑ってしまう。氏名やパスポート番号、住所や入国の目的等を書くが、座位のバランスがうまく取れないMichikoにとっては、機内の机で書くのが少し大変だった。Eikoさんも、手先が思うように動かないため、マスの中にきれいな字で書くことが難しい。
すると、入国審査カードを配布していたアテンダントさんが、私たちの席に来るなり、「代わりに書いた方が宜しいですか。」と尋ねてくれた。え!なかなか頼みにくいし、頑張ればできるから遠慮しておこうと思っていたところに、ありがたいお言葉!Eikoさんも「いいんですか?」と笑顔がこぼれた。
もちろん、そのアテンダントさんは、他の乗客にカードを配るお仕事がある。「お客様にお配りしてきますので、それまでお待ちください。」そんな風に言われると、待つことは全然苦ではない。むしろ、待つことがエチケットだと思うのだ。

わかっちゃいるけれど、我慢をしてしまった。
タイ航空のアテンダントさんは、申し分のないサービス精神で対応してくれる。ひざ掛けをかけてくれたり、ストローがほしいと言えば機内にはないのに私物のストローを持ってきてくれる。足がだるいため宙に浮いている足の下に、ちょうどいい高さの枕を置いてくれる。
新千歳空港から出発する時に行った「オムツ作戦」のことを思い出そう。機内でトイレ介助をしてもらえなかった場合のことを考えて、念入りな装備をしていった。でも、オムツにするにはけっこう勇気がいることだ。オムツの中でしてしまった時の気持ち悪さをわかっていると、なおさら水分量を少なめにしようという意識が働いてしまう。
機内食を食べ終わってからも、尿意が全然感じられない。入国審査カードを書く時間にも、おしっこをしたいと思わない。Eikoさんは「Michikoちゃん、トイレは大丈夫なの?」と心配をしていた。Eikoさんは、1,2回トイレに行っている。それをうらやましいとも思っていなくて、トイレって何だっけ?ってわからなくなるくらい、Michikoの頭と体はトイレをすることを忘れてしまったようだ。緊張しているな~~Michikoよ。
【2020年記】トイレを我慢するという癖は日本人特有?!
専門学校で講師をしていると、それぞれの学校の規則を知ることがある。その中に、「授業中は、先生に断りを入れてからトイレに行くこと」「授業中に、飲み物を飲む場合は先生に許可を得ること」などといった内容があった。
少し話は飛んでしまうが、アメリカで研修をした時、大学で講義に出ていても、飲食は自由にしてもいいことを知った。事業所へ見学に出向いた時に、バナナやオレンジといったフルーツや、コーヒーがセルフで用意されていた。そういえば、甘いドーナッツもあった。
10代の頃に養護学校の施設で暮らしていると、職員にトイレのタイミングについて「また行くの?」と言われたことがある。しかも、悪気はなく言っているのだから、若い私はなんと言っていいかわからなくて困っていた。
今考えると、日本の教育では、トイレを自由に行くことがあまり良しとされていなかった。だから、トイレを自分ですることのできない障害のある人に対して、トイレの時間まで管理しようとしてしまうのかもしれない。もし、自由にトイレに行ってもいいという個人の判断に任せる環境が当たり前であれば、こうはならなかったと思う。
働くヘルパーさんも、たいていの人は水分を取らないようにし、トイレを我慢する。だから、口を酸っぱくして、トイレに行くことや飲水をしてもいいということを伝えるようにしている。ヘルパーさんが我慢していようと、私はヘルパーさんがいる間は、遠慮なく何度もトイレに行く。なぜなら、水分を取らずにいると脱水を起こし、倒れてしまって、生活も仕事もできなくなるからだ。
海外を一括りにできないが、やっぱり海外は、必要なことを我慢するよりは、しっかり伝えたり、授業の参加の仕方も個人の責任に委ねられていたりする気がする。
何が正解とかは言えないが、少なくとも、体に悪いことはよくないことだと思う。
追記
この記事は、2012年11月2日から12泊13日でタイとイタリアへ旅をした時のノンフィクションの物語です。以前に本を出す予定で書き溜めていたものですが、色々とあって出版には至っていませんでした。
それを知った友人が「それはもったいない」と言い続けてくださり、最近ようやくこちらに載せようと思い始めました。
連載ものになっていますので、ぜひゆっくりと読み進めてみてください。
今では、新型コロナウィルスの影響で、タイやイタリアに住んでいる友人や出会った人々が元気に過ごしていらっしゃるか、心配しています。
友人に気づいてもらえたら嬉しいなという思いで、連載で載せることにしました。
どうかお元気でいらっしゃることを願って。