休日モードの日曜日、みなさんはどのように過ごしていますか?私は、ほそぼそと仕事をしながら、休みのようで休みじゃない日々を送っている。
私の頭の中には、いつも時計がある。どの時間にどのヘルパーさんが来て、どれくらい一人でいられる時間があって、トイレは何時に済ませたら、一人でしばらくいても大丈夫かを、計算するのだ。
普通の家事や、着替えやトイレの介助、入浴介助に身体のストレッチ、ヘルパーさんの部屋、布団やシーツなどの洗濯や掃除など、ヘルパーさんがいるうちにやってもらっている。
ヘルパーさんには、とても協力的に、私の決めた順序や、やり方でやっていただいているが、それぞれで得意・不得意があるので、無理強いせずにやってもらっている。スピードや効率の良い動きなどは、ヘルパーさんが動きやすいようにやってもらっているのだ。

そのために、同じ内容のことをやってもらっているのに、時間のかかり方が人それぞれ違ってくる。それでも、必ず決まった時間に終わってもらわないといけないので、微調整は、私がさせてもらっている。
たとえば、朝であれば、最低でも、洗濯物は干しておきたいし、食事を済ませ、ウンチもできる時間は確保したい。そのために、朝は早めに起きて、時間の終わりぎわで慌てないようにしている。
もし、時間が余ったら、いつも人の出入りがあるため、床のゴミをほうきで掃いてもらっている。時間が余らなかったら、次回の時間に掃除してもらうという割り切り方をしている。
大げさにいうと、
・やらなくても、死なないことは、できなくても次のチャンスに持っていく
・やらないと、1日のルーティーンが崩れたり、私が覚えておかないとならないことが増えたりする場合は、必ずやってもらう
・今は、ヘルパーが15名に増えて、それぞれが忘れてしまうことが出てくるが、ある程度は、他のヘルパーさんが気づいて、補ってくれるだろうと信じる
そもそも完ぺきに、毎日同じ過ごし方をしている人は、この世界にどれだけいるのだろうか。なので、片づけたあとの布団がいつもより違う畳み方になるなど、少しの誤差は、イレギュラーな変化として楽しむことにしている。基本の状態に戻してくれるヘルパーさんがいるからこそ、複数のヘルパーさんに入ってもらっても、生活自体を崩すことはないのだ。
もし、布団の位置を数ミリ単位でも気にかけて「きちんとしてください!」と注意をしていたら、ヘルパーさんを利用している本人は、気が滅入ってしまう。そして、注意されるヘルパーさんは精神的に辛くなり、辞めてしまう人さえいる。
でも、もし、そのような細かいところまで利用者が言うようになったら、「自分の生活をこれ以上、崩したくない」という思いでいる可能性が高い。私にも、昔はそういうときがあった。基本的な生活のことやヘルパーさんとの関係性に、そもそもうまくいっていなくて、「体は辛いし、ヘルパーさんには伝わらないし、細かいところまで気になるようになって、神経が尖っている」状態を経験してきた。
自分の部屋に他人が入ってくるからには、いろいろなことを考えている。入ってもらいたくない領域、ヘルパーさんが居やすい環境作り、決められた時間でやってもらいたいことなど。
基本の動きをしながら、私のそのときのスケジュールに合わせてくださるヘルパーさんは、やっぱりプロだと思う。
私の頭の中は、いつも時計が動いている。
今日は、おやつやお酒を飲むのもいいかな、と夜のヘルパーさんに買ってきてもらおうと企んでいる。