つぶやき

自立生活の先輩のご逝去を悼んで

先日、自立生活の先輩が遠く離れたところへいかれた。少し前から調子が悪く、入院もされていたと聞いていた。彼は、全身の筋肉が衰えていく病気の一つである筋ジストロフィーという障害を持ち、人工呼吸器を使いながら、40代の男性と代わりのない生活をしていた。

彼とは、私が20代前半のころに一人暮らしを始めたころに知り合った。彼が代表をしている自立生活センターで働かせてもらっていた。そこに併設されているヘルパー事業所は、私は利用者として利用していた。

今から5年くらい前に、ヘルパー事業所のスタッフと大きなもめごとになり、それをきっかけにいろいろな問題が出てきて、私も被害者となった。そのときに救ってくださったのが彼だった。

私は、新しい生活を一から作ることに奮闘してからは、ほとんど彼には会っていなかった。彼も、一からヘルパーの体制を立て直し、自分のしたい人生を歩もうとしていた。

それから5年。

私は、たくさんの理解のあるヘルパーさんと会うことができ、自分でヘルパーさんをマネジメントしながら、一般就職や相談員などの仕事にも就くことができた。

それまでは、ひっきりなしにヘルパーさんが辞めて、そのたびに、新しい人の研修を丸投げされたり、プライバシーのことを他の人に漏らされたり、陰口をたたいたりされていて、その対応に追われていたのだ。8年間ずっと我慢してきた状態から、解放できるチャンスを作ってくださったのは彼のおかげだった。

この合わない5年間で、彼が自分のしたいような人生を歩んでこられたことを、私は願っている。夜に飲み歩いたり、女性と付き合ったり、好きなことを気のすむまでしたり、(そういえば料理も好きだったから、きっと)料理をしたり…常に、ヘルパーの手が必要な中で、ヘルパーをときに困らせながらでも、悔いのない人生を歩むことができたと信じたい。

なぜなら、施設で生活するしかないと言われてきたところから、反対を押し切って自立生活をしてきたからだ。施設は、職員が常にいるから「安心・安全」だと言われる一方、起床就寝、食事、入浴など日常のすべての時間が決められ、職員の目下で「プライバシーを見られる」ことが普通の場所である。

愚痴を言うことも、友人と遊びまくることも、酒で潰れることも、コンビニでダラダラお菓子を買うことさえも、「できる」という選択肢があるかどうかで、生活の質は格段に違う。

介助が必要であればあるほど、冒険し、失敗し、またなんどもトライできるチャンスを奪われて、「安心・安全の方が幸せでしょ」と正当化されてしまう(正しいと言われてしまう)。

私は、彼は若い脂ののった20代のころから、いろいろあったかもしれないけれど、意思を曲げなかったところを尊敬させてもらいたい。(→日本語がおかしいですが、そういう心境です。)

彼のご逝去の報に接し、心からご冥福をお祈りいたします。

追伸

今回、この件をブログに書こうと思ったのは、世の中には、障がいのある方が試行錯誤しながら、自分の人生を悔いのないものにしていこうとしている方がたくさんいるということをお伝えしたかったからです。

もちろん、彼のすべてを知っているわけではありません。私が出会ったとき、そして今の生活がある背景には、彼の存在は大きく、そのことを残しておきたいと思いました。

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