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ベテラン介助ユーザーのブログを書く本当の理由

日常生活で、他人にやってもらわないといけないことが増えれば増えるほど、自分の生活スタイルを伝える技術が必要になってくる。みなさんも、いずれは遅かれ早かれ、自分でできることが減っていき、他人にゆだねないといけなくなっていく

私の場合は、生まれつき障がいがあるため、「他人に下のお世話をしてもらっている歴」は30数年のベテランである。ベテランになるまでに、失敗や成功を繰り返して、試行錯誤をしていった。でも、どんなに経験しても、そう甘いもんじゃない。100人のヘルパーさんがいたら、100通りの付き合い方があるからだ。毎回、新しい挑戦の繰り返しである。

みなさんは、もし介助が必要になったとしても、一から私の経験した苦労をする必要はない。私には、今のうちに、人の手を借りてきた経験を書くことしかできない。どんなことを私が書こうとも、基本は「自分の日常を変えなくて済むようにすること」「(さらに余力があれば)前にやってみたいと思っていたことに手を出せること」が根本にある。

よく考えてみると、みなさんには、すでにできないことがある。それは、自分の体を手術して治すこと。医者でも「自分の体」にメスを入れることは無理だ。誰かにやってもらわないと手術できないことは、誰でも納得できる。

それでは、髪を切ることはどうだろうか。これは意見が分かれそう。自分で切れる人もいれば、自分で切れない人、切ろうと思えばできるけれど「もっと上手に、自分が疲れずに切りたい」ので「他人にゆだねる」人は多いと思う。そこをゆだねた分、切っている間は休めて、雑誌も読めて、終わったらデートにすぐ行けてしまう。疲れていないので、次の日の仕事にも響かない。

人間の体は、一人で生きられるほど、完ぺきな作りをしていない。自由に使える手が何本もあれば、手術だって、髪を切ることだって朝飯前かもしれない。

では、トイレに行くことはどうだろうか。こうなってくると、自分でトイレに行ける人の方が多くなっていくので、そういった「自分の日常に近い」ことほど、だんだんと「日常の介助の必要性」を理解できる人が減っていく。

その理解の得にくさは、お金がどうしてもからんでくる。髪を切るときは美容師にお金を払う。手術は、一部は医療費で、一部は自腹になる。しかも、保険料はそのために払っている。

なら、ヘルパーさんなどによる介助は?高齢者が利用している介護保険によるヘルパー制度は、利用する人の自己負担と、介護保険料と自治体のお金で成り立っている。障がい者となると、所得が少なければお金がかからない仕組みになっている。

ここまでくるとわからなくなっていき、障がい者は働きもせずに税金払わないで、国の保障で介助してほしいなんてよく言えるな!という、この社会の仕組みを前提にした反感しか出てこなくなる

本当は、障がい者になっても、働くことができ、おしっこに自由に行ける社会の仕組みができれば、いいのである。

障がい者のところで介助の仕事をしている方々は、いろいろな意味でプロフェッショナルである。この仕事を続けている人は、生活や仕事をしている、もしくはしようとしている、いろいろな年齢層の障がい者のサポートに入ることを通して、社会にあるそもそもの生きづらさを知り、お水を飲む、おしっこに行くなどの行為の補助を自然にやってのける。

「日常の介助を自然にできる人」がたくさんいたら、みなさんが介助を必要としたときに、すぐにでも「これまでと変わらず、生活ができる」のである。その精神を引き継いでいく人が増えていくことで、自分だけでなく、家族や友人、恋人を少しでも救うことになるかもしれない。

自分で頑張れちゃう人ほど、「ここに人の手やアイディアがあれば楽なのに…」という「すでに感じ始めている、生きる上で必要なのに自分ではできないこと」さえも口にできない

だから、私は、気ままなブログを追求していき、いつかどこかで、いろいろな人と感覚がピタッと合う日が来るといいなと思っている。

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