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ひたすら書きつづけるとどうなるか、試してみる

ブログを毎日書いてから5ヶ月目。最初は、内容はともかく、毎日書くだけで、自分を褒めていた。今も自己満足でしかないかもしれないと思いながら、進めている。今は、前よりも書くことに時間をつくることができなくなった。でも、頭やパソコンを打つ手が止まらない感覚がある。こうなったら、どこまで書くことができるか、やってみよう。

なぜ、そこまでやろうとするのか。

私の場合、子どものころから、言いたいことを何も言えない状況にいたことが多く、悔しい思いをしてきた。外から見れば「言えない子」として思われていたかもしれないが、なんでも本人の問題にする世の中が嫌だった。

本当は、子どもだからこそ、「なんでそうなの?」「これはどうしてなの?」「あれはなに?」と気づくことが多いから、もし、彼らの疑問をさえぎる人が多かったら「言いたいことを言えない経験が多くなる」と思う。障がい者として感じることも、車いすだから段差をバリアだということに気がつく。そもそも、そういうことだ。

でも、気づいたことを説明するためには、起こっていることを認識し、それを言葉にしながら、自分の視点を表現する必要がある。それは、頭がいい人だからできるのではない。まず自分自身が自分の視点をおもしろいと思い、それを失敗しながらも表現しつづけてきた人ができるのだと思う。

自分にとってどんな方法がいいかは、まずは試していったほうがいい。私は、どうしようか考えていたNoteを始めることにした。無料の記事だけでなく、有料にしたり、音声や写真、イラスト、漫画などの投稿がしやすい。これからは、少しずつ、有料の記事や音声も配信したいなと思っている。有料にすることで、私の意識がまた違ってくると思うからだ。

Youtubeも実験をしてきた中で、自分のチャンネルを気軽につくれる便利さや可能性にワクワクする一方で、動画を作るのにかなりの労力がいることがわかった。しかも、他のYoutubeチャンネルがキラキラしているように見えて、少し落ち着かない気持ちがある。外から見るのと、自分でやって見るのとでは大違いだと思う。

ひたすら書いていて思ったことは、自分の名刺になるものを作成している感覚だ。どんどん記事を貯めていって、おばあちゃんになったときに、自分のヒストリーになったらおもしろい。

これもやってみてわかったことだが、障がい者だからといって、障がいのことや福祉のことばかりを書いていると、私がおもしろくない。かといって、きらびやかにするつもりもなく、ただ淡々と書いていきたいと思う。理由はわからないが、今のところ、その方が私にとっては長続きしそうだ。

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