終わりどきをいつまでたっても決められない。バスタオルがこんなにも破れてしまっている。なので、いよいよお別れをしようかと考えて、記念撮影をしてみた。でも、写真で見ると、もっと使えるのではないかと思った。客観的に見ると、タオルとしての機能はまだありそうだ。

片づけをするとき、いつも「迷ったら捨てる」「ときめきは信じない」をモットーにしてきた。その基準で考えてみると、捨てる理由もないので迷うことすらもしないし、そもそも、ときめいてもいないので信じるも信じないもどっちでもいい。あ〜、困ったな。これなら、いつまでたっても一緒にいることになる。
実は、すでに20年くらいは使っている。週に2回以上は洗濯しているので、月に8回以上、1年で96回、10年で960回、20年で1920回、洗濯機で洗っている。真ん中は少し黒ずんでいるし、やっぱり潮時かもしれない。
10代から寄宿舎生活をし、一人で洗濯をすることが最初は当たり前だった。でも、洗濯機に入れる、出す、干す、たたむ動作に、人より10倍くらい時間がかかるので、労力はかなり使った。一人暮らしをすると同時にヘルパーさんを利用し、家事のことをやってもらったおかげで、私は普通に大学に通い、卒業できた。身の回りのことを自分でできるまで、社会に出られないという考えを無意識に持っていたが、そこが大事なのではないことに気がついた時代だ。
今も、時間や労力、生きるための気力があるのも、ヘルパーさんが代わって担ってくれているからである。このタオルもいろいろな人の手で洗われて、干されていたのだな〜としみじみ思う。ちなみに、ヘルパーさんの数は、きっと100人以上にはなると思う。その分だけ、いいことも嫌なこともあったので、きっと疲れ切っているだろう。
というか、それは私のことだっとハッと気がついた。そう思うと、その疲れから解放させるためにも、お別れをしてもいいのではないかとパソコンをパチパチしながら思った。なんでもいいから書いていくと、結論にたどり着くのがおもしろいところだ。