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差別のウラのがんじがらめになった両者たち

「さべつ(差別)」ってなんだろう。今回は、男女差別、人種差別、障害者差別ということばの「差別」について考えてみる。三省堂大辞林(第三版)によると、「②偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。 「人種-」 「 -待遇」」なのだそうだ。

そのことばを言う方も、言われる方も、良い気持ちはしないと思う。「差別だ」と言う方は、相手を敵視しているみたいで嫌だし、言われた方は「そんなつもりじゃないよ」と防衛反応をせざるをえない。

差別というものには、それを受けた人だけでなく、差別をする側にも、がんじがらめにする強力な力があるらしい。南アフリカで1994年に初の黒人大統領となったネルソン・マンデラ氏のことばにヒントがある気がする。「私の使命は、抑圧された人々と抑圧している人々の両方を解き放つことだった」と抑圧をこれ以上繰り返さない国にしていこうと取り組んでいった。政策に白人の政治家も参加させたり、白人の競技とされていたラグビーも積極的に促進させていった。人種差別を自身も受けてきて、しかも獄中生活を27年もさせられてきたのに、それを恨むどころか、一緒に取り組んでいこうとしたところがすごい。

その根底となる考え方に、「戦争はその国を植民地化した人に対してではなく植民地主義に対して行うものである」(著書:私はこうして世界を理解できるようになった/ハウス・ロスリング氏がアフリカのモザンビークで医師として勤務していたときに聞いたエドゥアルド・モンドラーネ氏のことば)がある。後に、ネルソン・マンデラ氏も言及していた。

今もなお、障害がある人に対し、入学を拒否する学校や入店を断るお店などがある。それは、障害のある人を直接拒否する行為である。そこに、障害者差別解消法という法律により、拒否された人はそのことを行政に訴えることができる。同じ人間であるはずなのに、障害となったために、不利な状況になってしまう問題を解決していくには、不利益を受けた人が声をあげ、それを正していかないといけない。だから、その一つひとつの当事者同士のやりとりは必要なことである。しかし、何度も言うが、良い気持ちはしない。

本当は、障害のある人も受け入れられる体制や環境をつくるための考え方や、それを応援する社会のしくみが必要である。今は、障害者でない人でも、拒否する側に回ったり、差別のある社会であると思ったりすると、将来は、自分にそのことが回ってきて絶望でしかないと思う日が来る。障害のある人は、自分が今、社会の不便さに気がついているため、それを特定の人に感情的になって非難するのではなく、一緒に作り上げる気持ちが必要だと思う。

もちろん、差別をしてはいけないことはある。受けた方は言わなければならない状況となる。その先の道として、がんじがらめになっている状態を柔らかくし、温かいお茶やコーヒーを一緒に飲みながら語り、行動していくことがいいのではないか。いつか、必ず、両者が分かり合えるまで。

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