生きる

自己決定は、他人ごとではない人生の課題

福祉の世界に、「自己決定(じこけってい)」ということばがある。ざっくりいうと、特に障害のある人への支援の中で、障害があることで本人の存在抜きにものごとを決めないでほしいという障害のある人々の側の声と、「福祉サービスを利用する側の選択」を原則にするという制度の変化により、このことばをよく耳にするようになった。

「ことばが、固定されてしまうと、なんだか難しく考えてしまいます…」というのが、率直な感想だ。そもそも、自分でものごとを決めることは、誰にとっても難しい。小さなこと、大きなこと、簡単なこと、難しいこと、そしてその間のことなど、いろいろな程度の選択の内容があると思う。しかも「程度」というのは、人それぞれ感じ方や、持っている経験などによって変わってくる。ある人にとっては「それ簡単じゃん」と思っても、他の人は「すぐには決められないよ」と思う。その時の気持ちや、体力や体調、安心感があるかないか、仲間がいるかいないか、決めるための情報にたどり着いているかなど、いろいろな条件が絡み合って、「決める」。決めても、ときに「変更(へんこう)する」し、もっと時間がほしいと「いったん、保留(ほりゅう)にする」。

「自己決定」ということばが一人歩きしてしまって、障害のある人を特別な人のように思ってしまったり、障害のある人がイエス・ノーと言ったことをあとで変えようとしたら「あなたが決めたんでしょ。」と迫られてしまったりすることがある。支援者の日誌に「〇〇さんの自己決定を尊重した」と書いてしまうこともあるかもしれない。教科書通りのことばや、少ない文字数のことばを選んだほうが、確かに書きやすいし、間違っていない感覚になるのが不思議だ。ことばの魔力はおそるべし。

ことばの魔力にとらわれず、もっと人間らしいことばをつかいたい。だって、そのほうが自分も相手も生きるのが楽しくなるから。例えば、「右往左往して、やっとわかってきた」「あの人なら、こういう風に考えて決めるかな。想像してみるか」「えい!まずはやってみる」「こう失敗したら、こうやって仕切り直そう」「うわぁ、こっちじゃなかったよ〜」など、ことばを「自己決定」と決めずに(笑)、いろいろな言い方をしたらいいのかもしれない。

それらのセリフは、すべて「決める本人が発することば」であることがポイント。それが長い間、「あなたはこうしたほうがいい」「あなたのために考えたら、そっちは危ない」と他人が言って、しかもそれが絶対であるかのようにされてきたのだった。自分と他人の命や心を傷つけることは、避けたほうがいいが、あらゆるアイテムや環境を良くすることで、できることはなんでもある。

「うわぁ、こっちじゃなかったよ〜」などのことばの周りに、「私はこうやってやったことあるわ〜」などと言ってくれる人がいたら、それでいいのである。どちらのセリフも、「わたし」なのである。

どうしても、他人を変えようとしたり、しまいには評価してしまったりする。そもそも「自己決定」は毎日やっていることで、中には人生の課題もあるのだから、自身のタイミングで、焦らずやっていいのである。そして、なんでも手を借りてみよう。「自己決定」は、誰もが持っている人生の課題なのだから。

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