「障がい」とは

「障害があっても、なくても」は、やめてみよう。

ここ数年、違和感が拭えないことがある。それは、「障害があっても、なくても」という言葉を福祉関係者の人がよく使っていることだ。

障害があっても、なくても、共に学ぼう

障害があっても、なくても、共に遊ぼう

障害があっても、なくても、共に理解し合おう。

良い意味のメッセージが込められていると思うし、必要があれば、そういったフレーズを使っても良いと個人的には思っている。ただ、大切なことを聞きそびれていないか、本当は伝えたかったことを伝えずに終わってしまっているのではないかと思えて仕方がない

それは、障害者を区別したのは、誰なのか?ということだ。そして、苦労し続けられたのは、誰なのか?区別してきたのは、疑いもなくこの社会であり、社会を作ってきた私たちだ。「何もしない」ということも立派な行動で、「この社会ではダメだ。こうあるべきだ。」と伝えてこなかったことも、一つの行動である。区別は、それぞれ必要なサポートが異なる点で必要なことだが、「障害者はこっちの世界よ」と「差別」に変わっていった。苦労し続けられたのは、障害者の方だ。

だから、このキラキラしているような「障害があっても、なくても、一緒だ!」という言葉があるために、歴史的に苦労してきた人々の存在が薄くなってきているし、まだまだ差別があるのに、そこを見ないようにしている気がしてならない。

それに、障害者というグループだけでなく、色々なグループ(性別、宗教、民族性など)で社会から差別を受けている。私はグループはないよ、と思っている人も、実は体や心をすり減らして社会に追いついて行こうとしている。

自分の存在をもっと出して、自分の置かれている立場や感じていることを、オープンにして話すことが、理解し合う一歩なのではないだろうか。

みんなの困りごとを見ていくと、もう障害うんぬんどころではなくなっていくのだから、そういった「障害があっても、なくても」という言葉は、むしろいらないのではないかと思っている。

障害に焦点を当ててくださるのであれば、学校教育を一緒にしようという社会運動を起こしていきたいし、障害があって遊園地を断られたりしたら、みんなで抗議をしに行っていただけると大変助かる。

イベントでワイワイやるだけではなくて、日常的に社会が変わっていくように、小さなことでも意思表示をしてくださる方が嬉しいし、本気で考えている行動だと思う。

そんな考え方を語った、イラスト動画を作っている。

もしお時間がある方はご覧ください。

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