報告会で80人以上が集まった!
「Michikoさんのナンパの話、もっと聴きたい方は個人的に聴いてみたらいいと思います。その他にはナンパの話はありますか?話し足りなくないですか?」「もう、いいよ~!!!」
司会のそーたは、マイクを片手にイタズラ顔でMichikoに話を振ろうとする。会場からは、お笑い番組のように笑い声がわき出た。
2013年7月15日、北海道難病センターで車いす&ステッキコンビの旅の報告会を行った。題名は「タイ・イタリア旅行報告会 すてきな車いすとステッキでふたり旅~タイ、イタリアから笑い・感動、そして…」。
約80名の来てくださった。福祉・医療関係、大学生や大学教員、コピーライター、芸術関係、その他色々な職種の方、親御さんや子どもさん、障害のある子どもさんから大人まで幅広い年齢層だ。車いすユーザーも多かったため、100名用の大会議室が満杯になった。真夏の時期だったため、窓は前回に開けていたが、熱気がすごかった。
2012年11月にイタリアから帰ってきてから、新しい就職に向けた準備で忙しく、そのまま働き始めてしまうと余裕がない日々を送ることになった。そのような中でも、報告会は必ずしたい!と思いながら、準備を始めることにした。旅の前から盛り上がってくれた、友人が立ち上げた「世界どたばた会議」のメンバーに再び出動!してもらった。そして、YUKAさんが代表となっている「国際統合医療ネットワーク研究会(IIMN)」のメンバーの方からもお手伝いをいただけることになった。なんと、「『すてきな車いすとステッキでタイ・イタリアへ』報告会実行委員会」を立ち上げて、合同で準備をすることになった。中心メンバーは、EikoさんとMichikoの他に、どたばた会議から3名、IIMNから1名、IIMNの当事者(Eikoさんのように難病のある方)が2名の8名だ。
報告会の内容、チラシ、資料作りはMichikoが企画・作成し、それを何度も打ち合わせして企画を練り直していく。毎回、Eikoさんの自宅に集まって食卓テーブルを囲んでお茶を飲みながら話し合いをしていった。必ず誰かはお菓子をお土産に持ってきてくれて、Eikoさんが入れた温かいお茶を飲み、他愛もない近況の話でなごむところから始まる。
今回の報告会をきっかけに初めて会う人もいたり、仕事で忙しい人も多かった。そのため、緊張感があったり、報告会をより良いものにするための意見が真剣に飛び交う時もあった。報告会の日にちを決め、会場を予約するまでも少し苦労をした。中心メンバー全員が出られる日がなかなかない。決めないと会場を予約できない。北海道難病センターの予約の担当の方のご配慮もあり、会場を確保することができた時はホッとした。
それからが怒涛の日々。チラシを何度も改良し、完成すると印刷して手分けして宣伝をすることに。それぞれの人脈を活かして、掲示をしたり配布をしたりした。報告会では後半にイタリアのお菓子を食べながら話を聴いてもらおうと、小さなアメの手土産やお菓子を調達した。お菓子はイタリアのウェハース。なんと、イタリアにいるYUKAさんがチョイスして、注文して送ってくれた。当日の会場設営から報告会終了までの中心メンバーやボランティアの動きを考えていった。時間配分は大丈夫か、余裕のある動きはできるか、他にどれくらいお手伝いしてもらう人が必要か、など考えることは山ほどあった。当日に配布するプログラムと、EikoさんとMichikoからのメッセージを印刷するため、余裕をもって早めに作成をするようにした。
報告会まで3日間という間際になってようやく集中できたのは、報告のためのスライド作りだった!!!もちろん、基本はできていてEikoさんにお見せしながら打ち合わせもした。でも、細かいことは打ち合わせせず、その場の車いす&ステッキコンビのいつもの会話のような雰囲気で話をすることにした。どうなるかわからないから、それもまた楽しみだった。
当日は、実行委員メンバーの他に、IIMNのメンバーの方、友人など十数人の方々に、会場設営や参加者への案内をしてもらった。知らないうちにお花が飾られ、参加者に配布するアメと一緒に並べて、彩りよく参加者を迎える準備ができた。ある企業様のご厚意でペットボトルのお水を100本近く送ってくださった。お名前は非公開であったため、足長おじさまの企業様だ。


実行委員メンバーには本当に助けられた。IIMNの当事者のさとみさん、あべさんには受付を、IIMNのおおたきさんにはお菓子などの運搬や当日のボランティアさんの指揮をお任せした。どたばたのきむさんにはパソコンやマイクなどの機材の担当に、そーたは後半のお菓子を食べながらの質問・交流会の司会進行になってもらった。かずちゃんは、当日は出られなかったが、企画の打ち合わせではたくさん意見をくれた。そして、Eikoさんは持ち前のキャラクターで、聴いている人をなごませながら、人生の生き方にもつながる大事なことを教えてくれた。
約3時間の長時間のイベント。前半は1時間だけ概略を話し、後半は質問に答えながら旅の面白さを深めていった。来日していただいたタイの病院のOさん、スカイプのビデオメッセージを送っていただいたイタリアのYUKAさんからも、今回の旅の感想を話してもらった。ビデオに映っているYUKAさんは、さっそく面白い行動をとっていた。イータリーというスーパーでwifiをつないで撮影するまでは普通。そこから、通りすがりのイタリア男性に声をかけて、日本のみんなにイタリア語で挨拶をしてくれないかと頼んだYUKAさん。チャオ!と知らない男性が、知らない日本人たちに挨拶をしているということがおかしくてたまらない。

Eikoさんがとても良いことをお話してくださっていて途中で「なんて言っているのか、わからなくなっちゃった」と言うと、そのおちゃめさに和んだ雰囲気の笑いが起きる。会場から「旅をする前とした後で、自分の中で何か変化はありましたか?」という質問が出てきた。Eikoさんは少し考えてこのように答えた。
「う~ん、そうですね。
変わったというよりは、このまんまでいいんだ!と今も思っています。
歩いて出会った人や出来事など、
これからもくっついてきたものを大事にしていきたいな~って思います。」
そして、「旅を終えられたふたりに質問します。これからチャレンジしていきたいことは何ですか?」という質問には、「進行性の病気だから今までできたことができなくなるかもしれない。まず、できたことを良かったと噛みしめていこうと思います。」と答えた。
Michikoは、「大きな旅に出て一区切りがついたため、新たに大きなチャレンジはせず、生活や仕事のことなどを見直すことにします。」と答えた。
次はこんなことにチャレンジします!そのような話の方がもっとわくわくするかもしれない。けれど、そのままの答えが一番自然でホッとするのではないだろうか。
終わり頃に涙ぐむメッセージをもらった。今回の受付を手伝ってくれた難病のふたりの言葉だ。今回の報告会を聞いて最後の感想をもらった。
さとみさんは、Michikoにとっては年齢がお姉さんであるが、目がくりくりしていて、しぐさもかわいらしい。さとみさんは、病気が発症してから大好きな旅行に行けなくなったことを思い出し、涙ながらに話をしてくれた。
「一視聴者として今回の報告会を楽しみにしていました。若い頃は、色々なところに旅行に行きました。病気になってからは行けなくなったので、EikoさんとMichikoちゃんが旅行に行くという話が舞い込んできて、私も行きたいなって思ったんですけれど、今度はふたりが敷いてきたレールを100%ではないけれど、自分なりの道を見つけていきたいと思います。」
あべさんは、小柄な体をしているが見た目はどこに障害があるのかわからない。優しい雰囲気で、でも怒る時はしっかり言いそうなお母さんのような存在。マイクを片手に、はっきりとした口調でやわらかく、自身の病気の話を交えながらこのように話をしてくれた。
「私はこの病気になって9年目になるんですけれど、私の歩いている姿を見て、もしかすると、みなさんはちょっと足が悪いのかな?という印象だと思います。体が前進しびれて、やけどするように痛いので、長時間座っていられないんです。EikoさんやMichikoちゃんの話を聴いて、行ってみたいな~って思うけれど、タイやイタリアは夢のまた夢。座っているだけで人の倍は疲れるんです。きっと飛行機に乗っていられることはできないでしょう。まずは近くから攻めていって行きたいです。
でも、時間がないから、ちょっと早めてあの手この手で色々なことを実現したいと思っています。どんな手でも使って…娘や娘の友達でも使って、現地の友達もつかまえて行きたい。寝ていても痛いけれど、それじゃあ、いつまでも前へ進めない。我慢をしていかないと前へ進んでいけないんです。ふたりが敷いてくれたレールを少しずつ頑張って進んでいきたいと思います。」
タイの病院では、Oさんを中心に希望プロジェクトを立ち上げている。そのプロジェクトを立ち上げる大きなきっかけになったエピソードも印象的だった。進行性の病気を持った40代の男性から、日本の病院を通じて、人生の最後の旅をタイで締めくくりたいという依頼が来た。Oさんが電話を受けた時、その男性は前の日まで自分でトイレに行くことができたが、足が動かなくなってきたと話した。その1週間後、今度は受話器を持つこともできなくなっていた。その男性は、かつてはバリバリのビジネスマンで、エリート。頭はずっとビジネスマンで変わらないため、体の変化を他人事のように見てしまう。そんな自分と、体の機能が失っていく状態に恐怖心を持ちながらも、最後にタイで生涯をとじたいという希望が残っていたという。
その男性との出会いをきっかけに、何かを成し遂げたいと思っている人とそれを手伝いたいと思っている人をつなげたいと思ったOさん。そんなOさんはこのように話をしていた。
「病気があっても健康でも、みんな与えられた時間は一緒。お互いに出会った時間が『会って良かった』と思えるようにこれからもやっていきたいと思います。」
最強のおじいちゃんからいただいた宝物
2013年1月16日、最強のおじいちゃんはイタリアの病院で91歳の生涯を閉じた。報告会が終わった2014年7月下旬、MichikoはChikakoさんと連絡を取った。MichikoとEikoさんがイタリアに到着した次の日の朝に、クリーニング屋さんに行こうとしていたおじいちゃんにばったり会った。そのおじいちゃんがChikakoさんのお父さんで、その時は90歳だった。
Michikoは、おじいちゃんの人物像をもっと知りたいとずっと思っていた。なぜなら、日本で寝たきりで歩けなかった状態が、イタリアに来てからシャキッと歩いて、毎朝歩くようになっていったというが、前のおじいちゃんを想像できなかったからだ。さらに、イタリアのカラブリアの真っ青な海で浮き輪を付けて泳いだり、朝方にお店で火事が起きた時は、みんなが駆けつける前にバケツに水を汲んで一人で火を消していたりと、まさしく最強のおじいちゃんだ。
そのようなおじいちゃんはどんな人生を送ってきたのだろうかと関心を持ち、Chikakoさんに思い切って聞いてみた。すると、快く詳細までおじいちゃんの生い立ちをメールで教えてくださった。目をそらしたくなるような苦労が書いてあった。
フォークダンスを教えていたおじいちゃんは、皇室から功労賞をもらうほどの腕前を持っていた。壮年期に様々な疾病を患い、日本中でフォークダンスの会議に呼ばれながらも何度か倒れていた。状態が悪化したものの、家族による看病が思うようにできず、ローマから様子を看に来たChikakoさんは、染みのついた服や薬が散乱した部屋で悲惨な暮らしをしている状況を目の当たりにした。そこで、ローマにおじいちゃんを連れていった。衰弱しほとんど食べられなかったため、イタリアの医師からは残りの人生で好きなものを食べさせなさいと言われ、薬をお幅に減らし、少しずつ色々なものを食べさせ、車いすを押してローマのあらゆる景色を見せた。しまいに車いすは使うなと医師から言われ、歩かせてみると、杖を突いてゆっくり歩けるようになった。
リアカーを杖代わりにしながらスタスタと歩くおじいちゃんとばったり会った時は、そのようなことがあったと全く思わなかった。私たちが帰国した後のクリスマスには、イスタンブールに行って、美しい女性と一緒にベリーダンスを踊ったという。鼻の下を伸ばしながら踊っていた。それを教えてくれたChikakoさんのメールを見て、思わず笑みが出てくる。
Chikakoさんの誕生日の当日。その日はすでに、おじいちゃんは、いつ亡くなってもおかしくない状態で、ベッドに横たわっていた。クリスマス前には、体に少しずつ変化が見え始めていて、陽気なニコニコ顔でいながらも、咳きで苦しむようになっていった。心臓発作と肺に水がたまっていた。ChikakoさんとYUKAさんはベッドサイドで楽しい話をした。家事の火を消してくれたお礼を言うと、「今度は私を助けてくれ」とあえぎながらChikakoさんに一生懸命伝える。おじいちゃんはふたりに励まされながら、日本から駆け付けた娘や、Chikakoさんの息子さんが到着した時に息を引き取った。
Chikakoさんは、分かれていた家族をローマで再会させてくれたこと、息子に尊敬できる祖父がいたことを証明してくれたことを感謝していると述べた。
「最後まで立派で尊敬する偉大な父に感謝します。Michikoさん、思い出させて下さいまして有難うございました。」とメールの最後に記してくださった。
このような出会いに感謝したい、おじいちゃんと過ごした時間を大切にしておこうと思った。
人生そのものが旅
~Eikoさんのひとり旅から感じる旅の面白さ
帰国後、Eikoさんはどんなひとり旅をしたのだろうと思いながら、詳細をやっと聞いたのは、2年後の2014年9月のことだった。Eikoさんのご自宅に行き、報告会の準備でお世話になった女子メンバーとお茶会をしながら、あの時のことを振り返った。イタリアからタイへ戻る日に、車いす&ステッキコンビがホテルでドタバタと別れ、Eikoさんが先に帰国することになった。その情景が昨日のことのように思い出された。
「Eikoさん、ひとり旅はどうでしたか?」と尋ねると、Eikoさんは大事な言葉を思い出すかのようにゆっくり答えてくださった。
「ひとり旅は、小さい自分を知って面白い。
普段は自分を大きくしているけれど、
知らない土地に行けば、自分の存在を小さく感じる。
そういう感じ、私、案外好きかもしれない。 」
いたずらっぽい笑顔で話すEikoさんはいつも、わかりやすく自然な言葉で奥の深いことを話してくださる。
「計画的な旅よりも、気ままに進んで、くっついてきたものを楽しむ旅が好きよ。」
イタリアから一人でタイへ向かうことになったEikoさん。イタリアの空港でChikakoさんとEijiさんと別れた後、スタッフに車いすを押してもらって移動をしていた。荷物検査などが終わり、乗る便のゲートの前で車いすを止め、ここで待っているようにスタッフから言われた。Eikoさんは途中でトイレに行きたくなり、車いすを置いて杖で歩いて移動をした。そして、戻ってきて時間が来るのを待っていると、搭乗の時間が近づいても誰も来なかった。
あれ? 待っていてもさっきの人が来ない…のんびり屋さんのEikoさんもさすがに焦ってきたという。通りすがりのスタッフに声をかけて、チケットを見せたEikoさん。イタリア語も英語も全く話せないEikoさんが取った行動は、チケットを差し出して、便の時間を指さして訴えることだった。
すると、ゲートの番号が直前になって変更になったことがわかった。思い出してみよう。最初に空港でYUKAさんたちと再会してから列車に乗ってホテルに向かった時、ホームで待っていたら、急にアナウンスがかかって一緒に待っていた人々がぞろぞろと隣のホームに移動し始めたのだ。それをEikoさんは思い出し、ここでも起こった!と驚いた。ゲートの番号が変わったこともアナウンスされていたようだが、トイレに行っている間にアナウンスされていたに違いない。Eikoさんが必死になって捕まえたスタッフに案内してもらい、到着すると、「ここで待っていてください。」と言ったスタッフが心配そうに待っていたという。もう!最初の場所まで行って探せばいいじゃないのよ!Eikoさんは半分怒りながら、笑い話として話していた。
どんなことが起こるかわからないことが旅の面白さ。計画の中では予想できない色々な出来事が、旅を深いものにさせてくれる。くっついてきたものを楽しむことはこういうことだ。


