イタリアのアテンダントさんと挨拶
ウノ!ドゥエ!トゥレ!のかけ声で、Michikoは機内の座席に移った。待つのは長かったが、あっという間に進んでいく。いつものように他の乗客よりも先に乗り込んだ。周りの座席はまだガランと静まり返っている。そこへ二人の女性アテンダントさんが近づいてきた。
「こちらが、この度の便でアテンダントのチーフになる○○です。」日本人のアテンダントさんが隣のイタリア人女性を紹介してくれた。到着が日本であるため、日本人のアテンダントさんも乗っているのだが、人数が1名と少ない。一人でもいるとかなり安心だけれど、その状況に甘えず、イタリア人に介助をお願いするという覚悟でいこうと自分に言い聞かせた。イタリア人のアテンダントさんは、目鼻口がはっきりしていてブロンド色のストレートのおかっぱのような髪型であった。「ヨロシクオネガイシマス。」と日本語で挨拶をしてくれた。Michikoもお決まりの「初めまして。」とイタリア語で挨拶。ブロンド髪のお姉さんは日本人のスタッフに「まぁ、かわいいわね。」と話していたようだ。言葉もはっきりしていて、頼もしいチーフ。Michikoのひとり旅の不安が少し小さくなった。
実は、この時もかなりの不安が押し寄せていた。というのも、日本着のため日本人の乗客も少なくないのだが、何かお手伝いが必要な時に話しかけようと思っても、話しかける勇気がないことが自分でもわかっていた。言葉はきちんと通じるはずなのに、声をかけようと思わなかった。
言葉に困らない日本人よりも、言葉は話せないけど気持ちが通じるかもしれないイタリア人の方が、安心して声をかけられるような気がしていた。きっと、日本人に対するイメージが邪魔をしていたのかもしれない。確かに優しい人もいることはわかっているけども、なるべく声をかけられたくないという目で見てくる人もいる。
イタリアに数日間過ごしてきて、何かをお願いする時に「もしかすると断られるかも」という不安が先に来たことは、ほとんどなかった。何気なく手伝ってくれるイタリア人と出会い、何かを協力してもらうことに罪悪感を持たない、
むしろ気持ち良さを感じた。その感覚が、日本人を見ると一気に冷めた。今までの旅はなんだったんだろうと思わせる表現だが、そのような表現の仕方が、この時の気持ちを表すのに最適だった。
けれど、Michikoは日本へ帰らなくてはならない。オムツ作戦も今はしていない。頼まなければ体を壊してしまうことになる。その現実から逃れられないことはわかっている。
Michikoは我に返り、自分で好きな物を取れるように、隣の座席にカバンを置いて、カバンの中身を自分で取れるようにしてもらった。離陸するまでは足の下には何も置けないので、床についていない足をあとで助けてほしいと、二人のアテンダントさんが来た時に頼んでおいた。それまではしばらく待っていよう。そんな考えごとをしていたら、他の乗客がいつの間にかどんどん乗り込んできていた。周りの足音を聞きながら、出発するドキドキ感でいっぱいだった。
あいつから聞いているよ。任せておけ!
いよいよ離陸体勢になった。乗客は全員ベルトをするように言われ、ついに飛行機が動き出す。何度も飛行機は経験しているが、離陸するためにスピードを上げて滑走路を走ったり、離陸の瞬間にフワッと宙に浮いたりする時がとても興奮する。
しばらく経って、アテンダントさんがワゴンを押して動き始めた。Michikoは、ちょうどカバンの中からノートを出し、Chikakoさんに教えてもらったイタリア語の復習をしていた。軽食の時間だったようだ。イタリアのビスケットが配られた。小さい袋に入っていたため、開けてもらおうと思った。男性のアテンダントさんに「スクーズィ、アプリ、ラ・スカトーレ、ペルファヴォーレ。」と勇気をもって声をかけた。外国語を話す時、勇気を出して言った言葉が通じなかったらどうしよう、恥ずかしいと思ってしまい、どうしても勇気がいる。スカトーレは箱という意味だと教わっていたが、通じるだろうと思いそのまま使うことにした。すると、OKとすぐに袋を開けてくれた。良かった!第一関門クリアだ。助けてもらった時は必ずお礼を言うことにしている。グラッツェ!!(ありがとう)とプレーゴ!(どういたしまして)のやりとりが、気持ちがすっきりしていて心地良い。かわいいビスケットをつまみながら、よしよし次はどんなイタリア語を使おうか!とChikakoさんのメモを眺めるのであった。

夕食の時、再びイタリア語を使うチャンスが出てきた。夕食は、日本食とイタリア食を選ぶことができたが、せっかくイタリアに来たら選ぶものは決まっている。メインはラザニア、その他はチーズと生ハムとオリーブ、パン、フルーツだ。ワゴンで前の席の人から配られている。さて、Michikoの番が来たら、どんなイタリア語を使ってお願いするでしょうか。テーブルにポンとおぼんを乗せられただけではすぐに食べることができない。おかずのふたやスプーンとフォークが入った袋を開けてもらわなければならない。本当のことを言うと、うまくいけば時間がかかっても自分で開けられる。けれど、うまくいかなかった時に、また呼ぶとなると時間がかかってしまい待っていることになるし、長い旅で疲れているから開けてくれるだけでも助かる。今、アテンダントさんがいるうちに開けてもらうことにした。「アプリ、トゥッテ、ラ・スコルキ、ペルファヴォーレ。」ふたを全部開けてください、と頼んだ。すると、Si.(はい)と男性のアテンダントさんが答え、全部開けてくれた。グラッツェ、プレーゴ!

あとはゆっくり食べよう。ひとり旅の醍醐味。自分のペースでゆっくりすること。タイは赤や紫の色合いの器が多かったが、アリタリア航空は緑の色合いがメインらしい。行く予定ではなかったイタリアの飛行機に乗り、機内食も食べることができて嬉しかった。アクシデントがあっても、また違った道の先々で新しい出会いが待っている。そんなふうに思いながら夕食を味わっていた。その一方で、お腹を壊してトイレに頻繁に行きたくなったらどうしよう…という不安で、全部の料理を食べることができなかった。Michikoはお腹を壊しやすかったため、常に心配する癖があった。楽しんでいるのか、不安がっているのかわからない。
機内食は全部で2回配られる。夕食と次は朝食。夕食後は、消灯時間に近づくにつれて、機内もオレンジ色の淡い電気だけになり暗くなっていく。
それからウトウトと寝始めて、熟睡しないうちに朝となってしまった。早すぎるよ!!そして、朝食も配られ始めた。正直お腹がすいていない!長い飛行時間なはずなのに、あっという間に朝になったことが信じられなかった。朝食が配られた時、嬉しいことが起こった。夕食のように、全部のふたを開けてほしいとイタリア語で頼むと、「オーケー!あいつから聞いてるよ!」とすぐに対応してくれた。何度も言うけれど、イタリア語は何を話しているのかわからない。もう一つのワゴンを向こうで押しているアテンダントさんに向かって指をさし、「あ、あれのことね」ともうすでにわかっていますよ、という表情で話をしていたからだ。日本のように「かしこまりました。」という礼儀正しい感じではないことも、身振り手振りでなんとなくわかることが面白かった。

何か手伝ってもらうことで、心地良いというよりか、すがすがしい気持ちになれる。こんな感覚初めてだ。ちなみに、本当に大したイタリア語を使っているわけではないのだ。普段使わない言葉を使うのにかなり不安感があったが、そんなことは無駄だった(笑)。手伝ってもらうことに遠慮してしまうのも無駄!!!!!そう思うほど、とてもすっきりとした気持ちになった。
「君は重たいな!」「失礼ね!」
ここで気になるのは、トイレのことだ。12時間以上の飛行機ではトイレをしないわけにはいかない。日本でも2,3時間、水分を取らなかっただけで熱中症になりかけたことが何度もある。
ワゴン販売も何もない時間帯に、トイレに行きたくなってきた。その前にアテンダントさんが何度か通り声をかけようと思うこともあったが、どこか躊躇してしまう。すると、ブロンド髪のチーフのアテンダントさんが通りかかり、スクーズィ!(すみません)と声をかけた。「ヴォレイ、アンダーレア、バンニョ。」とトイレに行きたいことを伝えた。OK!と答え、Please, wait a minutes.(少々お待ちください)と言って、その場を立ち去った。1分程度で車いすが運ばれて、機内食のふたを開けてくれた男性のアテンダントさんが現れた。二人で上半身と下半身を持ち上げてウノ、ドゥエ、トゥレ!とかけ声で移動した。
飛行機のトイレはやっぱり狭い。チーフと日本人のアテンダントさんが手伝ってくれて、なんとか済ませることができた。いつもであれば、自分でも足を踏ん張って立てるのに思うようにいかない。慣れていない者同士で介助をしたり、旅の疲れがあったりと仕方がないが、次回はしっかり立てるように頑張ろうと思った。用を済ませて座席に戻った。再び、ウノ、ドゥエ、トゥレ!で横の座席に移動すると、なんだか重さを感じる。体を持ち上げる時は、腕だけで持ち上げようとせず、きちんと密着して体全体を使って持ち上げた方が良い。
そう思っていると言われちゃった(笑)。「君は重たいね!!」と満面の笑みで。しかもウィンク付きで言われては、なんだか怒る気にもなれない。失礼ね!Michikoは心の中で言っていたが、きっと表情に出ていたと思う。苦笑いでグラッツェ!と言い、お礼を言った。男性二人組もバーイ!という感じで立ち去って行った。
この後は、3回くらいトイレに行った。しかも最後の1回は着陸する直前だった。着陸の1時間くらい前にはベルト着用のサインが付き、目的もなく席を立たないように指示を受ける。どんどん少しずつ下がっていくからであろう。成田空港に着いてからいつトイレに行けるかわからない。だからこそ、直前にしておきたかった。何度かトイレ介助をしてもらっているせいか、手際よく終わり、飛行機が下降し始める直前に座席に戻ることができた。本当にありがとうございます。心からそう思った。
Eikoさんがいないひとり旅もあともう少しで終わりを迎える。
Michikoは、自分のノートにこう書き記した。
「イタリア・ローマに、私の足を残してきたように思えた旅だった。
今でも、旅を成し遂げた自分が信じられない。
今から、成田に着いてどうなるのかわからない。
でも、あきらめない。
最後までスマイルでいこう。
2012.11.15 7:45 」