お昼のコロッセオも美しい
ローマ6日目。とうとう大事件が発生した。
車いす&ステッキコンビがイタリアに一日中滞在できる最後の日。まず、私たちはYUKAさんと一緒にコロッセオに行くことにした。昨日の夜に、ジョゼッペさんの福祉タクシーと出会ったため、コロッセオに連れて行ってもらおうと予約をしていた。夜のコロッセオの雰囲気と違っていて、太陽の光とともに見ると、高くそびえ立ち堂々としている様子だ。

コロッセオの正面の入り口に行くと、人が並んでいたため、私たちもそこに並ぶことにした。並んでいると、名札を下げているスタッフさんが私たちに声をかけ、こちらから通ってくださいという感じで、ロープで仕切っていた道を外して案内してくれた。スムーズに中まで入ることができ、料金所まで案内されて、少し待つように言われる。数分経って、スタッフさんがチケットを3枚渡してくれた。チケットには「ユーロ0.00」という文字が書いていたため、無料だ!このチケットで、コロッセオだけでなく、フォロロマーノなどの遺跡や凱旋門なども見られる。

驚いたことに、コロッセオにエレベーターがあった!イタリアは、色々なところへ歩いても「遺跡とともに暮らす」雰囲気が漂っていて、実際に遺跡の風景が壊れないように、住居を立てなければならないことになっているようだ。だからこそ、コロッセオにエレベーターを入れてしまうと、歴史的な雰囲気が変わってしまいそうな気がするが、世界的な観光地のおかげか、車いす利用者に対してきちんと配慮されている。

先ほどのスタッフの対応もそうだが、もう一つが「わかりやすいサイン」だ。「エレベーターは体障害者または体の不自由な方のみの使用できます。ご了承ください。」と書いてある。通じるが、日本語訳がちょっとおかしくて笑えちゃう。その他、3か国語に訳されていてグローバルなバリアフリーだと思った。車いす用のトイレは1階についている。普通のトイレの中に、車いす用があるため、トイレで並んでいる人を見ると混んでいるように感じるが、車いす以外の人は使っていない場合があるので、中に入ってみると良い。ドアの貼り紙には、2007年に作られたもので、車いすや小さなお子様がいる方など特別に必要な人のために開けておいてほしいという内容で書かれていた。最近できたばかりなんだね。


フォロ・ロマーノ〜威厳のある遺跡に感動!
次に私たちはフォロロマーノへ向かった。急な坂を下って遺跡の目の前を行くのだが、介助するにはけっこう大変だ。スタッフさんが声をかけてくれて手伝ってくれた。若くて優しそうな男性。久々におじさんじゃない(笑)。お兄さんに記念写真を撮ってもらい、帰り際も快く手伝ってくれた。あらゆる遺跡の中の私たち。晴天の青空で本当にステキな景色だった。


車いすで心配なのは、石畳の上を走ること。ガタガタ揺られて気持ちが悪くなったり、おしりや腰が痛くなったりしやすい。体の痛みが多い人はもしかすると苦痛になるかもしれないので、中まで入らずに橋の上からじっくり見ることも、楽しみ方の一つである。実際には、車いすで進めるところも限られていて、奥まで入ることができなかった。石畳でも振動が少なく、どんどん進むことができる車いすを置いておけば、楽しめるかもしれないと思った。
コロッセオや遺跡の中は石畳が多いけれど、ローマ市内は電動車いすでも動きやすい。Michikoは、体のバランスが取りづらいので、少しのゆがみや段差で疲れてしまうけれど、それがあまり感じられないくらい楽だった。路上では雑貨屋、絵を描くアーティストさんだらけで歩くだけでも楽しい。2,3人のアーティストさんのところへ行き、MichikoもEikoさんも何枚か絵を買った。

ローマの中で電動車いすを走らせる感覚がとても気持ち良かった。もうなんだかんだ言って、一週間近くもローマの空気を吸い、イタリア語のシャワーを浴びながら街を歩き、暮らしていたんだね。Michikoの車いすもコロッセオの背景になじんでいる。
騎士の格好をしてナンパしてくるおじさまたち、ツタンカーメンの姿で棒立ちになって銅像のように動かないパフォーマー、日本では見られない灰色と黒のモノトーンのカラスの姿。それらを横目に見ながら、スイスイと進んでいった。

色々な交通機関にも乗って、最後は市電に乗ろうということになった。私たちは行き交う人をかき分けて向かって行った。
YUKAさんは、Eikoさんの車いすを押して進んでいった。Michikoはそれについて行った。
市電は、大きい道路の真ん中にある停留所で乗ることができる。大きい道路を渡って、真ん中の停留所まで来た。あとは段差がないところで上に上がるだけだ。
そう思った矢先のことだった。
右のタイヤが浮き上がり、左に傾きかけた。
左には市電のレールがあり、レールには穴が開いている。
しまった!!!
とそこで瞬時に思った。
さらに、左に傾いてその重みに耐えられなくなった。
すると、前に進んでいたYUKAさんとEikoさんが横に傾いて見え始め、そこまではスローモーションだったのに、頭への衝撃が瞬時に起こり、時が止まった。
そう、そのまま左に倒れ、コンクリートに頭を打ち付けたのだ。Michikoの時間が一瞬止まった。すぐにYUKAさんがMichikoの頭をかばうように抱き寄せ、「大丈夫?!」と何度もMichikoを呼んでいることに気がついた。頭への衝撃が強すぎて、体が硬直して何もしゃべれない、動けないままになっていた。やっちまった~。そう思うしかできなかった。
そうこうしているうちに、周りにイタリア人が集まってきて、ペットボトルの水を何度も差し出してくれる人がいた。どうやら、向かいのバールにいたお客さんが駆けつけてくれたようだ。バールは道路に面していて、パラソルの下で飲食するようなところだ。見晴らしが良いので、道路の異変はすぐにわかる。5分も経たないうちに救急車のサイレンが聞こえてきた。
Michiko、ひとりぼっちになる
Michikoは救急車で運ばれることになった。だが、YUKAさんと救急隊員がもめている。
どうやら、救急車には、Michiko一人だけしか乗れないと言う。そうなると、誰が介助をするのか。付き添わなければ彼女が困るとYUKAさんが英語で一生懸命伝えてくれる。
けれど、救急隊員は早口の英語はわからず、「ゆっくりしゃべってくれ。」とYUKAさんをなだめていた。なんとかわかってくれて、YUKAさんだけ便乗できた。もう一台タクシーを呼んで、Eikoさんについて来てもらった。
イタリアの救急車に乗るなんて夢にも思わなかった。幸運にも意識があって良かった。
もう二度と乗れないかもしれないと思うと、写真を撮ってほしくてYUKAさんに頼んだ。「こんな時に撮るの~(笑)すごいよ、あははは。」と撮ってくれた。さすがに、救急隊員に見つかったら注意されると思い、後ろのドアを閉めた瞬間、素早く撮ってもらった。こんな時もチャンスだと思わなくちゃ。
10分以内には着いて、病院の出入り口に到着。ストレッチャーのまま院内に運ばれる。受付でどうしたのかと尋ねられて、パスポートを見せるように言われる。海外旅行保険の証明書も渡した。それらを見ながらパソコンで何かを打っている。その間、ほっぺたの擦り傷に黄色い薬をぬり始めた。そして、救急隊員が院内の職員に引き継ぎをし、立ち去った。
その後、再び「あなたは入らないでください。」とYUKAさんは止められてしまった。YUKAさんは「それは困る。」と抗議してくれていたが、Eikoさんと待合室のような場所で待つように言われた。そのそばに、ストレッチャーでMichikoも待っていた。
だが、YUKAさんが見ていないうちに看護師が別な場所にストレッチャーを動かし始める!!!ちょっと!どこにいくの??病院内は迷路のようで、何度も曲がっては奥に入っていく。自分がどこにいるのかすでにわからない。どうしよう、どうしよう。どうなっちゃうの?
運んだ看護師は、Michikoを広い部屋に置き、そのままスタスタと行ってしまった。看護師はその部屋にいなかったが、その代わり、同じようにストレッチャーに横たわっているおばあちゃんや、車いすの患者らしき人などがいる。そのおばあちゃんは、ずっと泣いて叫んでいる。誰も相手にしない。運ばれていく途中には、廊下に点滴を打って待っている車いすの患者が並んでいた。医師や看護師の姿はほとんどいなかった。
日本の病院に慣れているMichikoは、今の光景を異様に感じていた。国によって病院の雰囲気も違うのだろう。どの国が良いとかは別にして、新鮮な風景だった。暗い病院もあれば、陽気すぎる病院もあるのかもしれないなんて、冗談を思いつきながら物思いにふけっていた。それにしても、おばあちゃんはかわいそうなくらい泣いて誰かを呼んでいる。きっと看護師を呼んでいるのだろう。Michikoも呼びたいくらいだ。早くYUKAさんと再会したいよ~。看護師は来ないし、どうすればいいの~?
しばらくして、Michikoの首にイタリアの携帯電話をぶら下げていることに気がつく。そうだ、これを使おう。ストレッチャーのベルトで絡まっている携帯電話のひもをなんとか取り出し、自分の手で携帯電話を持つことができた。良かった、届くところにあって。
その時、看護師が通りかかる。「スクージィ、ポッソ・テレフォナーレ?(すみません、電話できますか?)」と正確ではないであろうイタリア語で話しかけて、携帯電話を見せながら、ここで電話をしてもいいか聞いてみた。Si、と短く「はい。」と答えて立ち去っていく。
おばあちゃん、ごめんよ。さっそく電話をかけてみると、YUKAさんが出た。「Michikoちゃん、大丈夫?見ないうちにいなくなっちゃってびっくりしちゃった。こっちは、中に入りたいって頼んでいるんだけど、大丈夫、大丈夫って言われるだけで、対応してくれなくて困っているの。そっちに行けるように頑張ってみるね。」YUKAさんの携帯電話の電池も残り少ないため、手短に済ませた。
いつまで待っていればいいのだろうと思っていると、看護師じゃない制服の女性が近づいてきて、Michikoを連れていこうとする。おっと、ここからまた移動???角を何度か曲がって進んでいくと、厚手の扉の部屋へと運ばれた。
MRIを撮るんだ!検査の台の横にストレッチャーを付けて、Michikoを二人で移動しようとしていた。きっと、ウノ!ドゥエ!トゥレ!とかけ声をかけるに違いない。案の定、掛け声が始まったのでMichikoも一緒に「ウノ!ドゥエ!トゥレ!」と合わせると、チーフであろう女性スタッフが「オ~!」と驚いて笑っていた。
他のスタッフと笑いながら楽しく話をしていた。何を話していたかはさっぱりわからないけれど、楽しかったようだ。何やら良い雰囲気になり、いつの間にか検査も終わった。また広い部屋に連れてかれた。
またしばらく待たせるのかなと思って待っていると、YUKAさんが来てくれた!!「Michikoちゃん、やっと会えたよ~。」と息を切らしていた。
さっきの救命隊員のおじさまがYUKAさんを案内してくれたようだ。診察室に呼ばれて、先生のところへ向かった。看護師は赤く染められた長い髪の毛で、前髪は真っ直ぐ整っている。青く大きくはっきりとした目で私たちを真顔で見ている。白いナースの制服ではあるが、天使のナースのイメージとは程遠い。せめてニコッと笑ってくれれば救われるのだが、ドラマのようにそううまくはいかないようだ。かえって、海外ドラマのように、ハスキーボイスで強いナースの役にぴったりで、医師にカルテを乱暴において医師がビビるというシーンにいそうだ。
結局、何も問題はないから帰ってもいいと言われ、解散の雰囲気が漂っている。イタリア語が何十行も書かれた書類を渡されて終わった。頭を打ったのに本当に大丈夫なのだろうか。言葉が通じない分不安がよぎって、本当なのかと尋ねても帰っていいと言われるだけだった。診察室を出ると、最初にもめた救命隊員のおじさまが優しそうな目で心配していた。ずっといてくれていたようだ。
待合室に戻ると、Eikoさんが目をうるうるさせて「Michikoちゃん、大丈夫?」と心配の声をかけてくださる。「Eikoさん、ごめんね。大丈夫だよ。」

緊急速報!居残りが決定しました
病院を後にした私たちは、タクシーでホテルへ帰った。今日はホテルの中で夕飯を食べようと、イタリア1日目に食べたパエリアをYUKAさんが買ってきてくれた。そういえば、1日目はパエリアを食べてイタリア気分を楽しんだ後、記憶がないくらい寝ていたんだっけ。昨日のことのようでなんだか懐かしい。
今日の夕飯は苦痛だった。口を開けると左のあごに激痛が走る。
明日の昼にはイタリアを出発し、タイへ戻ってから新千歳空港へ帰る予定だ。タイでは再びマッサージを堪能して、イケメンのノイさんとも再会して、お土産を買っていこうと思っていた。頭を打った状態で飛行機に乗っても大丈夫だろうか、不安がよぎる。
どちらにしても、救急で運ばれたため、海外旅行保険の会社に連絡する必要がある。YUKAさんがスカイプを貸してくれた。連絡を取るとフランスの会社につながった。英語じゃないとだめなのかと不安だったが、日本人のスタッフがしっかり対応してくれた。とりいそぎ、病院でかかった費用と交通費を申請するため、ホテルのファックスに用紙を送ってくださった。病人になったのに面倒な手続きがあるが、それは仕方がない。ひとり旅だと心細いが、二人がいるから安心だ。
ローマの日本人クリニックでお世話になっておいて良かった。先生にも連絡し、来てもらえないか交渉した。先生はローマから出て、かなり遠くにいるらしく、すぐには往診できなかった。次の日に往診できるように約束をして明日を待つことになった。Eikoさんが「私も残るわ。」と言ってくださる。とっても嬉しい。
けれど、付き添った分の費用は保険では出ない。タイの病院のOさんたちも待っている。Michikoは、翌日の朝を迎えた時、Eikoさんにタイへ行くようにお願いをした。Michikoはイタリアに残って次の便で変えることにした。
Eikoさんと別れる日がローマ滞在7日目の日だ。Eikoさんは残る気持ちでいっぱいだったが、タイへ出発するなら午前10時には出なくてはならない。クリニックの先生はお昼の12時なら往診できることになり、Michikoの居残りは決定した。Eikoさんは、午後1時半発の飛行機でタイへと向かった。
車いす&ステッキコンビが別れて旅をすることになった。この日の朝はバタバタしていて、Eikoさんとは握手を交わすのが精いっぱいだった。
Eikoさんを見送って静まり返り、YUKAさんと一息ついた。YUKAさんの旦那さん(Eijiさん)がEikoさんと一緒に空港へ向かっている。まずは、一安心。YUKAさんとMichikoは先生の到着を待った。約束よりも少し遅れてきて、ホテルの部屋まで来てくださった。お忙しいところ有難い。「見てみましょうか。」と落ち着いた声で、触診が始まった。肩、首、あご、頭を触ってもらいながら、ここが痛い、そこが痛いなどと伝える。一通り触ってみて「なるほど。」と先生が答える。「受け身を取っていたみたいだね。」と先生が首を触りながら、話をしていた。受け身を取っていた方の首の筋が左側だけ緊張していたそうだ。
そうか、思い出した。Michikoはチェアスキーを毎年やっているが、左右に傾いて体重移動して行っている。介助する人がいるものの、失敗して倒れることもあって、その時は腕を横に出さないことと、頭が勢いでそのまま横に倒れないようにすることを意識している。腕を出すとそのまま床に打ち付けられて、腕が後ろに持って行かれて肩が折れてしまうし、頭をぶつければケガにつながってしまうからだ。市電の前で倒れてしまった時に、無意識に注意していたのかもしれない。チェアスキーをやっていて良かったと本気で思った。
「今日は飛行機には乗らない方が良いでしょう。ショックも大きいでしょうし、気持ちを休めるためにも延期して良かったですね。」と言ってくださる。あ、そういえば、病院で渡された書類を見てもらおうと、先生に渡した。すると、「あ~これは、問題ないという診断書です。」そうなんだ~良かった。やっぱり日本人の先生がいると心強い。まずは一安心して往診が終わった。
雨の中、スーパースターおじいちゃんがお見舞いに
出発するはずだった今日、この日はシトシトと雨が降っていた。Eikoさんと旅をしていた時は、晴れてばかりだった。観光の日に雨が降らなくて良かった。そう思いながら、いる予定じゃなかったローマのホテルの宿泊を延長する手続きが取れたため、ゆっくり窓を見ていた。ゆっくり休めると思っても、ベッドで寝る気はしない。車いすに乗って部屋全体を見渡しながら、ゆっくり流れる時間に身を任せていた。
夕方、突然、部屋の電話が鳴り始めた。昨日から、保険会社とやりとりしていた時に何度もホテルの電話が鳴っていたため、今度はなんだろうとYUKAさんが代わりに出てみる。すると、Mr.KUNIOが来ているというフロントからの電話だった。くにお??YUKAさんもピンと来ていない。しばらくして、あ!!!!と思い出す。もしかして、おじいちゃん!?YUKAさんがちょっと行ってくるわとダッシュして出ていった。
部屋のドアが開くと、リアカーが先に顔を出す。「おじいちゃん!!」Michikoは叫んだ。「おぅ。」と挨拶をして部屋に入ってきた。トレンチコートがびっしょり濡れていた。雨の中歩いて来てくれたんだ。
おじいちゃんは、おもむろに袋を取り出して渡してくれた。見ると、お弁当だ。Chikakoさんが厨房に頼んでくれたんだ。そして、おじいちゃんにお遣いをさせて渡してもらうという、Chikakoさんらしいやり方♪そうやって歩いてくるおじいちゃんはやっぱりすごい。
「おじいちゃんの元気の源はどこにあるの?」「ぼくかい?やっぱり運動が一番だよ。昔は野球少年だったんだよ。」おじいちゃんはソファに座って、昔のことを語り始めた。それが本当なのかはわからないけれど、誇らしげにスポーツが得意であったことを話していたことが印象的だった。「まあまあ、お食べなさい。」と食事を勧めてくれて、YUKAさんに食べさせてもらいながら3人で何気ない会話をした。
しばらくしてから、「そろそろ帰るよ。」とおじいちゃんは立ち上がり、元気でねと挨拶していつものリアカーと一緒に帰っていった。これがおじいちゃんと最後の別れだった。
