いやーと言ったら、パスタのお持ち帰り

2日目のランチはいよいよ外食をすることにした。バールと言って外に面したテラスのような飲食店が多い。日本だと道路のすぐ近くで人通りがあるところで食べるのは落ち着かない。イタリアでは、その風景がなんだか当たり前になっているし、景色を見ながらイタリア料理を堪能する楽しさでいっぱいだ。私たちは、パスタとラザニアを頼み、レモネードというレモンティーを飲みながら食事を楽しんだ。ラザニアは、貝の出汁がきいていて、米が日本のものに似ている。パスタは、イタリアでは当たり前のようにたくさん種類があるが、今回はフィットチーネという比較的太い麺だ。どの料理もオリーブオイルをたくさん使っていて、日本の料理とは違う香りや味わいだ。とっても美味しかったのだが、量が多くて残してしまった。もったいないが、残すとしよう。
お勘定を済ませようと店員さんに声をかけた。来るなり、Michikoがパスタを残しているのを見て、「お持ち帰りしますか?」とイタリア語や英語で聞いてくれた。3人で顔を見合わせて、持って行かなくていいよね、という雰囲気になり、Eikoさんが「いやあ~」と店員さんに答えてくれた。すると、OKと言ってお皿を持って行ったかと思いきや、箱にしっかり詰めて袋で持ってきた。げげげ!なんでだろう?そういえば、考えてみると「いやあ~」が「Yeah(Yesという意味)」と聞こえたに違いない。EikoさんもYUKAさんも笑いながら、そうだそうだと盛り上がった。

その後、恒例の写真撮影。ポッソ・フォトグラファーレ・コンテ?と言うと、Si!(イタリア語でok)と返してくれて、みんなで写真を撮った。男性と写真を撮ろうとすると、必ず肩を組んでくるし、顔もとても近く接近してくる。写真を見る時の注目ポイント。
この写真は、途中で合流したChikakoさんが撮ってくださった。ローマでの初めてのランチも楽しみ、次は街の散策だ!!

そこにスロープあるわよ!さりげない声かけ

私たちは、ピラミデ駅に向かい、その前のサン・パオロ広場にあるピラミッドを背景に写真を撮った。それは、ガイウス・ケスティウスという古代ローマの執政官のお墓。紀元前18世紀から12世紀に建てられたとされている。駅前に歴史的建造物が当たり前のようにあり、その横を普通に自動車が走っている。

ピラミデ駅でバリアフリーチェックをしようと、駅の中に入ってみた。銀のパイプのゲートがあり、どこから入るのかわからなかったが、通りすがりのイタリア人がなぜかゲートを開けてくれた。ゲートには、人のイラストに赤い斜線が引いてあるマークが書いてあるし、USCITA(ウッシータと読んで出口)と書いてある。あれれ?大丈夫か?と思いながら入ってみる。

きっと逆走していると思いながら入ってみると、列車が止まっていた。車いすマークがついて広いスペースもある。ホームの高さは、列車の床とほとんど同じ高さだから、そのまま乗れそうだ。改札につながるところにはスロープがあって、車いす以外はご遠慮くださいの看板があった。イラストと看板自体がとても目立ち、シンプルでわかりやすいと思った。海外でしかも全く分からない土地なのに、このようにスムーズに行くことができると、ストレスなく旅をすることができる。


さらに進んでいくと、改札が見えてきた。近づいていくと、スタッフの方が改札を通してくれた。切符なくてもいいのだろうか。そんな疑問を持ちながらも、グラッツェと笑顔で挨拶をして通してもらった。その男性も、おひげを生やしたおじさまだった。おひげおじさまに会うことが本当に多く、ローマでは普通のスタイルに違いないと確信した(笑)。

改札を出てキョロキョロしていると、女性が近づいてきて「車いすトイレならあそこにあるわよ。それと外に出るなら、あのスロープよ。」と指をさして教えてくれた。え?!ありがとうございます!グラッツェ!と挨拶したら、スッとすでにいなくなっていた…。尋ねてもいないのに、教えてくれたイタリアの女性。スッといなくなってなんだかかっこいい。

札幌でも地下鉄には全駅にエレベーターが付き、列車の床がホームより高いため、駅員さんに頼めばスロープも出してくれる。通りすがりの人にはほとんど声はかけられないが、立ち止まっていると何か困ったことはありますか?とか、エレベーターに乗る時にドアを抑えたりしてくれる。子どもも一生懸命にエレベーターの開くのボタンを押してくれて、ドアを開けておいてくれようとする。よく、海外の方がバリアフリーと聞くが、見方を変えると日本も捨てたものではないと思う。バリアフリーな心が高いか、低いかというよりは、どのような特徴があるのか?という見方をした方が、面白い。Michikoが一人で街に行って何かしてもらいたい時は、頼む側からはっきりと何をしてほしいのか伝えるようにしている。すると手伝ってくれる人が大半であることがわかった。
ローマの第一印象は、聞いてもいないのに教えてくれるおせっかい屋さんが多いこと。でも、後味は悪くない。さっと去って行ってしまうスマートさ。男性は温かく見守りながら手伝ってくれる紳士さがあり、女性は状況を見てとっさに動いてしまう機敏さがあるような気がした。「してくれて、ありがとう。」と感謝を表そうと思ったら、すぐに行ってしまうと、感謝されたいとか関係なく自然に手助けをしてもらい、すっきりとした気分になる。自分もそうしたいけれど、話しかけていいものかどうかから迷い始めるから、話しかけることもできない。これを書いているMichikoは、自然に声をかける大切さを改めて思い、今度はその気持ちで人と接してみようと意気込む。だけど、なかなか自分を変えられないんだよね~と弱気になるが、それでも変わりたいと思う。だって、その心地よさを知っちゃったんだもん。観光地だけでなく、交通機関を回って普通の暮らしの中で散策すると、ローマに住んでいる人々の人柄がわかって面白い。地味な面白さが、これからの旅にわくわく感を与える。
サンピエトロ大聖堂で涙。押し寄せてきた思い
その勢いで私たちは、バチカン市国へと向かった。世界で一番面積が小さい国として、中学生に習った。そんな国に行けるなんて!とわくわくドキドキ。今度はバスに乗ろうと近くのバス停に向かって待つことに。バス停の看板に車いすマークがついているが、何時のバスに来るのかはわからない。それでも私たちは待つことにした。

10分くらい経っただろうか、バスが止まったが、乗車口が狭くて乗るかどうかみんなで迷っていた。約60cm弱の幅で柵がつけてあり、歩いて乗車する分には困らない幅。しかし、Eikoさんの車いす(おじいちゃんのもの)は、それ以上の幅がある。どうしようかと迷っていると、隣で同じようにバスを待っていたイタリアのおじさまが「乗るんだろう?手伝おうか。」と声をかけてくれた。

実は、柵の幅の長さを覚えていたのは、Michikoの車いすをそのまま入れることができたからだ。入る前はもちろん、長さなんて図る暇がない。けれど、目視して、もしかしたら入るかもしれないと思っていたのだ。そこにイタリアの紳士なおじさまが声をかけてくれたことにより、よし!Eikoさんは車いすから降りて歩いて登り、車いすをたたんで入れよう。Michikoは一か八かでそのまま入ってみようと、試みることにした。すると、タイヤすれすれで入ることができた。すごい!力持ちのイタリアおじさま、グラッツェ!!
そうしてバスの中で揺られて、バチカン市国へ向かっていく。もちろん、国が違うのでバスでそのまま入ることなんてできない。きちんと入国審査が必要なのだ。最寄りのバス停に着いてサンピエトロ広場を歩いていった。ローマに20年以上住んでいるChikakoさんについていくばかりで、どんなルートで行ったのか正直覚えていない(笑)。
ただ一つ、驚いたことだけは覚えている。Chikakoさんは、Eikoさんの車いすを押しながら先頭を切って進み、MichikoとYUKAさんはChikakoさんについていった。ゲートにいる係の人にChikakoさんがなにやらイタリア語で話をすると、ゲートを開けて通してくれた。荷物検査をする場所に案内された。そこで荷物検査をすると思いきや、通り過ぎてしまった。そして、サンピエトロ大聖堂の中まで入ることができた!!!本当は入国審査のためにパスポートを見せなければならないと思うが、どの係の人も普通に通してくださる。ピラミデ駅の改札で通してくれたおひげおじさまのような感じだった。いつもできるとは限らないと思うが、そのようななかなかないことに遭遇するのも面白い。

大聖堂の中に入るには階段があったが、一カ所だけ広いスロープがかけてあった。中に入ると、時間が数十秒止まったような感覚になった。天井や柱一面に彫刻と絵画がぎっしりと詰まっていて、長年かけて作られてきたという偉大さを、全身で感じてしまうほどだった。
宗派の違いやその背景を知らなくても、何十いや何十万人の何百万人の魂が集約されているような感覚になり、その空間に入るだけで気持ちが押しつぶされそうになった。その時は、周りに人がいるにもかかわらず、自分一人がその空間にポツンといるような感覚だった。

それは、長い時間のようでほんの数秒のことであった。EikoさんやYUKAさん、Chikakoさんが隣にいる、そしてMichikoがいる。「自分がこのローマの地にいる」ということを我に返って思い出した時、涙がドッとあふれてきた。隣を見ると、Eikoさんも天井を見上げながら、目を赤くさせて、涙が頬に伝わって流れてくるのを手で拭いていた。
本当にイタリアに来たんだ。ここに来ている自分が信じられないようで、現実になっていることに感動をしたのかもしれない。正直言えば、イタリアに訪れるというのは、宇宙に行くような偉大なことでも何でもない。車いすでイタリアに行ったことのある人はいくらでもいるだろう。ただ、それぞれが歩んできた過去を振り返ってみると、悔しい気持ち、あきらめてきた思いに明け暮れていた時期を経て、それでも何か挑戦していこうと行動するというプロセスが鮮明に見えてきて、泣かずにはいられなかった。

Eikoさんは、ちょうど子育て真っ最中に、脊髄小脳変性症にかかり、自身の思いとは裏腹に進行していく病気と向き合うことになった。それは、自身で選択したわけでもなく、体が病気で変化していく中で、自分はこの状況をどう受け止めていくかを考えなければならなくなった。子育てが大変な上に、自分の変化とも付き合わなければならない。そんな状況を経てきたEikoさんの涙の意味って何だろうか。それは、第三章に著わしていきたい。
Michikoは、生まれつきの障害のため、障害がない状態がわからない。今の状態そのものがMichikoなのであるが、お伝えしたように、社会と関わろうとするとあらゆる葛藤と闘うこともしばしばだった。なんでも何かをするたびに、何かの覚悟をしなければならなかった。もし、あなたが大好きなプリンを買って食べてしまったら、周りの人が「なんであなたがそのプリンを食べるの、迷惑なの。」と言われる社会だとしたら、プリンを買う選択をあきらめるかどうか?そんなの、誰もが等しく同じ選択ができる社会なのが当たり前でしょ?と思うだろう。でもわからないのだ。どうしたらわかってくれるのだろう?そんなことを考えながらも、行動に移さなければいけない!という思いだった。
無理にでも普通小学校に入り、中・高校生で葛藤を抱えながらも、大学へ行きひとり暮らしも始めた。社会人になって色々な人との交流が増え、縁があってバングラデシュに行き、その活動ぶりに感動したYUKAさんと出会って、Eikoさんやタイの助っ人、イタリアの助っ人の方々とお会いすることができた。そして、イタリアの旅が実現し、今ここに、サンピエトロ大聖堂で涙をこみ上げて泣いているMichikoがいる。イタリアには誰でも行けるかもしれないが、その時だけでなく、過去の経験も含めると、とても深い旅へと変化する。その感覚はとても大事にしたいと思った。
お決まりのスイス兵とも記念撮影し、サンピエトロ大聖堂を最後まで満喫した。また明日に、ローマ法王の謁見で再び訪れることになる。今度は昼間のサンピエトロ大聖堂だ。

心強いクリニックで、パスタ禁止宣告⁉
実はこの日に、Michikoの体に異変が起こってしまった!体に赤い湿疹ができている!!なんだこれは?と急きょ、クリニックへ行くことになった。実は、YUKAさんは今回の旅行をきっかけに、日本人の医師がやっているクリニックとのつながりを作っていた。もともとご挨拶に伺おうとしていたところだったが、まさか早くも診断をしてもらうとは!!
サンピエトロ大聖堂を見た後に、さっそくそのクリニックへ向かった。今度はタクシーで。後ろがボックスタイプの車両だったため、Michikoは座席に移り、車いすをそのまま後ろに詰めることができた。イタリアのタクシーは電話で予約を受けて、お客さんのところに行く時からメーター量を換算し、お客さんを拾って目的地に着くまでの料金を取っている。海外旅行保険に入っているため、その分の交通費も後で戻ってくる。
クリニックの前に着くと、そこは古めかしいビルだった。正面玄関には、ビルに入っているオフィスごとのインターホンがあり、そこを押して開けてもらう仕組みだった。開けてもらうと、エレベーターがあるが、なんとその前に20㎝の段差があった。これじゃあ、エレベーターの意味がないじゃんと思いながら、車いすごと上げてもらってエレベーターに入った。

到着すると、YUKAさんが先に入って挨拶。その後に、私たちが入ってさっそく症状を説明した。お医者さんは白髪のヘアスタイルでメガネをかけた優しそうなおじさま。大学病院にいるような医師の風貌はなく、小さい地域でこじんまりとされていそうな雰囲気を持っている。でも、イタリアでは数少ない日本人の医師ということで、イタリア中を往診して回ることも多いそうだ。「体の一部に湿疹ができたんです。」と言うと、診察台で見せてほしいと言われて横になることになった。湿疹をちらっと見て、今度は腹部を指でトントンとたたいたり押したりしながら、フムフムと考え出した。
「2,3日前は何を食べました?」と突然聞かれ、タイにいたことを思い出した。そういえば、ドラゴンフルーツをたくさん食べた記憶があり、そのことを話した。すると、「アレルギー反応ですね。」ときっぱり言われた。再びお腹を触り始め、「他にアレルギーはそれまでなかったですか。診ると、動物系タンパク質や乳製品も、そして小麦もダメなようです。」え???アレルギーはないと思ったけれど、と言いたいところだが、先生に言われた食物でお腹を壊したことが何度もある。そのため、気を付けて少量で食べるようにしていた。わずかな触診だけで、そんなにわかってしまうのかと驚いたが、さらに驚いたことがあった。
EikoさんとChikakoさんが、その後の先生との会話を聞いて、少し笑っちゃいそうだったと言う。そして、Michikoも先生のおちゃめぶりに笑ってしまった。アレルギーの内容をみると、「チーズもダメ、パンやパスタもダメ、フルーツもダメですね。」と先生に言い直されてしまい、よくよく考えてみると、イタリアの食事が全部ダメと宣告されているものだ。
その名も、パスタ禁止宣告!!そんな~とものすごくがっかりしてしまった。先生にはビオフェルミンを処方されて、海外旅行保険の診療の証明書を書いてもらった。待合室でEikoさんに「大丈夫かい?」と心配されながら、先生からの処方箋を待っていると、先生が袋を持って現れた。
「これ、あまりものなんだけど、イタリアのフルーツだよ。みんなで食べてください。」とその袋を私たちにくださった。そのフルーツの名前は覚えていない。なぜなら、Michikoは「フルーツにアレルギーがある」ことを宣告されていたから、渡された瞬間、先生さっき言ったじゃん!というあきれるやら笑えるやらの複雑な心境だったからだ。確かに、命には別条ないのだから食べても大丈夫だとは思ったのだが、それでも「あなたは食べられないけど」と前置きをされた時には本当に笑いそうになった。

追記
この記事は、2012年11月2日から12泊13日でタイとイタリアへ旅をした時のノンフィクションの物語です。以前に本を出す予定で書き溜めていたものですが、色々とあって出版には至っていませんでした。
それを知った友人が「それはもったいない」と言い続けてくださり、最近ようやくこちらに載せようと思い始めました。
連載ものになっていますので、ぜひゆっくりと読み進めてみてください。
今では、新型コロナウィルスの影響で、タイやイタリアに住んでいる友人や出会った人々が元気に過ごしていらっしゃるか、心配しています。
友人に気づいてもらえたら嬉しいなという思いで、連載で載せることにしました。
どうかお元気でいらっしゃることを願って。